林海平

いつもしていること、考え事と遠回り。趣味、本屋パトロール。得意なこと積読。苦手なこと、…

林海平

いつもしていること、考え事と遠回り。趣味、本屋パトロール。得意なこと積読。苦手なこと、片付けと金儲け。モノガタリスト。

最近の記事

神に召されたフジコ・ヘミング

譜面通りに弾くのがピアノではない。 と言ったのは音楽の神ではない。 フジコ・ヘミング、その人だ。 ピアノは機能的なものではなく、全人的なものだ。 とも音を伝える人は言った。 ここに正しき人がいる。 正しき人の主張はいつでも単純で簡単である。 音楽の神など存在しない。 理想など語らず、現実的に音楽に向き合うべきだ。 ある詩人も似たようなことを言った。 文字の世界に言霊など存在しない。 すぐれた詩人はレトリックの技巧に長けたものだ。 詩人は言葉の選び方を磨くべきだ。

    • 視野の広さ≠客観性<価値観<情緒

      物事を俯瞰して見ることができないと、視野が狭くなり、判断を誤りやすい。逆に、物事を俯瞰して見ることができれば、視野が広くなり、全体像を把握しやすくなり、客観的判断の助けとなる。だから、ビジネスにおいても、人間関係においても、社会生活においても、俯瞰で物事を見ることが大事だとよく言われる。 空飛ぶ鳥が見る景色を再現するように描いた図を鳥瞰図とも俯瞰図とも言うが、いずれも高い視点から描かれるものだ。俯瞰で見るとは、「物事の風景や状況」を、鳥瞰図や俯瞰図のように、全体を把握できる

      • 凡の才と天の才

        ☆☆☆ 凡の才 心に希望を抱く 頭に理想を描く 天の才 心に花が咲く 頭に蝶が飛ぶ ☆☆☆

        • 道を踏み外す人と道を弁えない人 そこに道がなければきっといい人   あなたの歩むべきこの道を説く人 この道を走ればいいのだと諭す人 天への道を求め信じる人 何も信じないのが人の道 道を語ることで道を探す人 道を探すことで道に迷う人 そもそも道などもとからないのだ その諦めを知る人ぞ 道なき道を行き、道を切り開く人

        神に召されたフジコ・ヘミング

          わがままな意識さん

          意識とは面倒なものだ。私は自分の意識というものがあまり好きではないらしい。わがままだからだ。自分が意識をコントロールしているようで、実は意識に支配されている気がしてならい。寝たいのに、意識がそれを許さない。 でも、寝ている時以外はほとんど意識とともに生きている。だから意識をコントロールしたいとも思う。 ✨✨✨ 意識は、意外とわがままで厄介。どうして厄介なのかは、意識は自分のわがままぶりを自分で意識しないからだ。 意識は自分でコントロールできるというご意見もあろうが、そ

          わがままな意識さん

          映画 La Strada「道」、映画批評は苦手です

          私は、映画であれ、音楽であれ、小説であれ、あらゆる創作作品は、四の五の言わず、解説に頼らずとにかく直接見たり聞いたり読んだりした方がいいと思っているので、作品を評価することは後回しにしたほうがいいと思っています。 映画 La Strada「道」は、黒澤明監督の「七人の侍」と同時期1954年のイタリア映画で、戦後初めてイタリアの映画として日本に配給されました。この「道」が「シネフィルWOWOW プラス」で無料公開されていたので鑑賞しました。 上記の山下泰司さんのnoteの解

          映画 La Strada「道」、映画批評は苦手です

          お祭りの始め方教えてくれませんか?

          お祭りってどうやって生まれてきたの? お祭りの始まり方について、ずっと考えてます。 「そんなこと考えたって一銭にもならんで」とか 「なんとなくや、祭りの始まりなんて」とか 「祭りの始まり?そんなのノリや、ノリや」いうご意見もおありかと思いますが お祭りの作り方、始め方。 わかりたくて気が狂いそうです。(笑) お祭りと言っても、私が大好きな〇〇映画祭とか音楽フェスとかエンタメ的なものでも、興味を持っている地域活性化や観光促進のためのイベント的なものでもありません。

          お祭りの始め方教えてくれませんか?

          お注射日和

          ☆ お注射はオッサンにとっては非日常のことではない。 人の血管に針を通すというのは並み大抵のお仕事ではない。しかもご自分のためでもなく、オッサンの健康のために、お注射をしてくれる。オッサンはそんな看護師さんたちに感謝の思いでいっぱいなのだが、感謝の意を表することができず、いつも看護師さんたちに苦労ばかりおかけしている。 ☆ 日本の看護師さんはとにかく優しい。 注射針を刺す前に、「アルコールにアレルギーはありませんか?」と、親切にもアル中の私にも聞いてくれる。 三年

          お注射日和

          ダイバーシティとSDGsの本質を【自然と多様性】≠【人工と均一性】の構造で考えてみる

          自然はもともと多様性に満ちているが、人工的な都会空間では均一化の力学が働いている 桜島はいつ大噴火するかわかりませんが、毎日のように噴火を続けています。 南海トラフ地震がいつ起こるかもわかりませんが、地震は毎日起こっています。 屋久島になぜ縄文杉があるのか? 白神山地に行けばなぜブナの木があるのか? 日本にはたくさんの温泉が湧き出ています。 山々の間には川が流れ、やがて海に流れると魚たちが泳いでいます。 今私は自然とは何だろうということを説明しようとしているのですが、

