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そして僕の心はインディゴに染まる

ボトルガムのふたを開けて、ガムを取り出して口に入れる。

そして俺はベッドに寝そべって窓の外を見つめる。

街路樹がゆらゆらと揺れているのが見える。

視線を上に移す。…

こんなのいつぶりだろう。


先日、高校時代の同級生4人でご飯を食べに行った。そのうちの一人とはよく会っているのだが、俺とそいつを除いた2人とはあまりあっていなかったので、思い出話もあり、それぞれの近況報告もあり、彼女がいるやつののろけ話なり、彼女の作り方講座(こういうのって、実際参考にはなるんだけど、なんか腹立つんだよな。なんでああいうやつって総じて鼻高々と話したがるんだろうな。まあいいや)なりで結構盛り上がって、大変楽しい時間を過ごさせてもらった。

で、その友達のうちの一人から「コロナ陽性になった」との連絡を受けた。その夜は、飲みだけでは終わらず、オールでカラオケまで行っているので、保健所から認定を受けるまでもなく俺は濃厚接触者である。

それゆえ、今は親から禁固刑に処され自室にこもっているというわけだ。


部屋にこもるというのはどうもこう人をブルーな気分にさせる。何をするわけでもないのに、どこからともなく、いろんなベクトルの不安がどわーーっと俺のもとに押し寄せてくるのだ。


今、俺はとある分岐点の目の前に来てしまった。
就活するか、院進するか。

これを読んでいる人が文系学生だったり短大卒だったりするとピンとこないかもしれないが、理系学生は大学を4年で卒業した後、大学院という道がある。これは、ざっくりいうと研究室で行っている研究を深め、学問に専念するためのもので、大学院を出た人間は進路がより専門職に近くなるといわれている。

ぼくの中には2つの気持ちがある。

まず、もっと勉強したいという気持ち。
学部3年生の人間は割と共感してくれると思うが、学部の2年ちょっとで勉強することって本当にさわりなのだ。雪見だいふくで例えると、あの食べるときにボロボロする白い粉のところくらいしか勉強できてない。なんかちょっとよくわかんないけどそういう感じだ。

俺はもうすでに研究室配属が終わっているのだが、研究室を決めるにあたってけっこういろんな教授と面接し、そのついでにどちらがいいかを何回も聞いた。その時にだいたいの教授が口にするのは、「勉強したい気持ちがあるなら、院に行ったほうがいいよ」という言葉。
とある先生が言うには、正直就職だけを考えた時、学卒でも就職を頑張れば結構いいところに入れる。それが学卒率が高い理由だそうだ。
確かに学卒の就職先リストと院の就職先リストを見比べて、「うわこんなに違うんだ」という印象もそれほどなかった。
「勉強したいか否かで決めたほうがいい」というアドバイスも、かなり一理ある。

確かにそうではあるのだ。

しかし、それと相反する思いがある。

それは、「もう早く社会に出てしまいたい」という気持ちである。

学生時代というのは、ありふれた表現ではあるがモラトリアムである。
親が金を十分に払ってくれて、その分今ちゃんと勉強します、将来自分が就職したら今までのツケをちゃんと還元します、という契約のもとに成立する。

その契約から離れ、自分で稼ぎ、親に還元する、つまるところ自立した生活を送れたらどんなに楽だろうという気持ちはどこかにある。

サークルで合宿に行って数えきれない思い出を作ったり、高校時代の友達とオールでカラオケに行ったり、正直今が人生二十路にして一番充実している。こんな楽しい生活を送れるなんて、少なくとも中高時代の自分は思っていなかった。だからこそ、そこにしがみついてしまっている自分がいる。

でも、多分社会人になったらそれはそれで楽しい未来が待っているはずだ。会社の仕事が楽しいかどうかは知らないけど、一人暮らしの家の近くで夜になったら行きつけの店でちびちび酒をやったり、休日になったら出かけたり、家でゴロゴロしたり、そういう楽しみもあるだろう。

