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音楽コラム「1987」

目次

第一話 フラワーカンパニーズの「エンドロール」
第二話 ドレスコーズの「トートロジー」
第三話 sionの「がんばれがんばれ」
第四話 ボブディランの「Like A Rolling Stone」
第五話 PK Shampooの「神崎川」
第六話 忌野清志郎の「人間のクズ」
第七話 友部正人の「反復」
第八話 曽我部恵一BANDの「街の冬」
第九話 神門の「紅しょうが」
第十話 にたないけんの「東京メリークリスマス」
最終話 田辺マモルの「プレイボーイのうた」


第一話 フラワーカンパニーズの「エンドロール」

僕は楽観的なロック育ちだけど、
憂鬱がひどいときは暗い曲ばかり聴いてしまう。自分よりも苦しんでいる(頑張っている)人がいると安心するからだろうか。
この音楽コラムの選曲も、ほとんど重たい曲か、暗い曲ばかりを紹介することになるはずだ。人生で一曲しか書けないような壮大な歌も好き。7分半とか、長い歌にどっぷりと、その世界に浸かりたい欲がある。

という訳で、今回、紹介する音楽は、
フラワーカンパニーズの「エンドロール」です。聞いたことなかったらyoutubeで検索してみてください。忍成修吾がクラスメイトに裸にされて、屋上で×××させられるという、とんでもなくバッドなMVが出てくるはず。

フラワーカンパニーズのボーカル、鈴木圭介さんは、精神的に参っていた時期があり(今はどうだろう)弾き語りでliveをしていた時代も、憂鬱な曲ばかり続けて歌って、終いには、突然マイクを頭にぶつけまくって、流血騒ぎを起こしたり。  

気が狂ったような超長いblogを書いたり。

結成当初のフラワーカンパニーズは、
アイドルバンドみたいな感じで、
事務所が売り出そうとしていて、
ポップ路線で勝負していたんだけど。
多分、鈴木さんは根が違うので、
だんだんと苦しくなってしまったんだと思う。
同期にいた、ミッシェルガンエレファントみたいな、格好いいバンドをやりたかったのに、TVに出演時も水兵さんみたいなダサいコスチュームで登場して、カラオケを歌わされていて辛そうだった。

結局、メジャーから脱落、インディーズバンドとして、日本中をツアーしまくることになった。自分たちでブッキング(ライブのスケジューリング)をやって、機材車で何百万キロも命がけで走って、liveをして、走って、liveをして、走って、その繰り返し。

その永遠に続くツアーのことを歌った曲、
2004年にリリースした「深夜高速」が、
ちょっとしたヒット曲になったので、
本当に良かったと思う、
出口があって、光があって。

深夜高速のサビは「生きていてよかった」を繰り返す。デモでこの曲を聞いたとき、バンドメンバーは、
「これを鈴木が歌うのは痛すぎる、悪いけど、この曲はボツ」と、言ったらしい。だけど、実際は、この曲が一番売れた。世の中って分からないものだよね。

そんな鈴木圭介さんが、ある日、
僕の働いていた下北沢のライブハウスに来て、
レコーディングをした夜があった。
そこにはミッシェルガンエレファントのドラムの、クハラカズユキさんも来ていて、
(この話、書いていいのかな?)
僕は営業を終えたライブハウスの、
ドリンクカウンターの中で、
まだ仕事が残ってます、みたいな顔をして、
レコーディング風景を夜明けまで見続けた。

鈴木さんは、すごくテンションが低かった。
完全にプライベートモードだったと思う。
ハーモニカを吹くだけの録音で、
めちゃくちゃブルースな演奏を、
2テイクくらい録音したら、すぐに帰った。
その後ろ姿は寂しそうだったけど、
とっても格好よくて、あんな人になりたいと思った。悲しくて格好いい人だった。
ああいう大人がいるんだっていう事実だけで、
僕は救われた気分になった。

僕は初めて「エンドロール」を聴いたとき、
心を鉄砲で撃たれたような気分になった。
ずっと言いたかったことを代弁してもらったような、次から次へと涙が溢れた。それは、

血のような涙だった。

そして、アーティストという生き方は、
絶望を絶望以外の言葉で、
死にたいを死にたい以外の言葉で、
表現することなんだと知った。
そこから僕の書く詩も少しずつ変わった。

僕も表現者のはしくれとして、
鈴木さんの背中を追いかけようと思う。
登る山は高い方がいいに決まっているもんな。

ジョーストラマーが言っていたよ、
月に手を伸ばせ、たとえ届かなくてもって。

つづく(本文11話12805文字+あとがき付き)

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