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日々の葛藤。新たな一歩へ。私のバイト時代⑤不登校、引きこもり、フリースクール、非行を経て、国家公務員へ

時系列で書いています。
ここに今までの事を書いているので
興味のある方は是非読んでみてください😊

とうとう精神がプッツと切れる出来事に遭遇しました。
体調は最悪でしたが、、
いつも通り先輩達とパンをねじっていた時の事。

パンを捻りやすくするために
パン生地を入れるローラーの機械があったんです。
そこで60代のおいちゃんはパンの生地を
いつものようにいれ、そのでてきたパンを
4人で捻る作業をしていました。

突然『あーーーいたい。いたい。いたい。』という
おいちゃんの悲鳴がこだましました。
機械の方を見るとおいちゃんの
右手がローラーに挟まっていました。

何でかはわからないけれど、
3分くらい前に
機械のここに非常ボタンあるんだ。と
見てたんです。

皆、呆然とその光景をみて立ち尽くす中、
「あっ、非常ボタン」と思い
気づけば、私は全速力で走り出し、
非常ボタンを押していました。

止まった機械。

男の人達で、ローラーをこじあけ、
おっちゃんの手が出てきたら
その手はぺちゃんこになっていました。

いたい。いたい。というおじちゃん。
潰れている手。
病院に連れて行きますという先輩。
その光景をただただ呆然と隣で見ていました。
それからは何をやっても上の空。
ショックだったんだと思います。

一週間後、別の先輩が同じ機械で
手を挟み骨折していました。
たまたまその日は私はお休みでした。

次の日先輩の手を見て驚き、
『どうしたんですか?』ときくと、
『〇〇さんと同じ機械で挟んじゃった』と言うんです。

先輩のぐるぐる巻きの包帯を見て
あの時のおいちゃんの手が脳裏に浮かびました。
忘れようとしたけど脳裏に
こびりついて離れない。

その時、なんでかわからないけれど
『あっもう私無理だ』と
張っていた糸が頭の中で
プツンときれました。
それから、数日間は上の空で仕事を
していました。

そんな日が続き、
家に帰り、母に、この前の出来事
先輩の話をしました。

そして、私はもうここでは働けない。
おいちゃんや先輩の手が
脳裏に焼き付いて離れない。
機械を見るのが怖い。

なんでそんなことで、、と
思う方もいるかもしれません。
でも当時のわたしには
張りつめていた糸が
突然プツンと切れて
どうしていいのかも、
分からなくなっていました。

先輩達には沢山お世話に
なった。
沢山教えてもらった。
でもこのままここで
一生を終えたくない。
数日間上の空で仕事をして
何も得るものはなかった。
これは逃げに繋がることかもしれない。

学歴もない、資格もない。
今やめたからと言って
なんになれるかはわからない。
雇ってくれるとこは限られる。

だけど、なにか別の仕事をして、
たくさん学んで、
次につなげたい。
これから生きていく上で
色んなことを経験して、
自分の価値をあげていきたい。

高校に行ってない。

その時点で高校をもうすぐ
卒業する子達に負けているのはわかってる。
でも、その子達には私は絶対負けたくない。

勉強は全然できないけれど、
これは逃げに繋がるかもしれないけれど、
どうにか自分の価値をあげたいんだ。
だからもう辞めさせて欲しい。と伝えました。

母は、『ひーろは2年前とは見違えるほど
成長したと思うし、一生懸命頑張ったよ。
私はひーろがひとつ乗り越えたとおもってるよ。
だから、ひーろが勤め出した時
人間関係が嫌だから
辞めたいとか、言ってたから、
私は止めたけど
今回はそうじゃないと思ったから。
その思いと考えがあって、
次のステージに行きたいのなら
私は全然辞めていいと思う。

今から自動車学校に行って、
免許とって、次のバイトして、
やりたいことを見つければいいよ。
と言ってくれました。

私の心の中は辞めると決めてしまって、
次の日の朝すぐ会社に電話をしました。
『私もう辞めます』と。

社長の奥さんは
『そんな急に言われても辞めれるわけないでしょう。』と
言われましたが、
『もう無理なんです』と電話を切ってしまいました。

社会人としては失格だと思います。
でももう会社に行けなかった。
行こうとしても身体が動かなかった。

後日お世話になりました。と
手紙を書き、郵送しました。

爛れた手は自然に治っていき、
体調も治っていきました。
多分、ストレスだったんだと思います。

そのすぐ後、これからどうしようと
人生を模索していた時、
母から、渡された一冊の本で私の人生は
景色は一変するのでした。

これは後日談です。
数年経ったある日
たまたま優しい先輩に会った時のこと。
突然辞めてしまって、
私は気まずくて、
でも謝らなきゃと思って、
先輩に謝りました。

『沢山、迷惑をかけて、お世話してもらったのに
突然辞めてしまって、すみませんでした』と。
『ひーろが抜けてあの後大変だったけど
いいんだよ。』と顔を見ると、
先輩は優しく笑っていました。

