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真田幸村 愛馬の墓 大分県碇山(おおいたけん いかりやま)

大分県大分市津守 碇山 にて真田幸村(さなだ ゆきむら)の愛馬の墓があるので見学に行ってみました。
なぜ。真田幸村の愛馬が大分にあるのかというと・・・。
このお墓の馬は、大阪冬の陣・夏の陣の際に、真田幸村が乗馬した愛馬であったとされます。
大阪夏の陣で徳川家康(とくがわ いえやす)の孫・松平忠直(まつだいら ただなお)の家臣である西尾宗次(にしお むねつぐ)が真田幸村を安居神社付近で討ち取りました。
家臣の手柄は、主君の戦功ですので、この功績により、捕まっていた真田幸村の愛馬「真田栗毛」は、松平忠直に与えられました。のち、松平忠直はいろいろあって豊後府内藩で謹慎。この時、真田栗毛も連れて来たようです。
しかし、数年後に真田栗毛が亡くなり、松平忠直は手厚く葬った。
つまり、この碇山に真田栗毛の墓があると言う事になります。

碇山は標高56mで、大分県で一番低い山ともされ、山頂部には松平忠直ゆかりの熊野神社もあります。その昔、この碇山は海に隔たれた島だったそうで、碇島と呼ばれていたのが、島ではなくなったため、碇山と名づけられたそうです。

馬の墓といわれて調べると、徳川家康の墓がある、静岡にある東照宮にも、徳川家康の墓のすぐ近くに、徳川家康の愛馬の墓がある。四国では長宗我部元親の愛馬の墓、九州では島津義弘の愛馬の墓などがある。いずれも有名大名クラスでして、松平忠直といわれるとなんで?となり珍しい(後日「松平忠直」を書きます)。なお、この碇山には一伯公(松平忠直)霊廟もある。
謹慎が許されることなく大分で生涯をおえた松平忠直にしては真田幸村と戦った記憶こそが自分にとって大事にしておきたいものだったのでしょう。お墓も自分の愛馬の墓にせず真田幸村の愛馬の墓としているところがにくいです。
ちなみにお墓には五円玉が6枚並べられていて真田6文銭をもじっている方がいたのだなと思い、ニヤリとしてしまいました。へんぴなところですが一度見ると面白いかもしれません。
真田幸村の愛馬のお墓でした。

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