見出し画像

春が来る(掌編小説)

地球は回っている。
それを初めて知った時のことをもう、ユウコは思い出せない。
勿論、それを知ったそのときも地球は回っていたし、こうしている今も回っている、ユウコの生まれる前から、ずっと回り続けている。それは、間違いない。
でも、それは知識だ、ユウコは思う。知っていることと、できることは違う。
これも、ユウコが誰かから聞いた言葉だった。なんか、偉そうな人が言っていた。偉そうな人の言う言葉には、説得力がある。でも、偉そうな人たちの中でも、地球が回っているところを、実際に見たことがある人は稀だろう。
だから、あながち信用はできない。じゃあ、信用できる人とは、誰だろう。
ユウコはそもそも、信用という言葉があまり好きじゃない、と思った。
信用金庫、みたいだからだ。信用金庫、が嫌なわけじゃない、信用金庫、が存在するような社会そのものが嫌なのだ、どちらかと言えば。
信用金庫も、知識だろうか?ユウコは考える。信用金庫、イコールお金、と考えて差し支えはないだろうか、この場合。じゃあ、お金があったら、何がしたいか。
ユウコはまた、考える。お金がある、とはどういう状態を指すのか。いくらあったら、果たして、お金がある、と言えるのか。とりあえず、ブルドーザーが買えるくらいのお金があれば、お金がある、と言えるだろうか。まぁ、言えるだろう。
少なくとも、ブルドーザーはいらない、ユウコは思う。ブルドーザーを買うくらいなら、ぶり大根を食べる、たくさん食べる。来年の分まで、食べる。というような、オヤジみたいなことを言う。ユウコは、そういう女の子なのだ。そういう年頃だから、というのでもなく、ユウタの知るかぎり、ユウコはずっと、そういう女の子なのだ。
ユウタと、ユウコ。
厳密にいえば、二人は知り合いではない。ユウタはユウコを知っているが、ユウコはユウタのことを知らない。ユウコは実は、アイドルなのだ。誰からも羨望の眼差しを受ける、アイドル。それが、ユウコ。でも、テレビ、youtubeに、出るわけじゃない。TikTokも、instagramも、やっていない。なんなら、スマホも持たない。
じゃあユウコは、誰にとってのアイドルなのか。勿論、ユウタ。ユウタ、だけにとっての、アイドル。それが、ユウコ。つまり、妄想。ユウタの。
じゃあ、ユウコはフィクションか?ユウコが、フィクション?じゃあ、同じように、ユウタも、フィクションだ。ユウコは知識か?ある意味、そうだろう。
ユウタの知識は充分か?これは、わからない。還元されるのか?まさか?ゼロに。

知識が、地球を回しているか、それとも、妄想が、地球を回しているか。それは、誰の知識であり、誰の、妄想なんだ?ユウタか?それとも、マサオか?いや、ハルオの、かもしれない。ともかく、地球は回っている。そして、春が来る。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?