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FALLING…(掌編小説)

水平に伸びる、舗装された道路をまるで落下するような勢いで動き続けている肉体、それが僕だ。

というか、実際に落下している。落下し始めて、かれこれ二年になる。
二年…ずいぶんと長い歳月だ。もちろん、絶えず落下しているので正確に二年かと言われると自信はないのだが、だいたい二年くらいだと思う。たしか、修学旅行に行ったのが三年前の六月だったので、感覚的にはおそらく、そのくらいだ。しかし、二年も落下し続けているような人間の感覚が、一体どこまでアテになるというのだろうか。僕にはわからない。

あの頃は、まさか自分が落下することになるとは全く、予想もしていなかった。自己責任を問う風潮が強まる現代社会において、もしかすると僕の不注意を糾弾するような向きの意見もあるかもしれない、当然と言えば当然だ。それは世間一般常識的な見地に立脚する限りにおいて、至極もっともな主張だと言えるだろうし、僕自身、大いに反省すべき、ということになるだろう。そこから何かしらの教訓を得ることだって出来るかもしれない。しかし、考えてもみてほしい、こんなことは誰にも予想できるはずがない。予想もせず、僕は呑気にお土産を買っていた。それも地域の名産品ではなく、どこにでもあるようなクッキーや、バウムクーヘンや、酢昆布なんかを。そして、そのお土産は誰にも渡さず、僕一人で食べた、そう、全部だ。

正直に打ち明けると、そもそも渡す相手なんて、最初からいなかったのだ。認めたくはないが、僕は嘘をついた、ということになる。他でもない、僕自身に。なぜ、そんなワケのわからない嘘をついたのかと、付き合っていたガールフレンドが僕に尋ねたことがあった。しかし、その質問に、僕は当惑することしかできなかった。うまく答えることができなかったのだ。当時の僕はひどく頭が混乱していて、自らの力で答えを探そうとすればするほど、正しい言葉は魂の奥深くの方へと沈み込んでいって、もう二度と陽の当たる場所には出てきてくれないように思えた。彼女は僕のもとを去り、そして、一年ほどの月日が流れた。

あの嘘は罪だったのだろうか。いつの日か、僕は裁かれるのだろうか。もしかすると、その裁きこそがこの落下ということになるのだろうか。そう考えるのは、いささか楽観的なようにも思えた、落下、だけに。

しかし、何を隠そう、僕はもともと物事をそう深刻に考えこむタチの人間ではない。ごく控えめに言って、かなり”ざっくり”とした人間なのだ。もしもこの落下が、何者かが僕に下した罰であるならば、たとえそれがどんな種類の罰であれ、きっと僕には推し量ることの出来ない必然性を備えているのだろうし、考えようによっては、それは学校一の美少女と誉れ高い双子の姉妹が、それぞれ野球部とサッカー部のキャプテンと交際を始めることくらい自然なことのようにも思えた。

このようにして、いつしか僕は自分の置かれたこの状況を、なんとか自分なりに飲み込もうとする努力を始めたのだった。はじめは、それは両方の鼻の穴に10円玉を縦にハメ込むときのように苦しく、ひどく抵抗のある作業だった。しかし、鼻の穴がいずれ10円玉のサイズに馴染んでくるように、少しずつ、僕の精神は、落下を始める以前のような落ち着きを取り戻していった。

そして、そのような時だった、もう一人の”落下者”が僕の前にやってきたのは。

最初に、視界にちらちらと影のようなものが映った。それが何かの影であると認識できるまでにはしばらく時間がかかった。何かが僕の視界に入ってくることなど、僕には思いもよらないことだった。しばらくして、上から声が聞こえた。その声は、天から降りそそぐ恵みの雨のように希望を感じさせるようでありながら、同時に、地の底から噴き出す黒々としたマグマのようなカタストロフを予感させた。

「やぁ、あんた、ブラックホールをみたことはあるか?」
男はとつぜん、僕にそう問いかけてきた。

僕は少し考えたあと、「いえ、見たことはないです」と答えた。

「だよな。実を言うと、おれはこれまで、三回ブラックホールを見たことがあるんだ。もうずいぶんと長い間、落ち続けてるからな、まぁ、そういうこともある」

そう言って男は胸ポケットからジッポを取り出し、11ミリのセブンスターに火をつけた。
男の着ている濃紺のスーツにはシワひとつなく、長い間、落下を続けているとはとても思えないほど整った身なりをしていた。しかし、落下しながらタバコに火をつけられるものだろうか?あるいはこの落下は、僕の知っている重力とは違った種類の力によって起こっている現象なのかもしれなかった。

