見出し画像

【失敗の本質】人はなかなか変わらないことを知る

皆様、こんにちは。清家です。

現在私は、アメリカのロサンゼルスで日本食飲食店を2店経営しております。

飲食店を経営する上で、私自身、過去に数えきれないほどの失敗を重ねて来ました。

大きいもので言えば、アメリカで起業したあと、従業員から訴えられて3,000万円を失ったり、その前には母親との絶縁、母親のあとは弟との絶縁、人から騙されたり、飲食店経営の資金難で倒産が頭をよぎったことも1度や2度ではありません。

※現在、母親と弟とは関係が修復し、とても仲良くやっています。念の為ご報告します。(笑)

物事がうまくいかなかったり、心に深い傷を負ったり、多くの人の前で恥をかいたり、できるならば人は誰しも失敗は経験したくありません。

しかし、過去を振り返ってみると、自分が経験してきた失敗には心から感謝しなければならないと感じています。

それは、強烈な失敗経験を通じて初めて、人は変わることができるからです。

人はなかなか変わらない


あなたは過去に、家族、友人、同僚、恋人、子供など、周りにいる近しい人の性格や行動を変えようと思ったことがあると思います。

周りの人だけではなく、自分自身に対しても、習慣や考え方をより良い方向に変えていこうと挑戦したことがあるはずです。

しかし、他人や自分が変わった、もしくは現在進行形で変わっていると感じることは滅多にないのではないでしょうか。

固く決意し心に決めたことでも、時間が経つに連れ、今まで通り、元の状態へと戻っていくことがほとんどです。

初めてはみたものの想像以上に面倒臭い、また次の機会に時間をずらせばいい、お金がもっと貯まったら、今やっている仕事が終わったら、次のチャンスが来たら、環境が整ったらと、無限に出てくる言い訳に流されることになります。

アドラーの心理学に「行動を起こさない理由は、やればできるという可能性を残すため」という言葉があります。

自分はまだ本気を出していないだけ。本気を出せばいつでも変わることができる、と未来に希望を残しておきたいという心理です。

また、自分を変えていくことがどれだけ難しいかということが分かれば、先述した家族、友人、同僚、恋人、子供など、他人を変えるということが、どれだけ至難の技であるかということが容易に想像できます。

人の行動や性格は、過去の経験、思想、考え方、性別、環境、資産、職業など、多くのことが複雑に絡み合って形成されています。

安易な気持ちでは、人の行動や考え方は変わることがないのです。人はなかなか変わることができない生き物だということを忘れてはなりません。

しかし、そんな普遍的な性質を持つ人の性格や行動も、あることをきっかけに変わることがあります。

それは、心に深い苦しみを受けたときです。

心深くに衝撃を受けた場合にのみ、人は変わることができる


先述の通り、人はなかなか変わることができない生き物でありますが、文字通り泥沼を這うように、力強く着実に前進して変化する人がいます。

どんな人なのか。

それは、心臓をえぐられるように心に深い苦しみを経験した人です。

今までの人生で経験したことがない、衝撃的な出来事に遭遇したとき、それが引き金となって人は変わることがあります。

・生死をさまよう体験
・信頼している人に騙された経験
・恋人、家族、親友の死や別れ
・あとには引けない背水の陣の起業
・強烈な自己嫌悪
・近しい人の不幸
・突然自分の身に降りかかってきた不幸
・不公平で理不尽な経験
・人生で味わったことがないような失敗

目的を達成するために自分でも変わらなければならないと分かっている、他人から何度も同じことを言われている、同じ失敗を繰り返しているのに止められない、こんな経験をしても尚、変わることができないのは、心のどこかで「まだ、自分は変わらなくても上手くできる可能性があるのかも知れない」という、小さな可能性に望みをかけているからに他なりません。

そのような小さな望みを打ち砕き、半強制的に自分自身が変わることを強いられる状況になるには、先に書いたような、強烈な出来事が自分の身に起こらなければならず、そのような経験をして初めて人は変わることができるのです。

物事が上手く順調に進んでいるときは、謙虚になることが難しい


長年の努力の結果が報われ、物事が順調に進むときがあります。

こういうときにこそ、人は謙虚になり、人生で起こる物事に対して感謝の気持ちを持たなければならないのですが、自分が実際にそのような状況に置かれると、初心を忘れてしまいがちになるようです。

私はもともと、経済的な自由と精神的な豊かさを求めて10代の頃からいつか自分でビジネスをしたいと、起業することを夢みていました。

30代前半でその夢の実現が近づいた頃「成功しても謙虚な気持ちだけは忘れないようにする」と、何度も自分自身に言い聞かせていました。

しかし、金銭的に余裕が出て、高級なレストランで食事をしたり、少しいい車に乗ったりし始めると、起業したての頃とは少しずつ考え方や態度が変わっていったようです。

「考え方や態度が変わっていったようです。」と書きましたが、ポイントは、自分では自身の変化には気付いていないということです。

自分の中では、親孝行したり、従業員のために行動したり、周りのことを考えながら日々過ごしているつもりでも、自分の内側と周りから見られる外側では、ギャップが生じていたようです。

ですので、身近な人から忠告を受けても聞く耳を持たなくなります。正確には、聞く耳を持たないというよりも、自分はしっかりとやっている、結果を残しているという認識下にあるため、忠告を受けてもその言葉を心から理解することができなくなるようです。

自分自身の置かれている状況や、周りの環境が変わっても「自分の人生はこうありたい」という、理想は常に持っています。

周りの人からの忠告や、自分自身の考えで、その理想に辿り着くことができなくなったときに、見えない力が働き、そこで気付きが与えられるのかも知れません。

私の場合ですと、大金を失ったり、母親や弟との絶縁、人から騙されたりなどです。

心の深い部分に衝撃を受けて、ようやく変わることができたという具合です。

実際に、大金を失ってからはお金に対する考え方が変わり、従業員に訴えられてからは、会社経営と組織についてより真剣に考えるようになり、母親や弟と絶縁したあとには、人間関係の大切さを深く認識するようになりました。

人は失敗した経験の分だけ器の大きな人間になる


自分の人生を振り返ってみると、真になにかを学んだと感じるのは、いつも心をえぐられるような経験をしたときだということに気付きました。

常日頃から、自分自身を客観的に見つめ、物事の本質を見極めることができるという優れた方もいらっしゃいますが、私にはそのような能力がないため、人の何倍もの努力をしなければなりません。

哲学者ソクラテスの有名な言葉に「無知の知」というものがあります。「自分には、理解して分かっていることなど何もない」ということを知ることが人生では重要であり「自分が知らないことを知らないこと」は罪深いという考え方です。

私にとって自分が何も分かっていないことに気付くのは、いつも大きな失敗を経験したときでした。

別の視点から見ると、大きな失敗を重ねる度に、心に深く傷を負いますが、過去を振り返ったときに、その経験のおかげで成長していることに気付かされるのです。

大きな成長を遂げ、器の大きな人間になるには、失敗を経験しなければならないというのは、最大のジレンマではありますが、人生のプラスになるということが分かれば、失敗は恐れるものではないということが分かるはずです。

自分の夢に向かって「行動と失敗」を繰り返すことが、人生なのかも知れません。

最後までお読みいただきありがとうございます。

清家 秀俊

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?