問いかけ

また占いに行った話をするのだが、「生年月日+生まれた時間+生まれた場所(○○県○○市の病院)」で基本性格を見てもらったところ、私はものすごく頑固で、超がつくほど好き嫌いが激しくて、ビックリするくらいマイペースらしい。『そうゆう星』の下に生まれているようだ。まあまあ自覚があるくせに最悪じゃん、と思ったが、『そうゆう星』に生まれたから仕方ないなァ、と思った。
それはそれとして『そうゆう星』に生まれたことをメチャクチャ苦痛に感じる日々である。約30年間、この性格で生きてきたらもうどうしようもないので、「性格を直す」よりは「この性格で生きていくことに折り合いをつける」方向にシフトチェンジする必要がある。それはそれとして、この世、頑固で好き嫌いが激しくてマイペースなやつには生きづらいようだ。まあ【それはそう】というのも分かるが、前はそんなことなかったのに、アタシ、、、、弱くなっってしまったな………………、、、、、、、、、、、と、メンタルの衰えを感じてしまった。

今年になって、ある本を勧められた。とある企業の社長が書いた一種の自己啓発本であった。名前に見覚えがある。私はこの作者を知っていた。
正確に言えば、この作者の息子である。私はこの息子のことがメチャクチャ嫌いだった。
なんで嫌いだったかはもう覚えていない。怒りのパワーとはそんなもんかと思うのでアンガーマネジメントに一番必要なのは“長い年月”だよなァと思うが、いまだに彼のLINEはブロックしてるし、コイツに会いたいかと言われたら別に会いたくもないので、たぶんまだ嫌いなんだと思う。怒りは忘れても、〝コイツが嫌い〟という事実だけは何年経とうが忘れない陰湿さである。偉い人の息子だということを鼻にかけているとかそういうことは全くなかったが、シンプルにそれ以外の人間性がめちゃくちゃ嫌いだった。
そのわりに彼の存在を5億年くらい忘れていたので、5億年ぶりにみた名前に「え〜、アイツの父親かよ」とは思った。しかし勧めてきた人からしたらそんなことは知らんし、なにより私は漫画でもドラマでもなんでも『見てないのに叩くこと』がメチャクチャ嫌いなので、とりあえず何もかも目を通して自分で咀嚼してから堂々と悪口を言う、筋金入りのワルグチストである。なので『嫌いな人間の超関係者だと言う理由で人を嫌う』のはまあ“ぎりぎりアリ”だが(“アリ”なのかよ)、『嫌いな人間の血筋だと言う理由で嫌ってる人の書いた本を叩く』のは“ナシ”なので(読んでないから)、とりあえずその本を読んでみた。

いい本だった。

上記の内容は特定を防ぐためにフェイクを入れまくっているので(さすがにね〜)本の紹介もやめるが、いい本だった。知りたい方は私に直接聞いてください。本とか映画とかドラマとかですぐ泣くので、読んでて涙が出てきた。
その本では、「シンプルで正直な生き方」を推奨していた。たとえば、惰性で夜食や間食をしていませんか。手を伸ばす前に、袋を開ける前に、本当にお腹が空いてるのか、心に問いかけてみてください。イエスだったら本当にお腹が空いてるので食べましょう。
無駄遣いや衝動買いをしていませんか。買う前に、本当に欲しいものか心に問いかけてみてください。一晩経っても欲しかったら本当に必要なものなので買いましょう。
現代人は、心に問いかけず、いっときの衝動のままに生きがちです。いつもどんなときも、自分の心に問いかけて、正直になる、【余裕】を忘れないでください。このように己の気持ちに正直になれば、いらないものがそぎ落とされ、あなたは身も心もシンプルで軽やかに、内面から美しく生きられるはずです。


なるほどね!
もちろんこれ以外にも良いことが書いてあったんだが、何よりも作者の優しい語り口調がそのまた書き起こされた文章で、[読んでいる側]つまり話を聞いているサイドにも関わらず、なぜか話を聞いてもらっているような、告解室で罪を聞いてもらっているような、読んでいて私の罪が洗われるかのような気持ちになった。そして、なぜこのような優しい方からあのようなムカつく息子が生まれるのか、とも思った。
よく考えれば「本当に必要かはワンクッション置いて考えろ」は占いの先生にも言われたし、ほかにも書いてある内容は『よくいわれること』ではあるし、そもそも全体的に道徳の教科書に書いてありそうな内容ではあるが、良い本は良い本である。占いしかり自己啓発本しかり、人には金を払って「こういうこと」を言ってもらう機会が必要なんだろうな、と思った。占いは1万円近くしたが、自己啓発本は新書サイズなのでそんなでもない。本、めっちゃいい。図書館でも借りれるし、なんなら図書館の近くに住んでいる。金払ってこんな道徳の教科書みたいなことを言ってもらえるなら、ドルオタやめて読書を趣味にしようかなあ……………と思った。大人になると誰も道徳の教科書を与えてくれない。道徳のために金を払うしかない。【大人になる】ということは、金を払って人から良いことを言ってもらう、ということなのかもしれない。