先輩におじちゃんはあの後、
言っていたそうです。

『僕のせいで、ひーろちゃんやめちゃったのかな?』
『ひーろちゃんがあの時ボタンを
押してくれなかったら、
僕の手はどうなっていたか。
すごく、感謝してる。
でも僕のせいだったら申し訳なかった』と
言っていたよ。と教えてくれました。

おいちゃんのせいではないんです。
先輩にもそれは伝えました。

辞めるきっかけにはなったかもしれないけれど。

私はあの時は辞めたい。負けたくない。で
いつもグルグルしていて、
体調も悪かった。

17歳なのにいつも栄養ドリンクばかり
飲んでいたし、薬も沢山飲んでいた。

今でもおいちゃんのせいではないと
思っています。
私の気持ち、身体のせいだと思っています。

おいちゃんは私をいつも心配してくれていました。
いつも美味しい手料理を作っては
会社にもってきてくれ
食べさせてくれました。
愛情たっぷりのご飯とても美味しかったんです。
おいちゃんには今も元気でいてほしいなと思います。

社長や奥さん先輩達にも
申し訳ないことをしてしまいました。
どこにも雇ってもらえない私を拾ってくれて
恩を仇で返すようなことをしてしまった。

いつか会えたとき、そのときはちゃんと謝りたいです。

でも、この2年で私は成長することができました。
お金を稼ぐのは楽なことではない。と。


辞め方は最悪だった私がいうのは
おかしいのかもしれません。

でもこれを見てくれている人たちに
そして子供達に伝えたい。

自分自身と葛藤して、闘って、
一生懸命何かに取り組めば
得るものは絶対あります。

そして、ほんの少しでも自分を好きになれます。

生きることって時には困難で
難しい事だと思います。
産まれた時から培ってきた、
性格を治すのも容易いことではないです。
生半可な気持ちでは治りません。
私も10年近く模索しています。
だけど、まだまだ理想の自分には程遠いです。
でも、少しは近づいているとも
思っています。

変わりたいと真剣に思い、
自分自身が真剣に自分に向き合えた時、
得るものは絶対あります。
それは人によって違うかもしれません。
私は人に目を配れるようになりました。
自分が一生懸命取り組めば取り組むほど
不思議と相手を思いやる気持ちがでてきました。

そしたら、自然と誰かが、横からスッと
手を差し伸べてくれるようになりました。
私は結局1人だと思っていた約10年前の私。

今はどんな暗闇にいても、トンネルの中にいても、
誰かが私をそこから
連れ出してくれるようになりました。

そして、そんな仲間が増えていくと、
大嫌いだった自分のことを好きになれました。

そしてそれは不思議と自分の自信にも繋がりました。
このnoteをみて、
こんなみっともない、情けない、
逃げてる、人に迷惑かけといて、
矛盾だらけじゃねーか。
と思う方も
中に入るかもしれません。
でも、これが私です。
過去はどうやっても変えられないから、
前だけ向いて進んでいく。
今日ひとつでも学べたのなら
それでいい。
今日の出来事でなんかひとつでも
自分よ。成長しててくれ〜って
いつも私は願ってます。


こんな奴でも、きっかけや
変わりたいと思う気持ちで、
生きていけるのだと
自分を好きになれるのだと
少しでも思ってくれる人がいてくれればいい。
そして、こんな人が変われるなら私もと
思っていただければ幸いです。

私は、僕は、ひーろとは違う。と思う方もいるでしょう。
でも、違って当たり前だと思います。
みんな顔が違うように一緒の人っていないと思います。
だから、あなたにはあなたにしかできないものがあって、
その中にはわたしにはできない事があるし、
何かを成す為にあなたはこの世に生を成した。
私とは違う使命がある。とも思っています。

変わりたい。いつかそう思える日が絶対来ます。

だから、そのチャンスを自ら手放すことだけは
お願いだから、絶対にしないで欲しい。

今日も読んで下さりありがとうございました。

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