豊かさ

10年くらい前に90歳で死んだ祖父はカメラが趣味であった。公民館とか○○ギャラリーとか百貨店とかでやってる「○○写真展」みたいなやつにもよく出ており、私も小さい頃はクソ荒い運転で祖父の写真撮影について行った。流星群の日だといえば、一緒に撮りにいった。大きなカラーの写真がたくさん載ってる図鑑をたくさん買ってくれた。旧制中学のときから独学でカメラを学び、地元の写真館の人に誘われて、仕事を退職したらベトナムだかシンガポールだかにカメラの講師に行くはずだったらしい。昔書いた日記をワープロで書き起こして厚紙で製本し、死ぬ数ヶ月前まで病院にワープロを持ち込んで日記や自伝を書いていたほどマメな人間だったので、撮影した写真も「○月○日 曜日 天気 場所 被写体情報」みたいなメモ書きとともにアルバムに綺麗に収納されている。この彼のアルバムはマメに書かれた日記と連動しているので、同時に読んで楽しめる。こんな同時連動コンテンツ、おそらくウチの爺さんのオタクがいたら泣いて喜んでしまうが、末孫の私が誕生した日のことは日記にも写真にも残されておらず、生後1年の時に頭を怪我した日にようやく私の存在が彼の日記に登場する。そんなことある???????私は1歳の時に、彼の人生において突然登場した女なのである。

めっちゃいい爺さんの写真。いつかパーカーとかTシャツにしたい

そんなカメラガチ勢の爺さんほどではないが、最近インスタントカメラにハマった。いわゆる「写ルンです」で、近所のホームセンターに売っているのを見かけてたまたま旅行に行って、お近くのカメラのキタムラに現像出したら売ってたから買って、の繰り返しで3ヶ月くらい経った。

見た目がかわいいね(これはiPhoneで撮った)

カメラのキタムラに売ってるニューレトロというやつも赤とベージュがすごくかわいくて(なんか知らんけどリンクがつけられないので検索してください)、持ってるだけでちょっと気分が変わってくる。曇りの日や室内ではフラッシュを焚かなかったので、最初の方はほぼ“闇”の写真を撮っていたが、3回もすればようやく使い方もわかってきた。

曇りの日の午後にフラッシュ焚かないとこうなるんだね

インスタントカメラデビューは昨年秋である。友人が神奈川県の鎌倉に住んでいるので、泊まりで遊びに行ってきた。旦那さんのことも付き合ってる時から知ってて、リモート飲みもしたし結婚式にも出たが、ちゃんと(?)ガッツリ絡む(?)のは初めてだった。ふたりともツイッター(旧X)やインスタの類をやっていないので、気が向いた時にLINEのやり取りをしてアポを取って旅行して近況報告をし合うが、この夫婦、雨なら傘を、晴れたらランチを、ってくらい“晴耕雨読”の暮らしをしている。大の酒好きで、大の旅行好きで、それきっかけで仲良くなったらしい。
私もまあまあマイペースな自覚があるが、私以上にマイペースで、でものんびりはしていなくて、それぞれの勝手な速度で回る歯車がたまたま合致していた、という感じがある。お互い気になる店とかあったらすでに工程が決まってても変更するし、そのあとに本来の予定を凝縮するし、ふだんから新しい店とか開拓するタイプだ。2人ともメチャクチャ頭がよく博識、音楽が趣味、ふつうのOLとサラリーマンなのにデケェバイオリンみたいなやつが5本くらいある。2人しかいねえのに、デケェバイオリンが5本もあってどうすんだよ、と思ったし言った。ギターも3本くらいあって、2人しかいねえのにギターが3本もあってどうすんだよ、と思ったし言ったら、アニメちいかわの『ひとりごつ』をオリジナルのアコギアレンジで披露してくれた。
めちゃくちゃ凝り性で、夫婦揃ってコーヒーにハマり、本格的なコーヒーキットを購入したほか、アウトドア用のコーヒーキットみたいなのを買い、コーヒーを飲んでるらしい。こんなにもメチャクチャオモロなのに、前述のとおり彼らはSNSの類いをやっていなくて、オモロの自覚もないらしい。彼らの日常は彼らだけで完結されていた。結婚前を含めて鎌倉には2年住んでて、うめえ店やバー、キッチンカーをメチャクチャ知っていた。週末のたびに鎌倉を歩き回るけど、まだ鎌倉を何も知らないからもうちょい住むと言っていた。頭って実るほど垂れるんだなァ、と思った。
10代を同じ地元で過ごしてたけど、今は何も知らんところに住んで、あの時知らんかった会社に勤めて、想像もしてなかった仕事して、それでメシ食って生活して、なんか鎌倉の開拓までしてんのウケるよね、って話をしながら写真を撮った。