そんなわけでこの一週間くらい、私は自己啓発本のとおり『問いかけ』をして生きている。毎日残業をしているが、定時になった瞬間にお菓子やら何やらを食べ、家に帰ったらメシを食う、という生活をしていた。今までは生きていればお腹が空いていると思って間食もナニ食もしまくっていたが、『問いかけ』を覚えた私はかつての私とは違う。もらった個包装のパウンドケーキ、今、私は腹が減っているのか?本当にいるか?帰宅しても、本当に酒、飲みたいか?体は酒を欲しているのか?自担の掲載されてる雑誌、いるか?このキラリくじとかいう課金コンテンツ、どうせこんなの何回やろうが参加賞みてえな顔のいい男の高画質画像データしか当たらんのに、いるか?と考えてみた。

いらんのかもしれん。

たぶんよく考えてみたら、腹も減ってないし、酒も飲みたくなかった。「なんか気分的に飲みたいかも」と言う理由だけで、べつに飲まなくて良かった。雑誌もいらない。置く場所ないし、電子書籍は読みづらい。今まであんなに断酒が難しかったのに、こんなことでいいんだと、少し拍子抜けした。物欲も治ったし、コンビニで余計なものも買わんくなった。そもそも腹が減ってないかも?になり、ご飯もいらねえなァ…になった。さすがに食わないわけにはいかないので作りすぎたカレーは食っていたが、2キロくらい落ちた。今まで食いすぎていたのかもしれない。この理論で言うと仕事が一番「この仕事って本当に私と社会のために必要なんか?」と思ったが、まじめな社会人なのでそこは考えず黙っていた。
ただ単に考えるための気力体力がなかっただけなのもあるが、頑固な割にスポンジの適正が高いので、メシもいらねえ、酒もいらねえ、余計なものもいらねえ、本もいらねえ、と一気に【この状態】になった。いらないものが全部そぎ落とされた私、つまんねーな、と思った。


昨日、職場の後輩と映画『ゴールデンカムイ』を見にいき、その後は居酒屋で酒を飲みながら感想を述べあった。私は【カネかかりコンテンツ】が大好きなので(ライブで火柱が何本も上がると爆裂に大喜びしてしまう)、カネがかかってるなァとか、山﨑賢人はがんめんぢからが高いなァとか、高畑充希はカワイイなァとか、津田健次郎はいい声してるよなァと思いながら終始口を半開きで見ていた。一方後輩は2度目だったので、色々と(初見では気づかないような背景の細部など)気づくことがあったらしい。普段はクールで頭がよく仕事ができる一方でとんでもなく語彙のない彼女が、酒が入ると“無い”語彙で熱弁するさまはいつも面白いので、昨日も“語って”くれた。
彼女はいわゆる「漫画作品の実写化」にあまりいい思い出はないらしく、はじめに『ゴールデンカムイ』を見た時も「所詮実写化」といったような、穿った見方をしていたらしい。それが見事に覆され、よかった、制作スタッフの作品に対するリスペクトが感じられた、そのリスペクトがスクリーンからあふれ、ほとばしっていた。突き詰めることは〝異常性がある〟という意味の〝変態〟なので(彼女の好きなキャラクターはゼンラニウムと姉畑しとんである)、「変態」という言葉をバカにしたニュアンスで使って片付けてはいけない、こんなにリスペクトと情熱があり、生命を感じられる【異常な】作品ができるのだ、と語っていた。本当にこんなことを言っていたわけではないが、少なくとも、彼女の乏しい語彙の熱弁を私が要約するとこんな感じであった。おもしれー女だな、と思いながら聞いていた。こんなに熱弁されたら「カネがかかっててよかった」という感想がいかに浅くてばかばかしいか、と思ったので何も言えず、とりあえずハイロー見たほうがいいよと言っておいた。おもしれー女に「おもしれー女」と思える心の部分が残っててよかった。昨日は、充実した時間を過ごせたなァと思いながら日付が変わる前に眠りにつくことができた。

おもしれー女

冷静に問いかけると、映画『ゴールデンカムイ』、見たいか見たくないかで言えば面白そうだし見たいなァと思うが、「ものすごく見たい」わけでもなかったので、別に「見たくない」のかもしれない。飲み屋も、行きたいか行きたくないかでいえば「ものすごく行きたい」ではなく、「よかったら行こうよ」程度なので、別に「行きたくない」のかもしれない。でも日々を彩るもの、楽しいもの、豊かにするものって、こういう【寄り道】的な部分にこそ詰まっているのではないだろうか。
占いも自己啓発もいいが、それを全部鵜呑みにしないで、一番大事なのは自分でよく考えることだよな。と、また道徳の教科書みてえなことを思った。全部鵜呑みにして、つまんねー女になっちまうところだった。まだこういったことに気づけてよかった。

一部です

起きるとAppleから利用明細のメールが届いていた。いらないものがそぎ落とされたシンプルな数日間に、キラリとかいうオタク搾取コンテンツでスクラッチをした参加賞の利用明細だった。全部顔のいい男の高画質画像データしかもらえなかったが、私ってまだおもしれー女でいれる部分残ってたんだ、よかったな、と思った。でもデブだから「問いかけダイエット」は続けていく所存である。

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