noteの更新が止まっていた。

そもそもこのnoteは「クリエイティブ系の趣味をつくろう」という名目で始めたわけだが、noteとかいうやつは、私がいちいち書くたびに「すごいですね!」とか、「○日連続更新しててすごい!」とか、「すごい!○週連続更新です!」みたいなことをいちいち言ってくれる。別に言いたいことを言ってるだけなので偉いもクソもねーだろと最初は思っていたが、こうやって褒められ続けていると、「私ってもしかして偉いのかもしれん、、、」になるから不思議である。まじで自己肯定感がゴミクソなので、褒められるとすぐ好きになってしまう。私のことを褒めないでください、好きになってしまうので…。
noteを始めて気付いたのだが、私は文章にすると脳みそがスッキリされるらしい。喜怒哀楽が激しくメチャクチャ感情的な一方でメチャクチャ理屈っぽいというメチャクチャめんどくさい性格をしているので、ライブやら映画やらドラマやら漫画やらを見ていても泣きながら「私は今、このシーンを見ながらなぜ泣いているのか、それは○○で○○だったのが○○だったからだ、○○のシーンは○○に違いなく、○○で(略)なので、ここで涙を流している」みたいに、全部の【感情】の【理由】を【分析】し、説明してから自分の中で【完結】させるフシがある。めんどくせえし、疲れる行為だ。そんなんだから映画やドラマや漫画があまり向いてなく、クリエイティブのカケラもないつまんねえ人生を生きているのだが、この話はまた別の機会にする。

noteのシステムに誉められるのが嬉しくて、ネタを探していると、意外と書くことがある。好きなことを書けばええんやろ〜と思っていたが、私は意外と【好きなこと】があるらしい。それらは日々私の脳内で止まっており、たまに飲み会の時にプレゼン資料を作る程度だ。そして日本語の文法が壊滅的なので(敬語が使えない)、たぶん元々文章を書くことはそんなに得意ではないが、「文章、、、、書くか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!」と思うと、意外と書くことがあるんだなァと思った。そういや夏休みの宿題も読書感想文と自由研究だけはメチャクチャ好きだった。ちなみに賞をもらった経験はない。
自分の脳内整理のつもりで始めたコンテンツではあるものの、整理して公開するにはある程度推敲が必要だ。あたりまえだが、推敲って、必要な行為なんだなァ…と思った。駄文ではあるが、まあまあ時間をかけたものはかわいい。ブログ記事という【概念】にかわいいもなにもねえ〜だろ、とは思うが、そっか、自分が時間を削って生み出したものって、かわいいんだなァ…と思った。かつて、カスみてえな卒論とカスみてえな修論を生み出した私の思想とは思えなかった。
ここ最近更新が止まっていたのは、推敲もなにもなく、シンプルに時間がないからである。以前から帰って寝るだけの生活をしていたが、以前にも増して帰って寝るだけである。労働がアホほど忙しい。なんでこんなに忙しいんだろうか。

