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『プラダを着た悪魔』を観る、スウェットを着た35歳の私

白状したいと思う。
僕は、本作が名作として名高いことを実はかなり前から知っていた、そう、知っていたのだ。
知ってはいたものの、よし、観てみよう!
という決心がつかないまま、気がつけばなんと35歳になっていた。
きっとプラダにも、そして悪魔にも、親近感が湧かなすぎたせいだろう。

思い返してみれば、「いや、まぁ、これはおれの観る映画じゃないよね!」

とかなんとか言って、心のどこかで何気なくブレーキを踏んでいた節がある。

うまく共感を得られるかわからないが、どうせなら「これは自分のための映画だ!」と言えるような映画にこそ出会いたい。そう思うのが人情じゃないだろうか。

そのような意味合いにおいて、長年敬遠してきたこの映画を観て、僕は思った。

「ちょ、えっ…てか、アン・ハサウェイ、めちゃくちゃかわいいじゃん!」
「てか、映画自体が、めっちゃ面白いじゃん!!」

そう、新たな扉を開けるのは、いつだって面倒なのだ。プライドだって邪魔をする、後悔することだってある。

しかし一方で、新しい自分に出会えたときの喜びがある。本来の自分を取り戻すような、感動がある。アン・ハサウェイ演じる本作の主人公、アンドレアはそう教えてくれる。

ということで、2月7日からNETFLIXで配信が開始された名作『プラダを着た悪魔』を観て、僕が考えたことを書いてみたいと思う。

あらすじ

名門ブラウン大学(映画版ではノースウェスタン大学)を卒業し、ジャーナリストを目指すために田舎からニューヨークへとやってきたアンドレア・サックスは、なぜか幸運にも何百万の女性の憧れとする仕事、ファッション雑誌『ランウェイ』の編集部へと就職した。しかもその編集長で、ファッション業界に対し絶大な影響力を誇る、ミランダ・プリーストリーのアシスタント職である。

だが、ミランダは自分の身の回りの世話を、アシスタントに押し付けるなどの横暴を発揮する最悪の上司であり、今までに何人もがこの仕事を辞めていたのであった。ファッションには何の興味もなかった彼女であるが、本来の目的である「文芸誌での仕事」への足がかりとして、彼女の悪魔のような要求に耐えていく。その中で、ファッションとアシスタントの仕事の面白さに目覚めていく。

Wikipediaより引用

※以下、ネタバレ有

ポイント① かわいい、だけじゃない主人公

世の男たち全員が、まずはたじろぐことを余儀なくされるのが、主人公アンドレア(通称アンディ)を演じるアン・ハサウェイのかわいさだ。

いや、きっと男性に限らず、全人類が本能的に惹き寄せられてしまう彼女の抜群のビジュアルも、この映画を名作と呼ばしめる、一つの大きな要因になっていることはまず間違いない。

しかしそれだけがアンドレアの魅力ではない。
恐ろしく”好感が持てる”のだ。

以下、その理由を分析していこう

①応援したくなる

まず、職務環境が過酷すぎる

ファッションにまるで興味のないアンドレアにとって、『ランウェイ』への入社は、いきなりたった一人で言葉の通じない国で暮らし始める、くらいのカルチャーショックなのである。

なにしろファッションに興味がないので、物語序盤のアンドレアは、服がダサい。
これも致命的である。当然、周りからバカにされまくる。

自分のファッションセンスに劣等感を感じる苦々しい思いは、人間、普通に生きていれば誰もが一度は経験するだろう。

だから、僕らはアンドレアに共感してしまうのだ。(僕にも中学の頃、機動武闘伝Gガンダムのマスターアジアが正面にプリントされ、両袖に”流派東方不敗”の文字が黄色で染め抜かれた、真っ赤なパーカーを着ていた過去がある…)

