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バイト人生の幕開け②〜不登校•引きこもり•非行を経て国家公務員へ〜

時系列で書いています。
ここに今までの事を書いているので
興味のある方は是非読んでみてください😊


不登校になり引きこもり、
非行にはしり
完全なる逆転生活に
なっていた私は、
朝起きる練習をするため、
早朝から母の新聞配達を手伝うことにしました。
母と私、タントに2人で乗っていき、
母が運転をして、
私が新聞をポストにいれる。
雨の日はひとつひとつ新聞を
ビニールに入れて、
走ってポストへ入れる。
という事を2年間くらいは続けました。

新聞配達が終わり、
郵便局に向かう毎日でした。
フラフラしていた人間が
ここでようやく少しは覚醒しました。

郵便局のアルバイト初日。
『年賀状の仕分け作業』かと思いきや、
年賀状をイオンで販売する方に配属されてしまい、
『えっ?仕分けじゃないの?
人嫌いなのに。人苦手なのにまぢか。』と
戸惑ったのを覚えています。

最初は戸惑いましたが、
少しずつ慣れていきました。

嬉しいことも沢山ありましたが、
落ち込むことも多々有りました。

年賀状はいつもペアで売っていました。
だけど、わたしだけ、
簡単な計算もできない。
アタフタする。
領収書書くにも、田中という
漢字書けないから、お客さんに
『漢字も書けんのか〜、小学生からやりなおしてこい』
と苦笑いされたこともありました。
『なんで書けんのか〜、もういい借せ。俺が書く』
ときれられたこともありました。
本当、あの時は自分の無知さを痛感しました。
あー私ってやっぱ馬鹿なんだ〜と。
家に帰り落ち込みました。
勉強とか言われても、今更できないし、
馬鹿は馬鹿のままなんだと
その当時はいつも諦めていました。
中学の同級生が真新しい冬服を着て
買い物に来ていた時は、
隠れるようにトイレにいき、
『大丈夫。大丈夫。』
と自分を落ち着かせていました。

私はお客さんに嫌事を言われた時も、
同級生に会った時も、
『負けたくない、負けられないんだ。
人に、世間に、自分に。』と心の中で
呪文を唱えるかの如く、、
毎日毎日言い聞かせていました。
沢山沢山負けたから、これ以上負けたくなかったんです。

お客さんに馬鹿にされ悔しくて
家に帰りひとりで泣いたこともありました。
辞めたい、辞めたいと思う気持ちを
母や祖母をもう泣かせたくない。
負けたくない。。
もう毎日毎日、必死で自分と闘っていました。


でもその一方で人の暖かさにも触れました。

アルバイトを始め、
『今年の売り上げはすごいよ〜ありがとう』と
上司に褒められお礼を言われたことがありました。
不登校になり、人に褒められた事が、
あまりなかった私は、
人に感謝され、人に褒められた事が
その時は本当に嬉しくて、嬉しくて。
涙をグッとこらえ、『ありがとうございます』と
一礼をし、笑顔で答えていました。

その後も
『笑顔がいいね〜』
『元気がいい、10枚もらおうかしら』と
沢山のお客様に声をかけて頂き、
『あー私、ここにいていいんだ。』
大袈裟かもしれないけれど
『私、生きてていいんだ』と不登校になり、
始めてそう思いました。
人の暖かさに優しさに触れたから、
1ヶ月半やり切れたのだと思います。

たかだか1ヶ月半じゃん。と
思うかもしれません。
でもあの1ヶ月半は私にとって、
今働いている1ヶ月半とは
比べ物にならないくらいの、
自分との戦いでした。


郵便局のアルバイトは
雑誌の編集者でライターをしていて
入院を機に退職したという人。
鮮魚店で働いていた人。
アパレルで働いていた人。等々
今まで会った事もない様々な大人の方と
喋るのはすごく楽しかったし
社会の一員になれたようで嬉しかったです。