【ナニ】と【ダレ】のオタクなのか一目でわかってしまう部屋

私の家には上記画像の時計、炊飯器の時計、IHコンロの側の時計、洗面台の時計の、4つの時計がある。この中で何一つ性格な時間を示すものはない。ご存知の通り、私はまあまあ時間にルーズである。しかし時間にルーズなのは悪癖なのも分かっているので、戒めのために腕時計を5分早めるクセがあった。しかし人間はこの【戒め】に慣れるので、さらに5分早める必要があった。それを繰り返していたら、性格な時間を示すものはなにもなくなった。時計がズレても、何も気にしなくなった。そんなわけで上画像の時計はここ数週間、止まったままである。スリコで買ったものだが、メンドルのウチワやポスターにはさまれると、メンドルのように見えてくるから不思議である。
炊飯器は、姉からもらった。もらったときから10分ズレていたが、説明書もない(現代家電には説明書がない)ので、合わせる気もなかった。米が炊ければいいかな、くらいの気持ちである。
料理をしていると目の前に時計がなく、前述の炊飯器は振り向かないと時間がチェックできないことから、不便だなァと思いながら3〜4年暮らしていた。そして、「もしかしたらIHの近くに時計を置けばいいのでは?」と思い、導入した。これが朝、弁当を作る時などに大変便利で、もっと早くから気付いてればよかったな、と思ったが、さっき鍋を作っていたらコイツも止まっていた。止まっちゃったよ…と思って鍋作りを続行したが、しばらく経ったら動き出したので、「まだ生命力があるんだな」と感動した。元々7〜8分早かったのに、止まっていたため結局20分くらい遅れているが、気力がないので直していない。
最後は、洗面台の時計である。学生時代のバイト先でもらったものを律儀に使い続けているが、私は職場の遅刻癖があるため、10分早めている。
ここまで来るとお分かりだろうが、私の部屋には正確な時計が一つもない。もともと時間にルーズなため、時を早めていたので、正しい時計などはなかったが、時計が止まったり遅れたり電池がなくなったりして、結局1番正しいのは命より大切なiPhone15の時計である。しかし毎秒iPhone15を触りながら生きているわけでもないので、正確な時間など、今後知ることもないのだろうな…と思った。
そういえば帰り道に寄ったスーパーの時計も、30分くらいズレていたことに気付いた。家に着いた時にiPhoneで見た時刻と、スーパーで時計を見た時の体感がずれていたからである。
しかし、正確な時計のない部屋で生きている私なので、もしかしたらその“体感”すらも間違っているのかもしれない。カスみてえな話だ。

言いたいことがなくなってしまったので、また関係のない話をする。
ご存知のとおりラーメンが好きで、ラー活は数少ない趣味だ。家系が大好き。たぶん家系も私のことが好きだと思う。
住んでいる地域に家系があまり多くないので、よく行くラーメン屋数軒は必然的に固定になる。人の顔を覚えるのが苦手で、3回目に会った人にも「初めまして」と挨拶するレベルのカスであるが、私はラーメン屋の店員さんのことだけはメチャクチャ覚えている。


時計も読めねーし記憶力は最悪なのに、私はよく行くラーメン屋の店員さんの「この人とこの人の日は普通でも味付けが濃いめだからライスで調整する」とか、「このお姉さん2人の出勤日は回転がメチャクチャ早いがライスは柔らかめ」「お兄さん2人の日は回転が遅めだが、ライス固めで出してくれる」みたいなことをメチャクチャ覚えている。ラーメンのことが好きなので、運ばれてくるラーメンに対して、“ライスは固め”とか“柔らかめのライスが来るから、スープを飲む量を調整する”とか、“ライスは硬めだから、麺とライスのタイミングを調整する”など、運ばれてくる少しの間でも、そういったことに【備え】たいからだ。上司からはキモがられるしまつである。
今日も外回りのランチタイムに上司とラー屋に行った。店員さんは、ヒゲのお兄さんと、ショートヘアのお姉さんと、金髪を刈り上げているお姉さんである。いつもよりも客数が多かったが、「あのお兄さんは多分新しい方ですけど、他は仕事の早いいつものお姉さんたちなので、早く運ばれてくると思いますよ」と言ったら、「そういうことより仕事のことを覚えてほしい」と言ったようなことを言われた。まあまあのdisであるが、気にしなかった。私たちの前にも客はいたが、本当にメチャクチャ早くラーメンは運ばれてきた。「ね、早く運ばれてきましたね」と言ったら、「そうだね」と言われた。ラーメンはおいしかった。
Googleでこのラー屋を開いたら、☆3.5くらいだった。「女性の店員さんがテキパキしていた」と言ったようなことが書いてあった。
「私以外にも見てる人いるんですね」と言ったら、「そうだね」と言われた。
あのラーメン屋にメチャクチャ行っているから自信をもって言えるが、あのラーメン屋の少なくとも客席から見える範囲には時計がない。ラーメン屋なので大量のキッチンタイマーみたいなやつはあるが、果たしてあんなにたくさんのキッチンタイマーがあって、人は時計に縛られることはないのだろうか?

これ以上書くことが思いつかないので、私が銀座線沿いで働いていた時代のラーメン屋(閉店済み)写真でおわりです。

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