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実学より大切なもの

最近「実学」という言葉を時々耳にしますが、聞くたびに何だか嫌な響きだなあと感じます。「社会を豊かにする」という大義名分のもと、実利性、実益性、即効性のある知識を効率的に身に着けることこそが価値ある教育とみなされる、そんな風潮に非常に違和感を覚えます。

そもそも何かの「役に立つ」ような知識はその「役」を果たせばすぐに不要になるようなものでしかなく、その限られた有益性ゆえにその蓄積は人間の本質的活動には却って邪魔になることもあるでしょう。そのような通俗的、功利的知識の総称を「教養」と呼ぶなら、私は「教養なんて糞くらえ」と言いたいです。

逆に一見何の役にも立たないようなものの中にこそ、人間を人間たらしめるに必要な大切な何かがあるのではないかと思います。例えば「詩」です。私は詩を読むことが好きです。なぜなら詩は言葉の不思議や言葉の可能性を、涼やかな躍動感と驚嘆をもって私に教えてくれるからです。

「言葉はコミュニケーションのツール」くらいにしか考えていない人にとっては、詩は全くつまらんものかもしれません。事実、詩が何かの役に立つかと言われたら多分何の役にも立たないでしょう。しかし詩には、溌剌とした人間の息づかいがあります。また、私が凡そ人間として設定出来得るものの見方そのものを改変するくらいの大きな影響力があります。

詩を通して得られるものは何かと問われれば非常に説明しにくいですが、それは「実学」のように賞味期限が切れたら用無しという類のものでは決してないはずです。その豊潤で深遠な言葉の世界は、何とも言えない不思議な魅力をもっていつも私を虜にするのです。


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