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戦国武将と「お茶」

 人は、仕事ばかりでは息抜きができない。遊ぶことも必要である。

 戦国武将も同じである。
 戦国時代の人びとの娯楽は、囲碁・
将棋や、大鼓・小鼓・笛・尺八・音曲・
 謡といった、音楽関係のものや、和歌
連歌などもあったし、茶の湯もそうであった。
 戦国大名島津義久の重臣に、上井覚兼という武将がいた。彼は「上井覚兼日記」をのこしている。
 どのような時に上井覚兼が茶の湯を
楽しんでいたのかは、戦いが終わって凱旋してきたあと、仲間を呼んで茶会を開いていることが多い。お酒とお茶はセットだったらしい。
 織田信長、豊臣秀吉に仕え、茶人大名としても知られる蒲生氏郷の場合、
戦いが一段落すると、家臣を招き、
氏郷自身が沸かした風呂にいれ、茶の湯
そして酒盛りという流れであった。茶の湯や酒盛りも仲間同士のコミュニケーションづくりに、大きな役割りがあった。

 茶の湯というのは、招いた側、すなわち亭主と、招かれた側、すなわち客人が
同室して、茶を飲む。
 茶の湯とは、連帯感を強める場、
それが茶会であった。戦国時代のように、謀略・陰謀・裏切りが日常茶飯事だった時代、相手の心の内を確かめあう場は、必要だった。茶席は、その格好の場であり、また、自身の慰みの場ともなった。
 現代の人とお茶をするルーツでもある。

この文章は、小和田哲男先生の著作に
負うところが多いです。ありがとうございます。


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