なんか、でもやっぱり今の生活環境が変わってしまうことへの恐怖もかなりある。俺ってやっぱり大人になり切れてないなぁ、何やってんだかなぁ、と思ってしまう。


俺は大人になったらこうなりたいという憧れがある。

コスメティック田中というyoutuberを知っているだろうか。

「ぼっち系youtuber」として、ひとりでご飯を食べたり、ひとりででかけたりする動画を投稿している方である。

これだけ聞くとなぜ尊敬しているのかわからないかもしれない。

しかし彼の動画の面白みは「ぼっちキャラ」だけではない。例えばコムドットに1コメする動画というのがあるが、まあ見てもらえばわかるが、とにかくすごいのだ。いろいろな技術を駆使して、1コメするためのプログラムを作成するのだ。その多くは学部3年生にはあまり理解ができない内容だが、これを情報系でない人間がしれっとやっていることにびっくりする。

また、生き方にも注目してほしい。彼はフリーターではなく会社員である。契約か正社員かまでは覚えていないが、とにかく会社でWeb系のエンジニアとして働く一方でyoutuberとして名をはせているのが彼なのだ。

IT系というのは転職が当たり前の世界で、多分彼も技術が備わっているのでいくらでも転職先は見つかるだろう。また、会社内でトラブルがあってやめることになってもyoutuberとしてしばらくの間は食いつなげるだろう。
自分の軸をもとに、組織に縛られることなく、いろんな方法でお金を稼いでいく。そのあり方に、僕はすごいあこがれてしまうのだ。

俺も将来多分こうなるだろうな、というのをぼんやりと頭の中に思い浮かべる。いまの学科で勉強していること、サークルなり文化祭なりのお仕事でちょくちょく勉強しているデザイン系の知識、そして趣味の音楽、これらをうまい形で昇華できるようになれば俺は自分の理想像に近づけるだろうなと思う。

のだが、そのためには何をすればいいのか。


”自分って本当に堕落した人間だな”

そう気づかされる側面が節々に現れる。

自分を律して、やりたいこと、その目的を明確にして、そのための手段をちゃんと選べる人間になりたい。でもそれをせずに、感情で動いてしまう。本当にそう思う。

今サークルの広報誌を作るお仕事なんかをしていて、なんか感覚でデザインとかを決めて、それで作って褒められたりして、そのレベルなら別に感覚でいいのかもしれない。

それとはまた別で、詳しくは話さないが、とある音楽フェスの主催のお仕事をやっている。そこにはパートナーがいて、共通の目標に向かって動いているのだが、そこではいろいろ問題を抱えている。
まず、そのパートナーとうまく意思疎通が取れない。俺が相手の立場になって会話をすることができていないのだ。
また、いろいろな案を出すのだが、それがただの俺の思い付きである場合がほとんどである。こういう目的があって、そのための手段である、といった結び付けがほとんどできていない。
他班の活動報告を見ていたりすると、それを痛感する。
そして、あまり大きい声で言えないが、少しずつどうでもよくなっている。
ああそうか。こういうミスマッチを防ぐために就活ってあるんだろうな。冷めた自分がそう語りかけたりする。

まあこのnoteだって、感情をぶちまけているだけで、文構成なんかも本当はもう少し整理したほうがいいのだが、全然そんなことできていない。

なんというか、爆速で過ぎていく夏休みの、そのスピードに押されながら、心だけに虚しい穴が開いているのだ。

本当はやらなければならないことがたくさんあるのに、1日かけてこんな文章をしたためている自分。


鏡の前に立ち、冴えないニキビ面とにらめっこする。

そこには高校時代より、確かに成長した姿が映っているが、それでもまだやりきれない思いを抱え、完全に大人になり切れていない自分がいる。

胸に刻んだ決意も、数日もすれば臆病風に吹かれてしまう。

俺だってなんかしてやりたい。もっと社会にドデカい迷惑かけてやりたい。

そんなこと思うのも今のうちなのかな。


疲れたからこの辺で終わりにしよう。

あいみょんの新しいアルバムいいよね。

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