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#20 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/南予のスモールタウンで出会った日本の原風景⑤

※note公式マガジン「国内旅行 記事まとめ」「 #旅のフォトアルバム  記事まとめ」に、本稿の前日の記録「#19 地方都市の新たな魅力に出会う〜」をピックアップしていただきました。ありがとうございます!


「南予をゆく道は絵の中をゆくようで、まことに心楽しい」。
かつて、吉田桂二氏が著書『なつかしい町並みの旅』でそう描いた風景の中をブロンプトンで走る、2023年晩夏の旅。なぜか故郷のような安らぎを感じる内子で一夜を過ごし、朝を迎えました。【旅行日 2023年9月2〜3日】


◆ 渓流を遡って

6時前に目覚めると、古民家の階下にある台所からは、すでに包丁の音、冷蔵庫やオーブンのドアを開閉する音、流し台の水音などが聞こえてきました。
前夜は、町の居酒屋でビールや焼酎を飲んだあと、この1階のバーでクラフトラムを調子に乗ってストレートで2杯空けたおかげで結構酩酊しましたが、今朝はすっきりした目覚め。
階下へ降りていくと、マッチョな出張料理人のAさんが、今日のミニマルシェに備えてハンバーガーのバンズの生地をこね、次々とオーブンの中へ並べているところでした。彼は前の晩、準備した材料が足りそうもない、と、宿主のYさんに相談しながら、あちこちに電話して食材調達していました。ほとんど寝ていないそうで、朝からお疲れの様子。
外へ出ると、南海上にあった台風の影響も弱まったようで、素晴らしい青空が広がっていました。

▲ 宿泊したゲストハウス「内子晴れ」前で

卵かけご飯と、地元の野菜を使ったピクルスの朝ごはんをいただき、1階の広間の隅でフロントバッグを預かってもらい、表へ出ると、ちょうどYさんが出勤してきました。「いやあ、間に合った」。日曜の朝は、8時から地域総出で町内清掃をするそうです。
前夜、バーで飲みながら、サイクリングにおすすめのエリアをYさんに尋ねると、石畳地区にぜひ行ってみてください、ちょっと登りますけどね、と教えてくれました。観光案内所でも勧められたエリアです。
ここには、木造の屋根付き橋がいくつか残され、川の堰はコンクリートではなく石を積み上げたもの。今はちょうど特産品である栗の収穫期。週末のみ営業の、手打ちそばの店もあるそう。
それにしても、朝から太陽が照りつけ、立ち話をしているだけでも汗がしたたり落ちます。今日ここで開催されるマルシェには間に合うように戻ってきますね、と、朝の町を走り出しました。

家並みを抜け、中央構造線から流れ出る麓川を遡っていきます。
二車線の道はやがて林間に入って狭くなり、木漏れ日の中をゆっくりと登っていきます。

まもなく、最初の屋根付き橋である田丸橋が見えました。
わたしどもの世代で屋根付き橋といえば、条件反射的に「マディソン郡の橋」が連想されます。フランチェスカとロバートの、アイオワのローズマン・ブリッジを舞台にした儚く美しい4日間の物語が刊行されたのは1993年、もう30年も前なのであるなあ。

▲ 橋そのものもだが、橋へ続く緑の小径が素晴らしい。
▲ 田丸橋

森からの蝉の大合唱と瀬音だけが、朝の谷間に響いています。

緩やかな上り坂を、さらに詰めていきます。
やがて、前方に堰が見えました。Yさんが話していた、石積みの堰の一つです。
川面に緑濃き枝が垂れ下がっています。

▲ 西井手堰

山裾には数軒の家が身を寄せ合い、水田の稲は元気よく空へ背伸びし、一部では早稲が黄金色に色づいて首を垂れつつあります。
子供のころ暮らした山里を思い出し、懐かしさで、胸がいっぱいになりました。

◆ 日本の原風景に出会う

右手に小学校が現れ、やがて小さな集落の中の三叉路に到着しました。

▲ かわいらしい道祖神

ここから本格的上りになります。でも、谷は広く明るい雰囲気。斜面に黒瓦の家が点在しています。

大正13年建立の道祖神がある場所に着き、足を止めました。まわりにはムラサキツユクサが咲き乱れています。
三方に山が迫ってきました。

石垣の上に、古民家をリノベーションした宿があります。「石畳の宿」といって、1994年の開業から既に30年の歴史を持つ、この地区の村並み保存活動を象徴するような施設。所有者は内子町、運営は地域の女性たちが担い、地元の食材を使った手料理が人気といいます。このような交通不便な山里で、このような小さな宿の営みが続いているのは、地域の方々の温かなもてなしがあってこそでしょう。

▲ 石畳の宿

さらに渓流を詰めていくと、路上には熟した栗がいくつも落ちています。大きな身がイガを破り、こぼれ落ちそうに見えます。
やがて薄暗い森の中にある水車小屋に行き当たりました。ここは、かつて麓川に多数見られた水車を復元した「石畳清流園」という公園で、屋根付き橋もあります。
木立に響き渡る沢音が心地よいのですが、ヤブ蚊もすごい。

▲ 石畳清流園

石畳清流園の先は、傾斜が急になりました。長い登りではありませんが尾根を一つ越えていきます。稜線を越えて森の中を下り、再びヘアピン状の急な上り。ニットジャージーもクロップトパンツも、もう汗まみれ。
しかし木立は途切れ、素晴らしい里山の展望が広がりました。

