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地方都市の新たな魅力に出会う ブロンプトンとローカル線の旅#6 大糸線で生まれ故郷へ③

2022年11月、ブロンプトンと一緒に、大糸線の旅と沿線のポタリングを楽しみながら、生まれ故郷の大町を50年ぶりで訪ねた記録です。大糸線で糸魚川から白馬へ。白馬からはブロンプトンで、ジャンプ競技場、仁科三湖、若一王子神社などを巡って大町市内へ。そしてこれから大町の酒場放浪記ですが…

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◆ 大町名店街の夜

…宿泊している旅館近くに何軒かの店がありましたが、どうも食指が伸びず。
駅前商店街で目星をつけていた店は、1軒は騒々しいグループが入っていったので忌避、もう一軒は予約で満席。
商店街の一本隣りに、小ぢんまりとした昔からの飲食店街もありましたが、すっと暖簾をくぐれそうな店が見当たりません。

せっかくの生まれ故郷訪問なのに、今宵の酒場放浪記は外れ?という嫌な予感がしました。

そこで、駅から少し離れた「大町名店街」という古いアーケード街へ行ってみました。

メイン通りの横丁のような、車一台通るのがやっとという感じの、道幅の狭いアーケード街。かつては週末のたびに賑わいを見せたのでしょうが、今では多くの店が閉業し、シャッター街と化しています。
しかし、昭和レトロな看板も残り、天井から青色の照明が吊り下げられ、少し妖しげな、数十年ほどタイムスリップしたかのような独特な雰囲気があります。

時刻は午後6時を少し回り、数軒の飲食店が暖簾を出していました。
その中で一番すっと入りやすい雰囲気の店の暖簾をくぐり、カウンターに座りました。奥の椅子席で二人連れがメニューを覗き込んでいるだけで、店内はまだ空いています。
若い大将と店員の二人が、元気に応対してくれました。

生ビールをグラスで頼み、取り敢えず喉を潤してから、鳥セセリのポン酢和えと冷奴を肴に、地酒に移行。大町には3軒の蔵元があるとのことで、大将にそれぞれの特徴など伺って、まずは旨口の北安大國を温燗で。ベタベタした甘さではなく、コメと麹の旨みがしっかり出てる感じ。

続けて、辛口の金蘭黒部の冷酒に移行しようか、というところで、隣席に、仕事帰りらしき30代と思われる男性が腰を下ろしました。
常連のようで、大将や店員と親しげに話しています。
やがて、その人が私に話しかけてくれ、会話に混ぜて頂きました。
Aさんというその男性は、大学を出た後、しばらく中京圏に本社のある商社の営業マンとして働き、その後、親戚の経営する自動車関連の会社の後継者としてUターンしてきたそう。
大町へ戻って来たがっている友達もいるけど、こんな町でしょ、家業を継ぐとかじゃないと、仕事がないんですよ。と、Aさんは言います。大町市は移住促進に熱心な自治体と理解しています。でも、リモートで働けるIT系職種などはいいけれど、極端な逆三角形の人口ピラミッドでは、介護以外のリアルな仕事は見つけにくいのだそう。
これからのEVシフトの中で、自動車業界も、裾野が広いだけに大転換を迫られる人が多いことでしょう。Aさんの会社もまた例外ではなく、関連事業も始めたりして生き残りを図っているといいます。

話しているうち、お互いに福島県に住んでいたことがあるとわかり、さらに話が盛り上がりました。福島の地酒の話とか…
その当時、私がやっていた店舗開発の話などすると、Aさんは実に興味を持って聞いてくれました。この話をこんな熱心に聞いて貰えるのは、ここしばらく経験がない。自分の会社を育てるためにどんなことでも吸収しよう、という直向きな姿勢が素晴らしい人だ。

ー 私たち、仙台出身なんです。

背後の席に座っている女性二人連れから声がかかりました。長野の地域活性化プロジェクトのために活動しているタレントだそうで、名刺を頂戴しました。この地域ではそこそこ有名人のよう。
店の若いスタッフも会話に入ってきました。彼は関西の大学を出て、いったん就職したものの辞めて、大町へやって来たそう。大将の下で、この土地でのこれからの生き方に迷いも持ちながらも、目の前のたこ焼きを真剣に焼いています。
話は尽きず、気がつけば時刻は23時。
かれこれ5時間も、この土地で暮らし、活動する魅力的な人たちとの会話に花が咲き、中ジョッキ、日本酒3合、テキーラ、梅酒を飲み干していました。

Aさんに見送られ、人気のない薄暗い商店街を宿へと、ゆっくり歩いていきました。
駅前広場から見上げると、大気は澄んで、星が素晴らしく鮮明に広がっています。
その満天の星空の下、今日出会った皆さんに、そっと心の内で頭を下げました。
皆さんのおかげで、50年ぶりの帰郷は、忘れえぬ旅になりました。