          ダイバーシティとSDGsの本質を【自然と多様性】≠【人工と均一性】の構造で考えてみる

          言語によって「世界の見え方」は変わり、日本人の「世界の見え方」は日本語によってのみ表現が可能であり、翻訳不能であることを「私は生かされている」という表現から検証する。

          思考は言語によって形成される。日本人は日本語によって思考を形成していき、アメリカ人は英語によって、そして、中国人は中国語によって、思考を形成している。 わかりやすいところで言えば、アメリカ人にとって、神は明確な意味をもつが、日本人にとっては、神という概念は神道的な「八百万の神」だと説明できる。同じ神という言葉であっても形成される思考は異なる。もちろん、たとえ日本人であっても、子どもの頃から洗礼を受け、聖書が座右の書であれば、その限りではないかもしれない。 また、「中華」と

          言語によって「世界の見え方」は変わり、日本人の「世界の見え方」は日本語によってのみ表現が可能であり、翻訳不能であることを「私は生かされている」という表現から検証する。

          現代人がなくしたもの

          古代から現代への旅 古代の地球。時の刻は草木も眠る深い夜。灯りひとつない闇夜。静寂な夜に星が降っている。 やがて闇夜に目が慣れてくると、地平線よりも少し高い山とも丘ともわからないシルエットが浮かんできます。流れ星が目に飛び込んでくる。 もしかしたら、満点の星空から星座を探し出すことは大変だったかもしれません。星の数が多くあまりに解像度が高いと、星座を見つけにくいのではないかと思うのです。 さて古代から今にタイムスリップしましょう。冬至を迎える12月の中頃(このnot

          現代人がなくしたもの

          書き人そしてモノガタリスト

          林海平(はやしかいへい・Lin HaiPing)という名前は日本でのペンネームであり活動名です。 私は、これまで複数の会社を20年以上にわたり日本と中国で経営してきました。正直、いい時もありました。ですが、時代の流れの端っこで小銭を稼いだだけで、経営能力がないということを20年以上かけてようやくわかった愚かなものです。 直近ではプロデューサーとして中国と韓国のテレビ、ネットで放映配信されたアニメ(プリプロは日本人による中国のオリジナルアニメ作品)を作ってきました。その流れ

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          静岡県の川勝知事のマイクロアグレッションとアンコンシャス・バイアス

          静岡県の川勝知事が不適切発言をしてしまった。 その後の囲み取材の折、突然、辞職の意向を表明した。そして、次の翌日の記者会見で、職業差別とも捉えられかねないこの発言に対して、以下のように謝罪した。 詳しくはこちらをどうぞ。 発言の功罪についてはワイドショーにお任せするとして、ここではなぜこのような差別発言をしてしまうのかについて書きたいと思う。 ひとつはメタ思考能力の欠如だ。ここで言うメタ思考能力は、言葉が与える影響を一歩引いて俯瞰的に想像する能力のことだ。 「県庁は

          静岡県の川勝知事のマイクロアグレッションとアンコンシャス・バイアス

          迷走する幸福論

          それはひとつしかないかもしれないし、100億人いれば100億通りあるのかもしれない。 それはたったひとりのものかもしれないし、ひとりでは手に入らないものなのかもしれない。 それを夢見ることがそれなのかもしれないし、それはつかめないからそれを夢見るのかもしれない。 それをつかんだと思ったらやがてこぼれ落ちてしまうはかないものかもしれないし、つかんだら残り続ける暖かいものなのかもしれない。 それは自分にしかわからないものかもしれないし、自分ではわからないものなのかもしれな

          迷走する幸福論

          酒は鍛えれば飲めるようになるのか?

          私がまだ酒豪でなかったある時、高知出身の酒豪の先輩に「酒は飲むものであって、飲まれるものではない」と教えてもらったことがある。 この言葉を聞いて、当時の私はまだ何もわかっておらず「酒に酔うと人に迷惑をかけることもあるから、酒に飲まれたらよくないな」ともっともらしいことしか思いつかなかった。 「酒飲み」のなかでは酒に強いと無条件に「すごいね、飲めるね」と盛り上げようとする不思議な力が働く。時には「こいつ、やばいでぇ、ざるやからな」と最大の賛辞。 調子に乗りやすいオッサンは

          酒は鍛えれば飲めるようになるのか?

          酒の強さは遺伝で決まるのか?

          遠くは江戸時代。「飲む、打つ、買う」の三拍子は男(とくに武士)の甲斐性と言われていた。「大酒を飲む、博打を打つ、女を買う」のことで、道楽の限りをつくすという意味だ。 今では「飲む、打つ、買う」という表現は死語だが、昭和世代くらいまでは、「飲む、打つ、買う」の世界に魅了された殿方も少なくないはずだ。 オッサンも多分に漏れず、美女のいるお店でも散財したし、カジノも楽しんだ。そして、とにかく浴びるように酒を飲んだ。 ☆☆☆ こんなオッサンも学生時代は真面目で甲斐性のない男だ

          酒の強さは遺伝で決まるのか?