いうまでもなく、美しい里山の風景は、地域に暮らす多くの人の手と歳月が作り出すもの。この懐かしい風景の背後にある、地域の皆さんの想いに心打たれます。
Yさんに教えてもらった蕎麦屋の場所を確認し、少年時代を過ごした山里を思い出させるような、懐かしい田園風景の中をさらに登ります。路傍には夏の花々が咲き乱れていました。

そして弓削神社に到着。屋根付き橋で池を渡った先が境内です。

木立で少し涼みたいところなれど、ここも藪蚊が少なくないので、お詣りの後、早々に境内を逃げ出しました。
上りはここまで。ここからは快適なダウンヒルです。

蕎麦屋の開店まで、まだ時間があるので、少し寄り道をして「かわじの湧水」でボトルを冷たい湧水で満たしたのち、坂を下り、路傍にブロンプトンを停めて、里山を見下ろす枝垂れ桜のある高台へ登りました。時折、地域の方とすれ違います。視線が合うと、皆さん、どうしようか、と戸惑う様子をされますが、こちらから挨拶すると笑顔で「こんにちは」と返して下さいました。
「村並み保存運動」によって、多くの人々の手で守られてきた、日本の原風景の中を、わたしとブロンプトンは走っていきました。

▲ 湧水近くの風景
▲ 右下にプロンプトン🚲
▲ 山里を見守ってきた枝垂れ桜

11時ちょうどに、石畳そばへ。もりそばと天ぷらを注文。
自然の中で、地元のそば粉と水で打ったそばを戴くと、体内が綺麗になる気がいたします。

このあと、ゲストハウスへ戻って、Aさん特製のハンバーガーも食べねばなりませんが、やはり特産の栗は外せません。
町内まで走れば少しは、消化するでしょう。
…ということで、栗ごはんを追加。熟した栗の甘みを堪能。
香川県から来たというご夫婦と歓談しているうちに、山里の時間は過ぎてゆき、北の稜線に雲が湧いてきました。
そろそろ町内へ戻らねばなりません。

◆ 町並み保存地区のミニマルシェ

途中、石積みの堰を新しく見つけて立ち寄ったりしながら、昼過ぎに町並み保存地区へ戻ってきました。
日曜の日中ですが、通りには意外なほどに観光客の姿がありません。

しかし、この町で一夜を過ごし、今日は石畳地区を走って、朧げに感じ取ったことがあります。
この土地の人たちは、テーマパークのような町を作り、世界中から多くの観光客を呼び込もう、などと考えてはいないのでしょう。この美しくも懐かしい町並みも、日本の原風景のような里山も、先祖代々受け継がれてきたかけがえのない景観や文化を、子どもや孫たちへ、さらにその世代を超えて後世に残したいという、地域の皆さんの故郷に対する強い想いがすべてなのではないでしょうか。
かといって、決して閉鎖的な風土なわけでもない。地域の人々の想いに共感してこの地を訪れる人は、一見のサイクリストであれ、第二の故郷をさがす移住希望者であれ、温かくもてなしてくれる…
少年時代を過ごした町を思い出させる、なつかしい風景のこの町に、愛おしさすら湧いてきました。
ゆるやかな坂道を下って、昨晩泊まったゲストハウスで開催されているミニマルシェへ向かいます。

ゲストハウスの前は、中に入りきれない人たちで、人だかりができていました。Yさんが忙しそうに飛び回っています。わたしの姿を認めると「おかえりなさい!どうでしたか。蕎麦も食べられました?」と満面の笑みで話しかけてくれました。
今日のミニマルシェは初めての試みだそうで、客数を読むのが難しく、昨夜Yさんは心配そうでしたが、蓋を開けてみれば30〜40代の家族連れを中心に大盛況。小さな町なので顔見知りも多く、複数の家族が座敷に一緒に座り、買ったものを一緒に食べています。
奥の方で出張料理人のAさんが休む間もなくハンバーガーのパテを焼いていました。わたしの姿を見ると「すみません、だいぶ時間かかっちゃいそうだけど、いいですか?」と済まなそうな顔に。傍では広島から来た旅の青年が、洗い物や食材を運んで手伝っていました。
部屋の片隅で、写真集を広げ、パテが焼き上がるのを待つことに。この小さな祝祭のような雰囲気を楽しみながら。

帰路は、松山空港を16時50分に発つ便を予約しています。逆算すると14時53分に内子駅を出る特急「宇和海18号」がリミット。
町内をもう一回りしたかったので、14時前にYさんやAさんに暇を告げ、出立しました。
街並み保存地区の起点になる交差点から、もう一度坂を見上げました。移住願望だ何だといいつつ、失うものが怖くて行動に移れない、情けない自分がいます。しかし、このような町で、もし自分にできることが何か見つけられたなら、ためらうことはないでしょう。
内子は、懐かしさを超え、愛おしさすら感じさせる、ふるさとのような町でした。

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最後までお読み頂き、ありがとうございました。これからも、ブロンプトンを連れて地方都市やローカル線を訪ねていきたいと思います。
これまでのローカル線とブロンプトンの旅、こちらへまとめております。

私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。


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