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授業を大切にしたいのにできない学校

実は勉強を教える仕事は、教員の業務のうち2割程度しかありません。なぜ、そんな状況になってしまっているのでしょうか。

教員が多忙すぎるから

公立小中高の学校の教員は、忙しすぎて授業の準備は良くて後回し、最悪な場合では授業前の5分で考えてほぼぶっつけ本番、ということも多いです。あろうことか、埼玉県での裁判では、労働時間として認められる授業準備時間はせいぜい5分、と司法においても授業準備の時間は軽視されてしまっています。

上記のように、教員は授業以外の業務で忙殺されています。必然的に授業準備は自宅に帰ってから、と教員の時間外労働に支えられてしまっています。それでも疲れているときには、準備すらできずに授業時間を迎えることもあります。授業を大切にしたくてもできない状況があるのです。

授業をこなすのが目的化

余裕が無さすぎて、授業どうやって良いものにしよう、ではなくて、何も準備していない今日の授業をどう乗り切ろう、になってしまいがちです。しかし、子どもの今の力を捉えて、最適な授業を組み立てたり、文科省の重視する対話的な授業や言語活動の充実を図るためには、それより多くの時間を授業準備に当てることは必須です。教科書をなぞっていても、対話的な授業にはなりにくく、言語活動も教科書には乏しいため、教員自らが目の前の子どもにあったものを考案する必要があるからです。

部活にばかり時間が取られる

教員は授業が本務のはずなのに、過熱する部活により授業よりも部活を優先させられることもあります。教科指導が専門のはずが、中学校教員は部活を指導できて一人前だ、と的外れなことを吹聴する方もいます。そういう人たちは、部活動を通して生徒を人間として成長させるのが学校の目的だ、と大きな誤解をしています。

部活動は文化やスポーツに親しむ活動です。人間として成長することも重要ですが、本来は学校の教育課程内の活動(授業、HR活動、学校行事、等)を通して行うべきもののはずです。オプションであるはずの部活動が、過大評価されて、部活にばかり時間を取られ、本来の教育活動が損なわれているという本末転倒な事が起きています。

まとめ

本当なら良い授業をしたいのに、その時間もなければ元気も気力もない、となりがちです。授業改善を!と文科省は研修を増やそうとしますが、必要なのは腰を据えて教材研究できる時間の確保です。元々は授業に情熱があった先生なのですから、時間が与えられれば自然と授業改善に取り組むはずです。

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