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#014 エンディングノート書いてみたら抜けだらけ

エンディングノート意外と埋まらない問題

エンディングノートを前にして、書きはじめようとした時、意外と筆が運ばないということをご存知だろうか?

少しでもエンディングノートに興味を持った方は、「初めから完成を求めない、空欄はあって良い、書けるところから書こう。」そんな文句にたくさん出会っているかと思う。

エンディングノート講師である私もワークショップでは、そういうワードを並べるはずだ。
でも、それでも、思っている以上に、抜けだらけ。

私だけかと思ったけど、講師講座でもそんな話が出ていた。
きっとみんながぶち当たる壁なんだと思う。

事実の情報は、時間がかかっても調べれば埋まる。

名前、住所、電話番号、マイナンバー、保険、財産など、どんな面倒に思う情報も、手元に資料があればそれを見れば良い。最悪資料がなかったら、取り寄せるなどして、調べればわかる。

それも面倒だと思うけど、それをもし今、自分がやらなかったら、もっと意味が分からないであろう、残された家族がやる羽目になる。やはり揃えておくのは必要だ。

そしてこれらの事実は、時間がかかっても内容は変わらないので、いつやるかは自分次第。
それぞれ向き合って整えれば、いずれ埋まっていくはずだ。

でも、判断が委ねられている部分はどうだろう?

普段から日記を書いたり、メモを書いたり、書くことに馴染みがある私は、それでもサクサク埋まるだろうと気楽に考えていた。

でも、思った以上に埋まらなかった。
知らないことも多すぎた。


認知症になったら?→ そうだなぁ、その時家族ができる方法でやってもらえたらいいや。
延命治療?→ あ、それはわかる、無意味に伸ばさないで終わらせてほしい。

と書いた数日後、「救急車を呼ぶのは要注意」というネット情報を見た。

救急隊は、蘇生や延命を目的にしている。だから、呼ばれたら救命が仕事だ。となると、終末期のタイミングでは救急車を呼ぶこと自体が、もしかしたら本人の希望に合わなくなる場合も出てくるかもしれない。ということを知っておくことも大事。

点滴、胃ろう、輸血、心臓マッサージ、尊厳死。
まだまだ私も情報不足だけど、記した方がいい項目は、思っている以上に多いかもしれない。
これもまた後で考えよう。じっくり取り組んでいく。

yes/noなど丸をつけて終わるような項目はいいけど、これは難しいなぁ、後で考えよう。と、あれも飛ばし、これも飛ばし、結局抜けだらけのノートを前に、書き上げた達成感ゼロ。
そして正直、ノートに何の愛着も持てなかった。

本来なら、もしもの時に備えて、自分が決めたことなどが書き記してある、大切なノートになるはずなのに、さほど愛着が持てないとしたら、とても残念だ。

でも、そんな抜けだらけのエンディングノートでも、向き合ったメリットはあった。

例えば葬儀や埋葬の方法。うちは守っていくべきお墓がないので、(常識の範囲で)私のやりたいようにできる。

何も知らなかったけど、少し調べたら、こじんまり家族葬でいいなとか。

お墓はいらないし、散骨が良さそうだけど、海より山派かなぁ?樹木葬ってどうだろう?って、自分の内面と対話することでいくつか気づきがあった。

今決めなくてもいい。思いついた段階で、思いついたことを書いておけた。
そして自分の中で引き続きの問いを立てておく。

少しは知識がないと、書くものも書けない。これから少しずつ埋めて行こうと思えた。

こうして、問いを立て、日常に何度か、そういえばあの問いどうしようと思う瞬間が増えるのが、エンディングノートを書くということなのかな?と思った。

前述の救急車問題はそんな矢先、目に入った情報。

そして、意識を持っておくと、情報が目に入りやすい。
受け取りやすい。←ジャーナリングしている人ならよくご存知かと…。

こういう問いをいくつも自分に立てておく意味でも、エンディングノート一度は向き合ってみるのが良いと思う。あなたが何歳であろうと、早過ぎるということはない。思い立った日が吉日だ。


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