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#26 地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅/13回目の3.11 陸前の海と杜の都へ②

2024年の早春、ブロンプトンを連れて、宮城県を旅しました。強風の中のフライトから一夜が開け、今日も北西からの強い風の中、松島海岸から女川へ向けペダルを踏んでいます。まず松島、続いて宮戸島をめぐり、大津波で壊滅的な被害を受けた野蒜海岸を走っています。(旅行日 2024年3月15日夜〜17日)

▼ ここまでの記録はこちらです。この記事は、note公式マガジン「おでかけ記事まとめ」と「#旅のフォトアルバム 記事まとめ」に取り上げて頂きました。ありがとうございます。

🔳3月16日 松島海岸〜女川(続き)

◆ 東松島から石巻へ

正面から強風が吹きつけます。日差しがあり寒くないのが救い。
間もなく正午、腹も鳴っています。
野蒜海岸に延びる幅広の防潮堤の上を、我慢のライドを続けました。

▲ しんどいが、眺めは良い道

やがて鳴瀬川の河口。この先、さらに強風に立ち向かって1.5キロほども遡らないと橋がないのがつらい。
それでもようやく国道45号線に出て、鳴瀬川を渡り、北西の風を背中から受けられるようになりました。
右前方には矢本航空自衛隊のモスグリーンの管制塔や掩体壕が見えてきました。ブルーインパルスの拠点として知られる基地です。
それを通り過ぎると、日本製紙石巻工場の煙突が、次第に近づいてきました。

▲ 石巻市街への道

かつて仙台に住んでいながら、石巻はほとんど馴染みのない街です。仕事で来ることはありましたが、用が済めばすぐ仙台へ戻ってしまっていたものです。その先の牡鹿半島や女川へは何度か遊びに行ったのですが、石巻自体にはこれといった観光資源もないので、いつも通過点に過ぎませんでした。
3.11の津波で破壊し尽くされたこの沿線は、そうと知らなければ、大規模な区画整理事業地の中を延々と走っているかのよう。13年の歳月を経て、当時を想起させるようなものはさすがに目に入りません。

この旅から戻った翌週の土曜日(この記事を書いている当日)の朝、NHK-BSの「日本縦断 こころ旅」で、震災翌年の2012年、仙石線の矢本駅から石巻へと、この日わたしが走ったルートの一部を火野正平氏が旅した記録が再放送されました。破壊された橋、建物、瓦礫の入った黒い袋の山の中を、火野さんは珍しく言葉少なにペダルを踏んでいました。
その旅の終着点は、石巻市の日和山でした。

毎年3月11日になると、日和山で、多くの人が海に向かって祈りを捧げる映像が全国に流れます。ここへはいきたいと思っていました。

が、その前に、腹が空いてどうしようもないので、目ぼしい店を探します。石巻駅近くのロードサイドに、牛タン「利久」の支店があるようなので、ここに決定。
既に時刻は13時を回っており、店は空いていました。一度京都で牛タン屋に入ったら、麦飯もテールスープも辛子南蛮もついていなくて、がっかりしたことがあります。正しい牛タン定食はこれだよなあ、と変な感想と共に、久しぶりの味を噛み締めました。

▲ 牛タン定食@利久

ようやく腹もくちたのですが、時刻は既に13時半を回っています。
帰りは、女川を14時55分に出る石巻線の列車を捕まえて輪行したいと考えています。その次の女川発は17時近く、これでは仙台着が19時を回ってしまうのです。一人旅では早めに呑み始め、ひとしきり酒気帯び散歩してから、気分が乗ればもう一軒、というのが望ましい。コロナ前にちょっと寄って以来、久しぶりの仙台の夜でもありますし…

こんなふうに、真っ昼間から酒場にばかり関心が向いている自分には、今振り返れば呆れるしかないのですが、ともかくも、予定していた日和山へ登る時間はなさそう。せめて、麓を巡って走っていくことにしました。

まもなくJR石巻駅前。ああ、そういえばここにはイオンのGMSがあったよなあ、と往時の記憶がよみがえります。もはや地方都市の駅前でGMSが成立する時代ではありませんが、ここも今では営業しているのは食品売場のみで、上層階は石巻市役所が入居しているようです。
宮城県下第二の都市とはいえ、中心市街地に人影はまばら。