”プラダを着た悪魔”こと編集長ミランダが要求する、無理難題にも果敢に立ち向かっていく、アンドレア。きっと誰もが、応援せずにはいられないはずだ。

②まるでシンデレラ!? アガる!サクセスストーリー

仕事が上手くいかないアンドレアは、人は外見ではなく中身という、自分のこだわりを捨てる決意をする。

あの、ダサかったアンドレアが、ファッションモデルさながらの超オシャレな姿に生まれ変わるのだ!これによって、中盤以降のシーンはファッションをみる楽しみが追加されて、より面白くなってくる。生まれ変わったアンドレアは、徐々に周囲からも認められるようになっていき、成長していく。すっかりアンドレアに感情移入してしまっている我々は、まるでアンドレアと一緒に自分まで成長しているような錯覚におちいって、ぐいぐいと物語に引き込まれていくこととなる。

③自分の生きる道は自分の意思で選び取る

ミランダのアシスタントとして、順風満帆にやっていけそうな実力をつけてくるアンドレア。ファッションにも興味が湧き、業界にも慣れてきた。
普通なら、こんなにも華やかな、誰もが憧れるような仕事ができるなら、当初の自分の夢を諦めてもいい、そう思っても良さそうなものである。

しかし、アンドレアはまっすぐなのだ。

人間誰しも、自分の生きる道は自分の意思で選びたいと願っている。しかし、現実はどうだろう?きっと、そうしたくても出来ないという状況だって少なくない。そんな人々の願いを体現するかのようなアンドレアの姿は、きっと観る人に勇気を与えることだろう。

ポイント② 豪華絢爛 ファッション業界の華やかさ

今風に言えば、なんと言っても”映える”映画なのだ。

単純に、スタイルのいい美女やオシャレな服がたくさん出てくる、ということもあるけど、映画らしく、”画”で語る、良いシーンが多い、というのも面白いポイントだと思った。

セリフで説明せずに、行動や、演出でわからせるみたいなシーンである。例えば、最後の噴水にケータイを投げるシーンとか。

また、冒頭のシーンは岡田斗司夫がめちゃくちゃ細かく解説をしてくれていて凄いので、興味のある方は是非見てみてほしい。

ポイント③ 流行を作る人と、流行にのっかるだけの人

この映画を語る上で避けて通れないのは、勿論、ミランダの存在である。
言わずもがな、ミランダは絶大な影響力を誇るカリスマ。自ら”流行”を作り出せる稀有な人物である。

僕がこの映画を観て思ったことのうちの一つが、
世の中には流行を作り出すことができる人と、流行にのっかるだけの人がいる”
ということだった。

また、流行は”常識”と言い換えることもできる。

ミランダほどの怪物にとって、凡人の常識は全く通用しない。

現代社会における、あらゆるハラスメント問題、過剰なコンプライアンス規定、強要される心理的安全性、求められる共感力やコーチングスキル、etc…こんな病的な風潮が、さも当たり前のように流布され、何も考えずそれにのっかるだけの人間はどんどん軟弱化していくだろう。

そんな世の風潮をせせら笑うかのように、圧倒的なカリスマの影響力というのは、周囲の人間を魅了し、すべてを塗り替えてしまう。
『呪術廻戦』で言うところの”領域展開”みたいなものだ。

しかし!そんなミランダにもアンドレアを支配することはできなかった。
ミランダは、強い意志を持つアンドレアと自分を重ね合わせる。

「もしかしたら、アンドレアもまた、自分と同じ流行を作りだす側の人間なのかもしれない…」

ラストシーン、逞しくなったアンドレアを見送りながら、ミランダは後部座席でひとり、作中で初めての笑顔を見せる。

終わりに

ありがとうございます。
あと思ったこととしては、エンタメ性が抜群ながら、カリスマが抱える孤独、みたいなものもしっかりと描かれていたのが良いアクセントになっていたな、ということ。

物語の構造としては、王道の”行って帰ってくる”物語だ。最後のシーンでのアンドレアのファッションが、地味だけど最初よりも洗練された、自分の身の丈に合った着こなしになっていたのが感慨深かった。
ジャーナリストとしての今後のアンドレアの活躍が楽しみだ。それでは!


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