「もちろん、誰かにあれがブラックホールだと教えられたワケじゃないんだが、あれは絶対にブラックホールだ。少なくとも、おれにはそうとしか見えなかった。それで二回目に見つけたとき、思いきって中を覗き込んでみたんだ。ブラックホールの中はどうなっていたと思う?おれぁ驚いたよ、中にうじゃうじゃといるんだよ、なんていうのかな、亡者みたいなヤツらが。もちろん、誰かにあれが亡者だと教えられたワケじゃない。そんなことを教えてくれるヤツぁいないよ。でも仮に、亡者というものがいるとすれば、きっとこんな感じなんだろう、ヤツらは揃いも揃って、そんな顔をしていたよ」

空中に煙を吐き出して、男は鋭い視線をこちらに向けて言った。

「ほら、ちょうど今のあんたのツラにそっくりだ。ところであんた、なぜこんなところにいる?」

「正直、わかりません。何もわからないまま、もう二年ほど、こうやって宙ぶらりんのまんまです」

「だろうな、理由がわかってるようなヤツがいつまでも落ち続けているハズがねぇ。悪いな、意地悪なコト聞いちまって」

「あなたはこの落下について、何かご存知なんですか?」

「ご存知ってほどじゃないが、ひとつ言えることがあるとすれば、人がここに迷い込むケイイやリユウは人それぞれ、ってコトだ。簡単に一般化できるようなことは、ここでは何一つ、起ったためしがない。誰もがそれぞれに問題を抱えていて、その問題は結局、本人以外にはどうしようもできないんだ。ま、そのへんの事情は、外の世界と大して変わんねぇな」

「言うなれば、哲学的落下、ということでしょうか?」

「ま、そんなとこだな。ところで、それ、まだ食えるのか?」男が僕に言った。
僕は男が何のことを言っているのかわからなかった。

しかし、男の視線は僕の左こぶしへと向けられており、僕の手のひらには修学旅行で買ったご当地限定ハイチュウが握られていた。

「なぁ、あんたが良ければだが、そのハイチュウ、一つおれにくれないか?ほら、落下するもの同士、友情のしるしとして」

全て一人で食べたと思っていたお土産を、なぜか僕は持っていた。落ちている間、ずっと持っていたのだろうか?誰にも渡すつもりもなかったお土産だったが、僕は直感的に、この男にならあげてもいいような気がした。いや、間違いなく、あげるべきだと強く思ったのだ。何が僕にそう思わせたのかは正直なところ、わからない。しかし、感傷的な理由だけではないように僕には思えた。

「ええ、もちろんです。どうせ、誰にも渡すつもりもなく、買ったものですから」
僕は、ハイチュウ夕張メロン味の封を切り、男に向かって放り投げた。

「そうなのか?ずいぶん大事そうに握りしめているように見えたから、てっきり思い入れがあるんだと思ったよ」
男は包みをめくり、勢いよく口へと放り込んだ。長らく味わっていなかったハイチュウの歯応えに酔いしれているようだった。

「いやー、うめぇな。やっぱハイチュウは夕張メロン味に限るな。なかなか食えねぇけど。あ、そうだ、これ、お返しだ」

そう言って男は僕にセブンスターを一本差し出した。そのとき、どこかでパズルのピースがカチリとはまった音が聞こえたような気がした。

「何かを分かち合うってのはいいよな、久しぶりに人間に会ったからいうワケじゃないが、やっぱりずっと一人ってのは退屈だ。哲学も大事だが、それ以外に大事なことだって世の中にはたくさんある。あんたも若い、いつまでもこんなとこにいなくたっていいんじゃないのか?」

僕はセブンスターの煙を肺いっぱいに吸い込み、予想通り、激しく咳き込んだ。
モクモクと上っていく煙の向こうに、男は笑顔を浮かべながら静かに消えていった。

「じゃあな、またどこかで会おうぜ」

          *

そこから先のことはよく覚えていない。気がついたら僕は自分の部屋のベッドにいた。おそらく、落下を始める前と何も変わらない状態で。

この落下が僕の人生に何をもたらしたか。それを一言で説明するのはひどく困難だ。しかしただ一つ、言えることがある。

それは、ここから僕の新しい人生が始まる、と言うことだ。

垂直に落下するのではなく、水平に広がる道を、一歩ずつ自分の足で歩んでいく人生だ。そしてもう一つ、自分ではなく、誰かのためにお土産を選ぶ人生だ。

そう、まだ見ぬ誰かのために、僕は自分自身の目で、この世界に散らばる一つでも多くの”素晴らしいお土産”を見つけながら生きていこう。

そう決めたのだ。

おわり

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