遊ぼう
最近、いろんな友達と遊ぶ機会が少しずつ増えてきた。
こんなこと言うのもなんだが、自分は進学校出身である。当たり前だが、周りの友達はみんな頭がいい奴ばかりで、一部のとてつもない変人を除いては、お互いの考えていることがわかるし、まあ俺も分かった。要するに、似た者同士ということだ。
しかし、大学の友達というのは、なんとこういろんなタイプの人間がいる。
中学校時代ヤンキーだった奴、iPadを使いこなす眼鏡キラキラの超インテリ君、小学生のころから12年間男子校だった奴、毎日人の家に転がりこんでいる人間界のクズのような人間(まったく嫌いなわけじゃないです笑いい奴)、強豪校野球部出身のスポーツマン。
人生20年しかやってないだけで、こんなにいろんな人間ができてしまうのか。
自分の知らないタイプの人間と話すというのは、なかなかに楽しい。
生活の感覚。例えば、こういう風に話を落として、突っ込んで、笑ってみたいなリズム感。外に飯食いに行ったとき、こいつはメニュー表を先に譲ってくれる。こいつは自分から決める。ちょっと俺がボケを外した時に、こいつはいじってくれる。こいつには無視される。
そういうのが、全然違う。
いろんな奴と遊びに行って、そいつらのことを知って、ちゃんと仲良くなりたい。
その先に見える景色は、多分今見えている景色と変わってくるんだろうな。
こういうことを俺は本気で思っている。
実をいうと、俺は中高時代、人と距離を縮めることがすげえ苦手だった。
1つは、クラスのみんなと仲良くなりたくて、いろんなグループに顔を突っ込もうとして、自分の立ち位置がわからなくなったこと。
クラスに1グループ、部活で1グループみたいな、グループ関係の作り方が俺はできない。できるだけ多くの人間と俺は仲良くなりたい。そう思うと、1つ当たりの人間のかかわりは必然的に浅くなってしまう。当時の俺はそれに気づけなかった。
そういうやつって知ってるか?遊びとか、マジで誘われねぇんだよ・・・。泣
2つは、自分自身の内面にある。
昔は、こうカッコつけてたんだろうな。内面を見せない自分がかっこいい、みたいなことを割と思ってた。表向きに明るくふるまっている姿がみんなに知られていて、でもその裏に自分の隠れた内面があって、でもそこは人に想像してもらう。俺からは見せない。そういう人間だった。
また当時の俺は、人と仲良くなると、急にそいつに気を許せている自分が怖くなった。またそいつが違う奴と仲良くしているのを見ると「やっぱ俺なんかより、あいつらのほうがいいよな」と思って、こじらせてこじらせて、結局こっちから距離を遠ざけてしまう、みたいなことがまあ数多くあった。
高3になって、大学受験が控えてきたとき、今まで書いてきたいろんなことをこじらせた自分は本当に友達がいなくなって、それですごいさみしい思いをした。
それ以降、俺は本当に人と仲良くなりたい、と思うようになった。
ちなみに、おれは現役で大学受験に失敗し、予備校に通うわけだが、予備校で久々に再会した友達のうち数人に、(1,2人という次元じゃない)
「昔仲良かったのに、いつからか会っても挨拶もしてくれなくなったじゃん?悲しかったわ」
と言われた。何やってたんだろ俺。なんだかんだ俺はちゃんと人から認められていたんだ、というようささやかな承認欲求が満たされた。
・・・なんかものすごく話がそれたが、そんなわけで俺はちゃんと人と仲良くしたいのだ。その気持ちがわかってくれればそれでええねん。
遊ぼう / ウルフルズ
P.S.
こんなこと言うを俺だが、最近気づいたことがある。
楽しくても、心って満たされないんだ。
こんなありがたく色んな遊びに誘ってもらってるのにな。なんでだろうな。
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