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70年代後半から80年代前半の日本ミュージックシーンヒストリー 前編

こんにちは、Hideです♩

昭和だった70年代後半〜80年代前半、日本の音楽シーンでは歌謡曲が衰えてフォークやロックミュージシャン達が、以前のアイドルの様にお茶の間からの人気を得てきました。

それまでは、演歌が強く、若い女性からもポップス系のアイドルが絶大な人気がありました。

そんな歌謡曲に替わる様に、1970年代前半には井上陽水や吉田拓郎、かぐや姫等が台頭してきました。

若き日の井上陽水

その背景にはベトナム戦争が勃発し、世界中で平和が叫ばれていた事があります。

そこに現れたのが反戦フォークで”LOVE&PEACE”を掲げた歌を若者がこぞって歌っていたのです。

日本のフォークは当時貧しかった若い学生の身近な暮らしの中にある思いや切なさを描いていました。

学生運動も盛んな頃で、反戦や国の改革を目指していた若者にはリアルな歌は心に刺さった様ですね。

私の10代の頃には、校内暴力が日本中で起こり、大人との戦いが繰り広げられていたことから、少年のやり場のない怒りや儚さを尾崎豊が歌い若者の支持を得ていました。

音楽は時代を映すものです。

そんなベトナム戦争も終わり、日本も高度成長期も頂点を超え、製造業から排出される大気や水気汚染が社会問題になり、その課題も70年代後期には解決されました。

そう日本が発展していく上で起こる課題をクリアして安定期に入った時期です。

音楽も混沌とした世相から落ち着きを取り戻し、人それぞれが楽しむといった文化を求める様になりました。

私が中学高校そして、19歳で社会人となり、それぞれの時代で自身の立場から見た日本の音楽シーンをお話ししていきます。

長い記事になったので前編と後編に分けてお送りします。


フォークやロックが大衆化 片隅にいた音楽が大勢の人に聴いてもらえる様になる

70年代初頭からフォーク系の音楽が大衆に受け入れられる様になってきた。

井上陽水がアルバムで日本のレコード史上初の100万枚超えのミリオンセラーを記録し、オリコンのLPチャートにおいても1974年と1975年で年間1位を獲得した。

長者番付でも歌手部門で1位にもなり、もう演歌や歌謡曲だけでは無くなったという事を陽水が証明してくれたのである。

同時期に吉田拓郎の「旅の宿」やガロの「学生街の喫茶店」、かぐや姫の「神田川」がヒット、そしてロックンロールでは矢沢永吉率いるCAROLが衝撃的に登場した頃であった。

そんなところからじわじわとフォークやロックが世間に認知され始め、70年代後期にはニューミュージックと呼ばれるフォークやロックのバンドやシンガーがヒットチャートのメインを飾るまでなった。

78年にデビューしたツイストやサザン、実力派バンドのゴダイゴ等が、かつてのアイドル並みの人気を博す様になる。

当時ツイストは、ファンが移動の新幹線のホームを取り囲み通常の出口からは出られなかったほどだったらしい。

ジャニーズのアイドルと同等な人気ぶりだった。

それまでは、好きな視聴者からしか聴いてもらえず、どちらかというと片隅でやっていたミュージシャンがそんなになるなんて誰も想像できなかったはずだ。

日本語ロック論争という課題を突きつけられていた日本のロックが、やっと認められ出した頃だった。

ロックは外国の物で、日本にはロックは存在しない、なんて言われていて外国人ミュージシャンは日本武道館で1万人を集めていたが、日本のロックミュージシャンは猿真似程度の評価しかなく、多くの客を集めることが出来なかった。

78年〜80年位までは圧倒的にロックやフォーク系の音楽がヒットチャートを賑わし、歌謡曲やアイドルは影を潜めていた。

あまりにもニューミュージックの勢いが凄かった為、歌謡曲が入る隙間が無かったのであろう。

逆にいうとアイドルの低迷期だったと言える。77年デビューのピンクレディーも凄まじい勢いで売れたが長くは続かず80年の解散コンサートでは後楽園球場に半分の客しか集まらずに終わりを告げた。

キャンディーズや山口百恵というところはチャートインしていたが、すでに引退や解散を宣言していたし、新たなスターの誕生は無かった。

歌謡曲では沢田研二や西城秀樹が頑張っていたが、彼らもどちらかというとロックをしたかったシンガーで、ロックの要素が強かった。

日本のロックの勢いも2〜3年で落ち着き、やがてテクノPOPが世間を騒がせることになる。

日本音楽シーンの転換期だった。

1978年当時のTWIST

1980年代 日本の音楽の変貌 シンセサイザーのピコピコサウンドが世間を席巻

私が中学から高校に上がる頃。ちょうど第一シーズン目の「3年B組金八先生」が放映されていた頃だ。

高校に入学した頃、なんか今まで聴いた事のない音楽が流れてきた。

シンセサイザーという大きなコンピューター楽器を酷使して、無機質で未来的な音楽を奏でるYMO(イエローマジックオーケストラ)の出現だった。

シンセサイザーというと、ゴダイゴのミッキー吉野がドラマ西遊記のサウンドトラックを担当していて、シンセサイザーを駆使して、中国の広大な大地の中暴れ回る孫悟空が妖怪を倒し、三蔵法師率いるチームで天竺を目指し旅をするというストーリーを見事に表現していた。

