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映画『あちらにいる鬼』

我ながら多動だと思うけど、来週行けるかわからないので、小説を読み、映画化を知った時から観たかった『あちらにいる鬼』を、公開初日の初回に観に行った。

豊橋の良いところは、東京と違って観たい映画がよほどじゃないと行列にならず、初日でも楽々観られる(その代わり、大都市ではやる映画がやらない時も多い)。

着いて場内を見たら、おばさんより、おばあさんが多かった(笑)シニア割引や平日の午前中(11時20分~)ということが大きいと思う。

いろいろな予備知識なしにこの映画を観た、という人と比べると、私はこの映画への思い入れが強かったので、自分の人生とこの映画に関わるみなさまとの関連(私からの勝手なつながり)を書きたい。
*めちゃくちゃマニアックな自分のための記録なので、興味を持っていただける方だけ読んでください。

映画についてザックリ説明すると、
原作小説の作者は、井上光晴さんの娘の小説家・井上荒野さん。
父・井上光晴さんと、亡くなった瀬戸内寂聴さんとの恋愛について、自分の母親との関係性込みで描き切った衝撃作。

小説刊行時(2018年9月)の当初の帯の推薦文は生前の瀬戸内寂聴さんで、
   <作者の父井上光晴と、
    私の不倫が始まった時、
    作者は
    五歳だった。 
    瀬戸内寂聴>
とある。

私は井上荒野さんは作家として好きだけど、寂聴さんは人物が好きではないので、すぐには読まなかったけど、ピンと来た時に手に取り、とても良かった。
その後、映画化が決まり、私が好きな寺島しのぶさんが主演だったので、完成や公開を楽しみにしていました。

🌟映画の公式HPはこちら・・・


さて、私にとっての登場人物の方々は、
例えば、井上光晴さんの作品は読んだことがないけれど、このドキュメンタリー映画の存在を20代の頃に知っていて、結局は観ていないけれど、監督が『ゆきゆきて、神軍』の原一男さんだったので、その原さんが撮りたい作家というのは、よほどの変人やキョーレツな人なのだろうなと思っていた。

その後、結婚してすぐに夫の希望で長崎の佐世保に行った時(夫は結婚前から全都道府県の競輪場巡りをしていて、佐世保競輪場目当て)、佐世保にゆかりのある作家として街の中で名前が出ていたのが、「井上光晴」(出身地ではないけど佐世保育ち)「村上龍」「佐藤正午」だった。
*そこに私は独自に「内田春菊」も加えていたけど、内田春菊は長崎市出身。いずれにしても、佐世保の出身者はいい意味で個性が強いなあと思っていた(知り合いのシェフにもいらっしゃいますw)。

その時目にした島や海や、でっかい造船所の風景、クリスマス・イヴの本物の教会のミサなどが独特な空気感とともに脳裏に刻まれた。

そして、娘の井上荒野さんの作品で言うのなら、この『ベーコン』が大好きで、この短編集には、美味しそうな食べ物と、不倫(という言葉は好きじゃないけど)の男女が出てくる。
この小説は、本当に巧い!!
ハードカバーの装丁も好きで、文庫ではなくハードカバーを買い直したほど。


そして、瀬戸内寂聴さんの作品もいくつかは読んでいて、いわゆる「子宮作家」のレッテルを貼られた『花芯』も持っているけれど(私も子宮が出てくる小説を書いているので、昔はたいへんだったんだなあとか、寂聴さん(瀬戸内晴美さん)のおかげで切り拓かれた分野だったんだろうなあなど思った)、私はこの『夏の終り』が好き。満島ひかり主演で映画化もされました。

そして、『あちらにいる鬼』主演の寺島しのぶと、監督の廣木さんの、初期のこの映画も大好きだった。
大森南朋が金髪のトラック運転手で、チョーかっこよかった。

2人がまだ、おにーちゃん、おねーちゃんだった頃

ちなみに、原作の赤坂真理さんの『ヴァイブレータ』も好きというか、自分自身が小説で新人賞に残り、当時デビューするような作家たちに特別な関心があった。『文藝』が「J文学」というワードを流行らせようとした頃の印象的な作品。


本が出る前の、2018年6月のインタビュー記事
(これぞ小説や映画の前の実話なので、生々しくてとても良い)

