見出し画像

ゆめうつつ

今日はnote2連チャンでお送りします。

えー米津玄師さんの先日出たシングル"pale blue"のカップリング曲、「ゆめうつつ」を聞いて大変衝撃を受けたので、素人ながらその曲の魅力を紹介させていただきたいと思います。

まずこの曲は、news zeroのエンディングテーマに採用されていまして、一日の終わりに聞くとなかなかいいんですよね。

まあそんな話はいいとして、ゆめうつつという曲、タイトルの「ゆめ」「うつつ」(現実の「現」の訓読み)からもわかるように、1番と2番で現実にいる人間と、夢にいる生き物が交信をかわしているような曲になっている。

まず見てほしいのが出だしの歌詞なんだけど、これが何とも言えずリアルにグサッと刺さる歌詞なのだ。

”あまねく町のそばで揺蕩う路地裏 ...

 …紙飛行機 何処まで飛んでいくんだろう”

ぼやーっと町を歩いていて、何かが目について、虚しさに襲われる主人公。何ともない描写だけど、やっぱ切り取り方がすごく上手っすよね。

”虚しさばっかり見つめ続けるのは 誰かの痛みに気づきたかった”

虚しさと向き合っているのは、痛みに気づきたかった。そうっすよね。俺も...こう...あるよ。人の痛みに気づいてあげたいみたいな、ねえ。

こう完成された歌詞の前に並べたてる言葉ってなんであさましくなるんだろうな。まあいいっす。

いい意味で米津さんらしくない、ちゃんと刺す歌詞だなあという印象を得ます。

次に注目してほしいのが、2番と1番のゆめとうつつの対比関係。物語の語り部が1番と2番で別の存在で、それぞれがそれぞれの視点から世界を見ていて、それがちょくちょくリンクするのが、遠距離恋愛みたいな絶妙なムズキュンをこの曲にもたらしています。

例だけ下にあげときます。あとは各々見てください。

「現」広告を携えて飛び立つ紙飛行機

「夢」何かを探し何かを 見捨てるアドバルーン

「現」どうせいつかは 風に溶け消える

「夢」どうせ私も 風になり消える

「現」羽が生えるような身軽さが 君に宿り続けますように

「夢」声が出せるような喜びが 君に宿り続けますように

これ以外にも、”何かを探し何かを” で歌詞に区切りをつけるところや、”風と花と鳥”でさりげなく「花鳥風月」という言葉を読み手に誘導させてるところとか、この歌詞には読めば読むほどいろんな発見があります。

要するに、天才だと思いますね。

こういうこというと米津玄師に失礼な気もするけど、このゆめうつつみたいな曲って、結構作曲経験の浅い人が作りがちなんですよ。

でも、作曲経験が浅いから、こんなに気の利いた歌詞にもならず、メロディーもよくわかんなくて、上手にできなくて、形になったときにはただの「クソデカ感情のかたまり」になっていることがしばしば。

自分も趣味で作詞作曲をやるんですけど、曲を作り始めたころは、こういう曲をつくっていました。でも、やっぱ、今見るとなんか意味の分かんない文字の羅列になってるなって思う笑。

こういうきれいでファンタジーな、いろんな要素を詰め込んだ曲をみんな作りたいんですよ。でも、普通の人はできません。

それを米津玄師が形にして見せた。すごいっすね。

最近の米津玄師はいい。

いや、ずっといいと思うんだけど、最近の米津玄師は特にいい。

アルバム”STRAY SHEEP"の中に「カムパネルラ」という曲があり、まあこの曲が銀河鉄道の夜に影響を受けているなんてことを指摘するのは野暮かもしれないが、

そういう影響もあってピースサインとか、Lemonのときよりも歌詞がファンタジー要素をまし、作品として、1曲の「物語」としての説得力をもってせまってくる感覚をより強く覚えるようになった。

そして、自分の中でこの曲がそのトップに立っている。

是非米津さんには今後もいい曲を期待していますので、よろしくお願いします。

追記:ええここでは歌詞をメインに書いてますけど、アレンジのことを一つだけ話したくて。

普通こういう夢がテーマの曲って、銀杏BOYZの銀河鉄道の夜とか、スピッツの夜を駆けるとか(念のため言っておくとどっちも大好きです)低音でゴオゴオ言わせるか、シンセの音を入れまくるのが普通だと思うんですけど、米津玄師はそれをせずに、すごい音数の少ないアレンジにしているんですよね。それでも全然スカスカな感じとかはなく、世界観がちゃんと保たれている。それもこの曲のすごさの一つだと思いますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?