YMOはそれとは違い、都会的な世界観があった。

あの年は、日本いや世界中がYMOサウンドに染まったという印象が強い。

歌謡曲から何まで、それまでのニューミュージックのミュージシャン達もこぞってシンセサイザーを導入し音楽性の幅を広げていった。

それまでのギターやピアノでは表現しきれ無かった音がシンセサイザーにはあったのだ。

人間が演奏する事なくコンピューターが部分的に自動演奏させることも出来、音楽が変わったと言って良いだろう。

今でこそきゃりーぱみゅぱみゅやYOASOBI等が当たり前のように演っているが全てYMOのテクノPOPが元祖になっている。

シンセサイザーを操り世界の音楽を変えた、坂本龍一率いるYMOの功績は多大な物であった。

YMO無くして現代音楽は語れないだろう。

YMOのテクノPOPは革命的だった

80年アイドル全盛時代がやってくる 70年代とは違ったアイドル像

少しの間低迷していたアイドルだったが、1980年にデビューした松田聖子と、ジャニーズがアイドル文化を作り上げていった。

79年まで沈黙状態だったアイドルだったが、ジャニーズ事務所の巻き返しは凄かった。

いやここから真のジャニーズの歴史が始まったとも思える。

この年「金八先生」に出ていた、田原俊彦・近藤真彦・野村義男の田野近トリオが1年ずつずらしてデビューしていった。

その一番手が田原俊彦で、デビュー曲「哀愁でいと」はアメリカのアイドル歌手のレイフギャレットの「ニューヨークシティナイト」のカヴァーであり、当然の如くヒットして女の子からの支持を得た。

対等する女性歌手は松田聖子でデビュー曲は「裸足の季節」資生堂のフェイスソープのCMソングだった。

ここは圧倒的にプロモーションの差で田原俊彦が上回った。曲もヒットし、年末の新人賞レースも総ナメ状態であった。

金八先生の勢いをそのままに熱の冷めないうちにドラマで人気役を演じた田原を売り出すあたりは、流石はジャニーズといったところ。

松田も2曲目の「青い珊瑚礁」で1位を獲得し新人賞レースにノミネートされたが、田原には敵わなかった。

しかしここが面白いところで、田原はジャニーズが満を辞して歌手デビューをさせたが、聖子の場合はそれほど期待されていなかった。

ミスセブンティーンで優勝してデビューとはなったものの業界からの期待は薄く、逆にここまで売れるとは思っていなかったという話をレコード会社でバイトしていた当時聞いた事がある。

ドラフト4位で入団したイチローが期待されていなかったのにもかかわらず、世界を代表する選手になったのと同様に聖子も、最初期待されていなかったのを強運と実力で確固たる地位を築き上げたのである。

最初は郷ひろみに会いたいという普通の女の子が抱く動機から歌手にはなったものの、彼女のやる気が大きく夢を膨らませていったのだ。

いくら周りの絶大なバックアップがあったにしろ本人が本気にならなければ到達できない域があると思う。

そこに達した聖子はアイドルという枠には収まらないアーティストになったと言えるだろう。

そこから中森明菜や「花の82年組」と呼ばれる松本伊代・早見優・石川秀美・堀ちえみやキョンキョン(小泉今日子)シブガキ隊等、40年という長い年月を過ぎた今でも芸能界で活躍するスターが出現した当に当たり年だった。

その後、中山美穂等ドラマや映画でも活躍するアイドルも出てきた。

80年代中盤から現在のAKBグループの前身である、秋元康がプロデュースしたクラブ活動感覚で芸能活動をするというコンセプトの”おニャン子クラブ”が人気を得たり、色んな形のアイドルが出てきた。

フジテレビが毎日夕方に放送した”夕焼けニャンニャン”から出てきたおニャン子クラブ

昭和のアイドルの黄金期。

それまで不遇だったフォークやロックが人気を得て、可愛いくて格好良いアイドルがこぞってヒット曲を連発しテレビに出て歌う、そんな時代だった。

アイドルが世に与えた影響はと言うと、ファッション面ではヘアースタイルが、中高生が皆聖子ちゃんカットと呼ばれた髪型で、男は田原俊彦やマッチ(近藤真彦)がしていたボリューム感のあるショートカットで前髪は下ろすヘアースタイルが大流行した。

何かが流行れば皆がそれを真似てする、そんな時代だった。

後半へ続く

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