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センス::膨大知識::強烈興味

センスなんてお前が語るな、たーこ!ハゲ!顔面半分腫れてたやつ!田舎もん!凡人!でべぞ!(でべそじゃねぇし)って思いながら読んでクレメンス。センス。って曖昧なものについて少し思うことがあり書いてみる。センスは、膨大な知識でなんとなく固め作り上げることができると思っていて、それは過去に本で似たようなことを読んだからそう思うかも知れないし(とても曖昧な記憶)、自分で感じてきたことをいろいろミックスしたのかも知れない、いろんな蓄積も含めなんとなくそう思う。ただ膨大な知識を入れるには、それに見合うぐらい強烈な興味を持たなくてはならない。

(音楽はもう自分の中でいろいろ客観的にみれないので)たとえばロゴのデザインをし始めると街中の全て会社、ショップから、トイレの案内の看板(結構男女の表示が異なる)、店横に捨てられてる段ボールの印字の社名ロゴ、人が着てる服、靴、車のエンブレム、全て視界にガッツリ入ってきて、これを見る人はこういうシチュエーションで見るから、大きめに太めの線でシンプルに視認性のいいデザインにしているんだろうとか、それが使われるシチュエーションも想像するようになる。部屋に戻ってもアプリのアイコン、今PC横に寝そべる絵の具のメーカーのロゴも全て意味を考えるようになる。自分がデザインに関して膨大な知識があるかどうかという点においてはなんとも言えないが。それでも興味を持つと、視界の中からデザインに関する物が集中して襲いかかってくる。

つまりセンスがいい人は強烈にその物事に興味があるからこそ、関連する全ての事象が視界に飛び込みまくっているのであり、その知見から、こういう時にはこういう選択をする、その時はこうしようなどの精度が高い、速度がはやい。これは後天的に養うことができうるセンスであると思っている。そりゃずっと自分の中で、生活の中で考えてると精度は上がる、下がるとか現状維持なんてないだろう。

ただセンスという曖昧な表現にはもう一つあると思ってて、内側にある感覚的なセンスは、その膨大な視界に飛び込んだものから選んだり、それを入れるだけでなくどの角度から吸収するか、観測するか、みたいなところにも出ると思う。つまり微妙な言い方になるがセンスは二種類あるんだと思う。

後者はやっぱり先天的なものかも知れないし、地頭も関わってくるだろうと思う。回転はやいやつね。お笑いとかでもやっぱり回転早い人、ちゃんと地頭いいだろうし、あれはもう幼少期から周りと違うだろうな。残酷やけど。配られたカードで生きてくしかねーーーってやつやね。

そして養えるセンスはその興味以外にいかせない時もあるけど、先天的な感覚的センスは、「このロゴは暗めの背景で使われることが多いから色彩はこういう意図で配色しよう」、音でいうと「この高音で目立たせよう、キャラクターの強い音で一番最初に耳に認識させよう」とか、絵の具で言うと「この色でハイライトを使って前に出そう」、味でいうと「塩気で味の輪郭を、、、」などとジャンルを飛び越えて、感じて吸収し、意味や意図を読み取れると思う。

センスを語るには凡人には畏れ多いが、現時点の考えである。でもすげぇ人ってみんな自分自身を突き動かす強烈な興味(好き)根っこにあると思う。センスのいいひと、つまり自分の興味にまっすぐな人はいつもかっこいい。

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