私はいくつか行きたい寺があったので案内してもらった。予定のない週末はほとんど出かけてる彼らも未だ鎌倉の全ての寺を回れていないそうで、鎌倉って広いしメチャクチャ寺があるんだなァと思った。
鎌倉は狭い道のわりにまあまあ交通量が多く、歩行者も多く、運転したくねえなァと思った。歩行者が横断歩道を渡るにはボタンを押さなきゃ青信号にならないので、ふたりして青になるまでの待ち時間をその辺の植物を見て潰している。私は植物を見ても「草だなあ」としか思わないし、デカかったら「木だなあ」しか思わないので、これにはびっくりした。友人は寺の前に生えていた、赤い実のついた木と草の真ん中くらいのやつを見て、「○○に行った時もあったよね。なんだっけ」と言っていた。山奥育ちの彼は、「コレは“センリョウ”で、もうちょい実が多く成るやつが“マンリョウ”だよ」と言っていた。青信号のことを気にしているのは、私だけだった。信号が2回目の赤になった時、ようやく友人が「ヤバいじゃん、青だったね」と言った。彼は「まあ、次の青を待てばいいでしょ」と言った。私は「ウ、ウワァ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!」と言った。なんて言えばいいか分からないが、一番近い感情が“豊か”だった。あまりにも““豊か””すぎて、なんだこのふたり、と思った。
ちょっとオシャレなギャラリーが併設されてるカフェで、手芸サークルみたいなところがクリスマスのリースだの、オーナメントみたいなものを売っていた。夫婦のどちらかが、「入ろう」と言った。サンタ帽を被った白ウサギの植木鉢があって、オシャレな苔(?)とセットで買うらしい。彼が「これ、○子に似てるじゃん」と言った。彼女が「ほんとに?買っちゃおうかなあ」と言った。PayPayが「ぺいぺい🎶🎶🎶🎶🎶」と言った。彼女が「玄関に新しい子たちが増えるね」と言った。リュックにしまいながら彼は「こんな店あったの知らなかったけど、知れてよかったね」と言った。私はまたしても「ウ、ウワァ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!」と言った。

彼らの行きつけのスーパーマーケットをいくつか教えてもらった。ここは何が安くて、魚を買う時はここで、と細かく教えてくれて、何かの機会に鎌倉に住むことがあったら参考にするね、と言った。みんなビールが大好きなので、ビールしかないバーに連れて行ってくれて、なんかグリルの店に連れてってくれて、最終的には宅飲みになった。

ビールしかないバーに連れてってもらった

今日の話になった。完全に出来上がっていた私は、「○○くんてさァ、ゆ、、、、、、“豊か”だよね!!!!!!!!!!!!!!!!」と言った。ものすごい知識、時間の波にとらわれない大らかさ、謙虚な姿勢、その目の前にあるものすべてを受け入れて日々を暮らしていく様子、すごい豊かだなァと思いました、と生き急ぎクソ早口で述べた。彼はゆったりした口調で、「人に対して『豊か』って言葉が出てくる銀座線ちゃんのほうが豊かだよね」と言った。私は「エエ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!?!???!!!」と言ってテーブルに突っ伏した。その発言がもう、豊かな人間にしか出てこねえ発言すぎるだろ。
でも私の友人はメチャクチャ豊かな女なので、豊かな女が豊かな男と出会って、結婚するほど信頼できる関係を築いていて、嬉しいなァと思った。私は「○子の結婚した人が、豊かな人で嬉しい」と言ってストゼロを空けた。その後、なぜかみんなでブラタモリを見て、スイカゲームをして、凝り性の夫婦がそれぞれのオススメの豆と温度でコーヒーを入れてくれたが、すでに3缶目のストゼロを空けていた生き急ぎの私は知らんうちに寝落ちていた。

あの旅行から2ヶ月経ち、年が明けて、先日4台目のインスタントカメラを買った。27枚撮りのカメラを、カメラのキタムラで現像+スマホ転送で2,000円程度である。27枚は意外と撮影に日数が必要なので、現像する頃には忘れてると思いきや、意外と撮った写真の一枚一枚を覚えているもんである。さすがに何月なん日の何時なん分とかは覚えてないが、上手に映ってなくても何を撮った写真で、この時なんの話をしてたよね、みたいなことをちゃんと覚えていた。このくらいの時間の使い方で生きていけばいいんだな、と思った。
ドルオタなのでチェキかチェキ以外かの人生しかなく、自担の写真は即確認してナンボだとしか思ってなかったが、大事なことって目に見えないんだなァと思う。見えることだけ信じちゃダメだし、見えないものを見なきゃダメだし、聞こえることだけ信じるよりも聞こえないことを聞いてかなきゃな、と思った。
たくさんの撮影した写真と、ネガと、自分の日記に囲まれて過ごしていた、うちの爺さんもそうだったんだろうか?当事者でも何でもない、残された人間がその「見えない世界」を見ようとしてもどうしようもないが、爺さんの日記にも写真にも残っていない私の誕生した日もそうだったらいいなァと思う。

たしかにドルオタやめたいといったが、自担の脱退はさすがに荒療治すぎ

アイドル界から中原聡太という存在があと数ヶ月で去ってしまうことに対して己の無力さを感じながら寝ます。

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