趣のある古い建物がありました。「旧観慶丸商店」といって、石巻初の百貨店だったそう。東日本大震災では、ここも津波により一階が浸水したが躯体は持ち堪え、復旧工事を経て、今では文化交流施設として使用されているそうです。

▲旧観慶丸商店

こういう場所に立ち寄りながら、先を急がずペダルを踏むのがこの旅の趣旨なのですが、この時は女川発の列車の時刻ばかりが気になっており、もう1時間早起きするんだったとか、宮戸島で時間を使い過ぎたとか、そんな後悔と共に静かな商店街を抜け、日和山の麓をめぐって走っていきます。
この先の門脇地区は、津波で200人を超す方々が犠牲になった地区。日和山を背にした木造平屋建ての小さな店「まねきショップ」は、以前、確かTVのニュースと記憶していますが、見たことがあります。震災で多くの人が離れていった地域のコミュニティを維持するために、地域の方々が自ら立ち上げた商店だそう。

▲ 「まねきショップ」と日和山

その先には、震災遺構・旧門脇小学校。

▲旧門脇小学校

◆ 石巻〜女川

もともとのプランは、女川で昼ごはんを食べ、少し散策してから、輪行で仙台へ戻ろうというものでした。が、毎度毎度の計画性のなさにより、女川散策どころか、14時55分の列車に間に合うよう女川にタッチできるかどうかすら、怪しげな状況となっております。
万が一間に合わない場合は、万石浦のほとりを走った後、一つか二つ手前の駅から輪行で戻るしかありません。
一つだけ幸いなのは、この先女川までは、北西からの強風が背を押してくれること。

東へ向かってひたすらペダルを踏んでいくと、道路沿いには数多くの墓石が、海に向かって建てられています。
旧北上川の東岸にある渡波地区もまた、津波で甚大な被害を被った場所です。
やがて、湖のような内湾・万石浦が姿を現しました。この辺りの穏やかな風景は昔から好きです。ただ、この道は交通量も少なくなくて、小径車で走るには少し神経を使いました。

▲ 万石浦

背後からの強風の助けもあり、なんとか女川駅にはタッチできそうです。

わたしが記憶している女川は、町外れに小さいながらも旅情に満ちた頭端式の終着駅があり、ここから幹線道路沿いに古い商店街が続いていて、それが海に行き当たるところに活気あふれる港があり、沖合の島々への渡船や釣り客で賑わっていたものです。東日本大震災の津波は、それら全てを破壊し、多くの生命を奪っていきました。
町の主要な機能が高台へ移転したことは予備知識として知っていました。その一つである地域医療センターが見えています。女川駅もその先にあるようなので、短い坂道を登っていきました。
医療センターの駐車場から、港を見下ろしました。

▲ 女川地域医療センターより、港を見渡す

今では記憶の底に微かに残っているに過ぎない、往時の賑わいを思い出して、震災によって失われたものの大きさを、歳月を経て初めて実感した気がしました。
時刻はそろそろ14時30分です。
町役場の前を通り過ぎて走っていくと、左前方に、再建された女川駅が見えました。道路を挟んでその向かい側に、新しく整備されたショッピングアーケードのような施設があり、多くの人が集っています。google mapsで調べてみると「シーパルピア女川」といって、津波に呑まれたかつての商店街に代わって地域の人々がさまざまな店をここに開き、町の復興へ向けて歩み始めているところでした。

地元の人、仙台あたりからと思われる観光客、さらには他の地域からの視察団…
海の見える高台に整備された美しい施設は、穏やかな賑わいに包まれていました。覗いてみると、海産物はとにかく安くて美味しそう。時間がないのが悔やまれます。ダイビングショップもありました。以前、ダイビング雑誌で紹介されていたショップで、わたしのダイビング仲間の一人もここへよく通っていました。東北の海には一度も潜ったことがありませんが、水中の旅をテーマに、またこの地を訪れるのも、悪くないかもしれません。