時には怒られる事もありましたが、
そのバイト時代に一つ印象深いことがあって、
今でも実践させて頂いてることがあるんです。

それは女性4人で
仕事の打ち上げをした時のこと。
私は当時16歳、
打ち上げなんて初めて誘われたから、
よくわからず、お金を一万円札しか
持っていかなかったんです。
ご飯を食べ終わり、お勘定ってなった時に
『これみんなで割り勘ね〜』と
言われ、財布を見ると一万円札しかない😅

どうしようとオドオドしていると
それに気づいたのだと思います。
財布を覗き込んだ、
先輩に怒られました。
『一万円札を事前に両替しとくのは社会人の常識よ。
次からは両替して打ち上げに行かないかんよ。
お金は立て替えとくから、後で返して〜』と。
お叱りを受けました。

そこからもう10年弱経ちますが
今でも守るようにしています。
皆からすればそれは当たり前のことなのかもしれません。
社会の常識が全くわからなかった私に、
あの時、馬鹿にせずちゃんと教えてくれた先輩には
感謝しています。
なんにもわからない私に、ひとつひとつ
あーだよ。こーだよ。と御指導いただいた
先輩達に今でも感謝をしています。

675円の時給で1ヶ月半働き、
初めて貰ったお給料は
13万5000円。
はじめて給料明細をもらった時
辛かった事が全部夢だったかのように、
めちゃくちゃ嬉しかったですね。

そのお金をもらって、
いつも泣いていた母を笑顔にしたくて、
仕事おわり、DVD屋さんと花屋さんに向かいました。
当時母が大好きだった
花より男子ファイナルのDVDを求めて
店員さんにプレゼント包装をしてもらい、
花屋により、花束を作ってもらい、
家路につきました。

家に着くや否や、
母が仕事から帰ってくるのを待ち。
そうこうしていると、母が帰宅し、
すごくぶっきらぼうに
『これあげるよ』とプレゼントを渡しました。
母は大喜びをしていました。
『高かったろ?😊初給料なのに、いいの?
えっ嬉しい😊ありがとう。お花もきれいだね〜。
お金使わせちゃってごめんね』と
散々私は迷惑かけたのに、
こちらこそごめん。と心の中で思いながら、
口には出せませんでしたが、
久しぶりに満面の母の笑みを見ました。
『あっぜんぜんいいよ』と
表情には出さなかったけれど
すごくその時は嬉しかったんですよね。

これが私が不登校になって、はじめての
親孝行だったと思います。

でも、ピアスだらけで腕に卍が入った
金髪の少女が、、覚醒したのは束の間でした。

16才1ヶ月半の私の、
初バイトはこうして、幕を閉じました。

ある昼下がり、
ライターだった先輩とペアで仕事をしていた時の事。
『ひーろって要領いいよね〜』とさらっと
言われた、あの一言が、褒め言葉ではなく、
嫌味だったんだ。というのを、
痛感するのは、少し後のお話になります。

noteを書き出し、
最近自分の人生を振り返る時間が増えました。
忘れ去りたかったけど、消し去りたかったけど
誰にも知られたくなかったけれど、、
成人式も、中学の卒業式も、高校も、
出たかったなぁ〜とか考える時もあります。
自分が思い描いていたものとは全く違うものに
なってしまったけれど、、
こうして皆様に暖かいコメントを頂き、
noteをはじめてまだ1ヶ月経っていませんが、
『この人生でよかったな』と
今は胸を張って言えます。

母は今日も電話越しで
今日あった話を楽しそうに話していました。
父には先日お中元でビールを贈っていたので、
今日着いたらしく、ラインが来ていました。
『ひーろちゃん、今、ビールもらいました。
ありがとう🙇ありがとう😭すんません🥺』と。
少しでも父と母が楽しそうにしてくれている
喜んでくれている
それだけでも、本当によかったと思えます。

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