◆ 大町の朝〜山岳博物館

翌朝、上空は厚い雲に覆われ、所々青空が覗いているものの、山々は姿を隠しています。
素泊まりなので、朝食を調達しに、国道沿いのコンビニへ足を運びました。通りに人影は少なく、家々の佇まいは古びています。
歩道に舞い落ちたイチョウの葉を、町内の人達が総出で掃き集めています。私が育った町でも昔あったな、日曜朝の町内清掃…と思い出します。あの頃は、町内清掃は小中学生の役割でしたが、目の前の人達は殆どが50歳以上。
古い民家から出て来た年配の奥さんが、おはようございます、と見知らぬ旅人にも挨拶してくれました。

チェックアウトでは、また呼べども呼べどもカウンターに誰も姿を現さず、部屋の掃除をしていた仲居さんを捕まえてきて、代金を精算し、プロンプトンに乗って出発。
今日は、15時少し前に松本を出る特急に乗る予定。それまでの予定はハッキリ決めていませんが、穂高あたりまではブロンプトンで自走するつもり。

まず、高台にある山岳博物館を目指しました。ここは雷鳥やカモシカの飼育もしています。
市街地からは結構な急勾配。小径車にはつらい。たまらず足をつきました。
登り切った駐車場からは、大町市街が一望のもとに見渡せました。山々に雲がかかっていなければ、もっと良かったんだろうな。

▲ 山岳博物館からの大町市内展望

北アルプスに生息する生き物の剥製や、登山史にまつわる展示を見て、既に冬毛に生え変わった雷鳥の飼育コーナーなどを見学。

急坂を下り、市街地には戻らずに、旧千国街道を南下。
山の端の、軽くアップダウンを繰り返す道は、このエリアへ走りに来るサイクリストの定番コースだそう。昨晩、Aさんも「地元に住んでると、どこがいいのかと思うんですけど、みんな走りに来るんですよね」と言っていました。
しかし肌寒い曇った初冬の朝とあって、自転車の姿は見えません。

◆ 50年ぶりの生まれ故郷は…

このエリアにも、アウトドア好きな家族が住んでいると思われるウッディーな一戸建てが散見されます。
小学生くらいの男の子と、そのお父さんが向こうから歩いて来ました。彼らもまた、見ず知らずの私に挨拶してくれました。

地域の誰もが見知らぬ相手にも挨拶してくれる土地に、時々お目にかかります。見知らぬ人への声がけは、防犯の目的もあることは理解しています。そうとわかっていても、この土地の人たちは、互いに気遣い身を寄せ合って暮らしているのだな、と感じずにはいられません。

故郷は遠きにありて思うもの、と言います。五十数年前に私が生まれたこの町が、いつか骨を埋めに戻るところなのか、正直言ってわからない。極端な逆三角形の人口構造で、この先急激かつ大規模な人口減少が避けられない小さな地方都市が、明るい将来展望を描くのは容易ではないでしょう。雄大な山岳の景観に恵まれているけれど、他に特筆すべき地域資源は何か。北に白馬、南に松本と安曇野というブランド力のある地域に挟まれています。立山黒部アルペンルートの入口と言っても、多くの観光客にとって、大町は通過地点に過ぎないのではないでしょうか。
しかし、この町で出会った人達は、心暖かな優しい人ばかりでした。
会う人全員に自分の出自を話したわけでもないのに、誰もが私の帰郷をそっと迎えてくれるかのように、故郷の穏やかな言葉で語りかけてくれました。
生まれた土地の人達と、50年以上の年月を経て繋がることができたのが、素直に嬉しかったのです。

国宝の仁科神明宮に到着。境内に林立する杉の巨木に圧倒されます。

▲ 仁科神明宮

お参りして御朱印を頂き、まだ時間はあるので、穂高の碌山美術館まで走ることにして、ナビを設定し走り出しました。
下り基調の道を飛ばしていくと、やがて県道にぶつかります。
そこはちょうと大町の南の市境でした。
改めて北の空を降り仰ぎました。雲の切れ間から、鹿島槍ヶ岳の頂が顔を覗かせていました。

▲ 大町市の南境より

京都へ戻って程なくして、私は初めて「ふるさと納税」というものをしました。
数日後、三つの酒蔵の地酒と、濃厚な甘酒と、木崎湖の畔で採取されたニホンミツバチの蜂蜜が、故郷から届きました。

                ◼️ ◼️ ◼️

最後までお読み頂き、ありがとうございました。これからも、ブロンプトンを連れて地方都市やローカル線を訪ねていきたいと思います。

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私は、2020年に勤務先を早期退職した後、関東から京都へ地方移住(?)しました。noteでは主に旅の記録を綴っており、ロードバイクで北海道一周した記録や、もう一つの趣味であるスキューバダイビング旅行の記録、また海外旅行のことなども書いていきます。宜しければ↓こちらもご笑覧下さい。


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