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 稀有な人 徳川家康

 スマホを機種変更するかも、しれないので、今週の投稿を、午前中にします。

 私は、司馬遼太郎さんの小説で育ってきたようなものです。
 自分の歴史観は、司馬さんの歴史観を骨組みとしている。

 司馬さんは、徳川家康については、
徳川家を自家保存するために、あらゆる手を打ってきたと、書いてある。
 大名の取り潰しなども、その一環であった。
 でも、司馬さんの小説から卒業して、
長く、他の人の著作などを、読んできたなかで、徳川家康の人生を見てくると、、家康は、戦国時代という戦乱の世
を、終わらせようとするのが、究極の目標としてきたのではないか、というのが、現在の私の徳川家康観である。
 家康は、どうして、そんなに、豊臣家を、執拗に潰そうとしたのか、というのが、長年の疑問であった。
 家康は、自分が天下をとるために、
タヌキオヤジと揶揄されるように、
謀略の限りを尽くした。豊臣秀頼を殺したのも、豊臣家の恩顧の大名を潰していったのも、自分の家に脅威なものを、
排除していったのであろう。
 だが、自分のことだけを考えていただけでは、多くの人の支持を得ることは、
出来ない。
 やはり、家康は、心の底で、戦を終わらすという信念が、あったと思う。
 家康が、創業し、秀忠、家光が、
その思いを受け継ぎ、世の中を整備していった。
 それが、世界史でも、稀にみる、
260年、続いた長期政権になったので
あろう。

 そういう目でみれば、徳川家康という人は、稀有な人であった、といえると
思う。
 
 

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