この新しい小さな町を守り発展させていくのは、決して容易ではないかもしれません。でも、少なくともわたしの目には、地域の皆さんの想いがこもった魅力的な町と映りました。少し時間をかけて、一軒一軒の店を見てまわり、おいしいものを食べたり、何か記念になるものを買ったりしたいのですが、まもなく列車が出る頃合い。自分の計画性のなさがつくづく嫌になります。駅前広場にある足湯に入る時間すらなさそう。
ブロンプトンを畳み、女川駅ではsuicaを使えないので自販機で切符を買っていると、折り返し前谷地行きとなる2両編成のディーゼル列車が入線してきました。高校生やシニア層など、思いの外、多くの人が降りてきて驚かされます。

▲ 女川駅

折り返しの列車も、先ほどシーパルピア女川にいた他地域からの視察と思われる人たちなども含め、車内は賑やか。先ほど走り抜けてきた万石浦の沿岸を経て、石巻までのんびりと、約25分。

石巻で仙石線に乗り換えます。車窓から見る空は、昼過ぎまでは猛スピードで流れていた雲が姿を消し、初春の日差しが海面へ降り注いでいました。

松島からは観光客が大勢乗り込んできて、近郊列車の趣となった列車は、塩釜、多賀城、宮城野区を走り、17時少し前に仙台駅の地下ホームに到着しました。

◆酒場放浪記@仙台

風は強かったものの比較的温暖だった一日。冬物のジャージーとパーカーの下は、結構汗をかきました。シャワーを浴びて着替え、夕映えの街を歩き出します。
飲みにいきたい店が2〜3軒ありますが、その中で、コロナ禍の少し前に一晩だけ仙台に泊まった際に寄った、南町通の料理屋へ行ってみることにしました。日本酒の品揃えが豊富で、料理もおいしく、大将や女将さんも適度に話に付き合ってくれて、一人でも楽しめるお店でした。
この界隈は、かつて仙台赴任中は公私共に用事が多く、よく来ていたところ。オフィス街なので平日は賑やかだが、週末は静かでした。なので予約なしでもさっと入れるだろう、という魂胆です。
少し寄り道や回り道をして昔を懐かしみながら、目指すお店に行くと、案の定、空いていました。すみません、土曜は暇なので油断していて…と、大将が急いで突き出しの用意にかかってくれます。
以前、自分がこの辺りで仕事していたことを話して、最近の様子を訊くと「この辺りは、もうオフィス街じゃないんですよ」とのこと。オフィスは駅に近い新しいビルへ移転したり、或いは仙台から引き揚げて東京の本社へ機能集約されてしまったり。近くにあった大手ハウスメーカーの支店ビルも売却されてしまったそう。
「最近増えているのは、タワマンと駐車場ばかりですよ」と女将さんが苦笑していました。タワマンの住民は、このような料理店の客にはなりにくいとのこと。
それはともかくとしまして、東北各地の地酒と共に、種類豊富な一手間かかった刺し盛り、そろそろ出始めという山菜の天ぷらなどを堪能。話しているうち、大将がわたしと同じくジャカルタで働いていたことがわかり、当時の思い出話にも付き合っていただきながら、2時間ほどかけておいしい料理とお酒を愉しみました。

もう一軒くらい行ける頃合いではありますが、けっこう飲みました。少し歩いて酔いを覚ますことに。
近くの一番街アーケードに入ると、昔からある書店の店頭に、4月30日をもって閉店するとの張り紙が。こういう古い紙のいい匂いがする書店が消えていくのは、時代の趨勢とはいえ、残念でなりません。

もう一軒入ろうか、どうしようか、と迷いながら徘徊するうち、歩き疲れてきました。今夜はホテルの大浴場で脚を伸ばし、明日は早起きして仙台朝市でも覗きにいきましょうか。

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ここまでお読み頂き、ありがとうございました。翌日は、仙台市内をぶらぶらし、被災地の飲食店が集まるイベントを訪問します。よろしければ続きもご笑覧下さい。

▼これまでのローカル線とブロンプトンの旅は、こちらにまとめております。

わたしは、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ブロンプトン&ローカル線の旅のほか、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。

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