寺島しのぶさんは私と同学年にあたり(大学時代に知り合った友達は高校も部活も同じだった)、デビューの頃から見てきたし、私の2冊目の『赤土に咲くダリア』の帯の推薦文の筆者としてほとんど決まっていたのに、重松清さんになり(とてもありがたいことなのに)、本の出版後に、自分の思いで寺島しのぶさんには読んでもらいたくて、本をお送りしたことがあった。同封した手紙に自分のメールアドレスを添えておいたら、ご丁寧に感想のメールをくださった。
同様に、推薦文候補だった映画監督の河瀨直美さんにも当時本をお送りしたら、河瀨さんも直筆のお葉書をくださった。
*女優のともさかりえちゃんには、自分の思いで送ったら、ブログで紹介したりメールもくれて、舞台に招待してくださったり、りえちゃんとは今も友達。ありがたいことだなあ~~

と、ここまでですでに長いけど(2000字(笑))、映画の音楽担当のベーシスト鈴木正人さんも、UAのデビューアルバム(1996年)の頃から知っていて、菊地成孔さんのバンドに参加した時は、名古屋のブルーノートまでライヴに行ったし、つくづく「好き」はつながるし、自分がイイ!と思った人が今も活躍しているのはとてもうれしい。

映画は、瀬戸内さん役(小説、映画上は長内さん)の寺島しのぶ、井上光晴さん(小説上は白木さん)役の豊川悦司、妻役の広末涼子の演技が圧巻だった。全員どアップに耐えうる演技力や肌がきれいだった。

冒頭で書いた通り、私は寂聴さんが好きではないので(それは、4歳の娘を置いて駆け落ちしたというのがどうにも・・・。いくらその後や出家後が良いとしても、その過去があったからこそにしても)、寺島しのぶの演技に寂聴さんを感じた時は、最初は嫌悪感を持ってしまった。
でも途中から「乗り移ってる」としか思えないような寺島しのぶの演技に感心し、のめり込んで観た。

映画で描かれる白木と長内の恋愛が、どこまで井上と瀬戸内の実話を反映しているかはわからないけれど、不倫に対しては特に感情がないけれど、どちらも節操がない、ダラシナイと感じられる部分については観ていて苛立った。
ただそうなると、白木の妻の聡明さや冷静さが、存在感を持って浮かび上がり、なんとも稀有な三角関係だったんだなと思う。

原作を読んだり、井上光晴自身の写真を見て想像していた白木は、背が低い印象だったので、豊川悦司みたいな長身は、本来はミスマッチだろうなあとは思った。
カッコいいのにコミカル、というよりは、コミカルなのにカッコよく見えてしまうちんちくりんでエネルギッシュな男が、私の思う井上光晴であり白木だった。豊川悦司みたいにロングコートが似合っちゃう人では良くないんだけど、それでも、人間くささが出ていて、良かったと思う。
女から見てかっこいい男より、かわいそうと思ってしまう男の方が、放っておけないんだろうなとも感じた。

寺島しのぶも、いつもそうだけど、生身の人間だった。
時に神々しく見えた。

私は元々常識にとらわれずに生きてきたけど、70歳以上の、恋多き人生の男性と話すことも多く(結婚している、結婚していない、離婚歴あり、離婚歴複数)、人生の終盤を迎えると、結婚も不倫も関係ない、生きているうちに、身体が動くうちに、愛し愛されて生きる、愛し愛されて生きた素晴らしさを感じさせてもらえる。

ただ生きて死ぬ、ということを、人間はややこしくしてしまうのだけど、幸せに生きていきたいよね、幸せだったと思いたいよね、って思う。

まだ未婚だった時の20代の寺島しのぶ主演の『ヴァイブレータ』から時が経ち、寺島さんも私も結婚や出産や育児を経て、同じ監督での『あちらにいる鬼』で、40代~更年期以降の役を演じていたことも、なんだか感慨深かった。

作品も、役者も、監督も、みんな年を取る。
どんな人も、どんな人生も、必ず終わりが来る。

私にとっては、自分自身が小説というものに取り組んだ20代から、いろいろな恋愛も重ねて、同時代で追ってきた小説、役者、映画をすべてつなげての今日の映画で、感じるものが大きかったです。

映画の最初にタイトルは出ず、最後に『あちらにいる鬼』と出た時、娘の井上荒野さんがこのタイトルにしようと思った理由を想像したり、鬼とは誰か鬼とは何か、と考えたりして、再び涙が出ました。

この記事、たぶんまだ足しそうだけど(笑)、いったんこれで・・・
万人におすすめはしないけれど、気になる方は、観てください。

*ネット上の画像をたくさん拾ってきて載せて、著作権上良いのかどうかわからないけれど、すべて作品の宣伝となればと思い、このままUPします。


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