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映像記憶能力を持つことの光と影

はじめに

この記事は、決して自慢するためのものではありません。むしろ、映像記憶(写真記憶とも呼ばれます)という特異な能力を持つ私の学生時代と、その能力がもたらした葛藤について、正直に綴りたいと思います。

映像記憶による学習

幼少のときから、私は映像記憶能力を持っていました。自分が興味を持ちさえすれば、教科書や資料を一度読むだけで、まるで写真のように記憶することができたのです。そのため、暗記という行為が必要ありませんでした。

周りの友人が必死に暗記に苦しんでいる姿を見て、私は「なぜみんなできないのだろう?」と疑問に思っていました。自分の能力が当たり前だと思い込んでいたのです。

先生とのエピソード

中学時代、歴史の授業後に先生と話をしていた時のことです。

私「教科書って、最低1回、多くても2回読めばもう十分ですよね」

先生「それはあなただけなのよ。すごい嫌味になっちゃうから、決して口に出しちゃダメ」

先生の言葉に、初めて自分が人と違うことに気づきました。それ以来、この能力について口外することを避けるようになりました。

大学院での研究

大学院では、生命科学の研究に取り組んでいました。ここで、映像記憶能力が、研究において大きな武器となります。

ある研究テーマで、チームメンバーが半年かけても解けなかった難題がありました(詳細は、文末のnote記事をご参照ください)。

そこで私は最新の研究論文を大量に読み漁り、特に論文の図表を頭にいれていきました。そして、先輩研究者と相談しながら、問題点をノートに描き出し、自分の脳内に記憶した「写真」と何通りも組み合わせていきました。

そして、公園の散歩から帰ってきたときに突然ひらめき、難題を解決することができたのです。

能力の代償

しかし、映像記憶能力には大きな代償がありました。それは、嫌なことや辛いことも鮮明に記憶してしまうため、悪夢に悩まされたり、精神的な苦痛に耐えられなくなったりすることが多くありました。

そして30歳の時、重大なメンタル危機に陥りました。このままでは自分は狂ってしまうのではないかと、真剣に思い悩んでしまったのです。もし妻の献身的な支えがなかったら、今の自分はなかったと思います。

おわりに

映像記憶能力は、私の学生時代と研究生活において大きな力となりました。しかし、その能力は同時に、大きな苦悩をもたらしました。

43歳の今では、この能力もだいぶ衰えてきており、健康に暮らしていますので、ご安心ください。

この文章を通して、特異な能力を持つことの光と影について、少しでも理解していただければ幸いです。

「大学院時代のエピソード」

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