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【書籍】『致知』2024年6月号(特集「希望は失望に終わらず」)読後感

 致知2024年6月号(特集「希望は失望に終わらず」)における自身の読後感を紹介します。なお、すべてを網羅するものでなく、今後の読み返し状況によって、追記・変更する可能性があります。

「希望は失望に終わらず」とは?

 今月号のテーマである、「希望は失望に終わらず」という言葉は、様々な解釈が可能です。いくつか例を挙げたいと思います。

1. 希望は、どんな困難にも打ち勝ち、必ず実現する
 
キリスト教徒の聖パウロの手紙に由来すると言われています。パウロは、どんな苦難の中でも神への信仰を失わず、希望を持ち続けることが重要だと説きました。この考え方は、多くのキリスト教徒に受け継がれ、苦しい時でも希望を捨てずに生きる力となっています。

2. 希望は、たとえ叶わなくても、生きる糧となる
 
小説家・三浦綾子氏の言葉として知られています。三浦氏は、ハンセン病という病と闘いながらも、希望を持ち続けて生き抜きました。彼女は、「希望は必ずしも叶うとは限らないが、希望を持つことが大切である」と語りました。たとえ希望が叶わなくても、その過程で得られる経験や成長は、かけがえのないものとなるでしょう。今号のリード紹介はこの三浦氏のエピソードを取り上げています。夫となる三浦光世氏の著書名でもあります。

3. 希望は、人を前に進める力となる
 心理学者のアルフレッド・アドラーの言葉として知られています。アドラーは、人は「劣等感」を克服するために努力し、より良い自分を目指して成長していくと説きました。そして、その原動力となるのが「希望」であると考えました。希望を持つことで、人は困難な状況でも前に進む勇気を持てるのです。

 このように、「希望は失望に終わらず」という言葉は、様々な解釈が可能です。しかし、いずれの解釈においても、希望は人間の生き方に大きな力を持つものであることは共通しています。「希望は失望に終わらず」という言葉は、人生において非常に重要な意味を持つ言葉です。この言葉を深く理解し、自分の人生に活かしていくことができれば、より充実した人生を送ることができるでしょう。


巻頭:人間の是非のものさしを棄て、天の心、神の心で生きる—お題「和」にちなんで 青山俊董さん(愛知専門尼僧堂堂頭)p4

 人間の是非や善悪に対する一つの深い洞察が展開されており、特に人間界の是非の曖昧さや、天や神の心をもって生きるべきことが説かれています。良寛さまの詩を引用しながら、人間の判断がしばしば一時的な夢に過ぎないという考えを強調し、これは真の平和や調和(「和」)を求める上で重要な指針となります。

 聖徳太子の「十七条憲法」に触れ、特にその中の「和を以て貴しと為す」を取り上げています。これにより、心の中の怒り(いかり)を捨て、争いごとを避けるべきだというメッセージが強調されています。この教えは、個々人の精神的成長だけでなく、社会全体の調和と平和を促進するために不可欠です。さらに、自己の中に潜む無知や愚かさを認識し、それを乗り越えることの重要性を説いています。法然上人の詩を引用し、「松影の暗きは月の光かな」という一節を通じて、真の自己認識の重要性を訴えています。仏の光が我々を照らし、自己の中の愚かさを気づかせるというメタファーは、個人的な精神性の向上に寄与するものとして提示されています。

 また、日本の古典的な価値観と仏教の教えを融合させ、それを現代の複雑な社会問題に適用する方法を示しています。国内外で続いている争いや対立、特にロシアとウクライナの紛争を例にとり、正義という名の下に行われている戦争の根本的な問題を批判しています。これにより、正義を盾に取ることの危険性と、そのような行動が実際には個々人や社会全体にどのような影響を与えるかが示されています。

 聖徳太子とその教えに深く言及しており、太子がどのようにして政治のあり方や社会の基本的な道徳観を形作ったかを詳述しています。聖徳太子の政治哲学の核心には、人々の間の和を尊ぶという考えがあり、これが日本社会における長い間の平和と安定の基礎となっています。太子の仏教への深い理解と尊敬がどのようにしてその政策や治世に影響を与えたかを述べています。

 個人の内面的な成長と社会的な調和をどのようにして達成できるかという点において深い洞察を与えています。また、世界的な規模の問題に対するこれらの教えの適用を通じて、より広い視野での平和と理解の重要性を強調しています。このメッセージは、今日の複雑で分断されがちな世界において特に重要であり、読者に対して深く考えさせる内容となっています。「和」の精神、企業の中でも応用できる範囲は広いのではないでしょうか。

自分の中の、自分でも気づかない愚かさを、道をはずれた言動を、それと気づかせてくれるのは、私を照らしてくださる仏の光が明るい証拠である。聖徳太子を照らす仏の光が、いかに明るいものであったか。太子の仏教への学びの深さを思うことである。

『致知』2024年6月号 p5より引用

リード:藤尾秀昭さん 特集「希望は失望に終わらず」p10

 作家の三浦綾子さんの人生とその信念について取り上げられていました。三浦さんは若くして教師としてのキャリアをスタートさせ、生徒一人一人に深い関心を持ち、彼らの日々の様子を日記に記録していました。しかし、戦後の占領下での教育制度の変更に直面し、教科書の内容を墨で塗りつぶす指示に従わざるを得なくなったことから、教職への信念が揺らぎます。この屈辱感をきっかけに教職を辞任し、その後、重い病を患うことになります。

 三浦さんの人生は多くの困難に見舞われました。肺結核に始まり、脊椎カリエスなど重い疾患に苦しんだものの、彼女の人生には希望が常に存在しました。母親や父親、そして後に結婚することになる光世氏からの支えと愛情は、彼女の病状の回復を助け、彼女自身の内面的成長を促しました。彼女は、逆境に立ち向かう際の精神的な強さと忍耐が、結果的に希望へとつながると語っています。

 彼女の人生哲学は、「患難は忍耐を生み、忍耐は錬達を生み、錬達は希望を生む」という『新約聖書』の言葉に強く影響を受けており、希望は決して失望に終わらないという信念を持っています。三浦さんの生き方とその教えは、どんな困難も乗り越えることができるという強いメッセージを私たちに伝えています。それは、彼女がパーキンソン病と戦いながらも、未来に対して希望を持ち続け、人生を肯定的に受け入れる姿勢があります。

 絶望的な状況の中でさえ、希望を見出し続けることの大切さを教えてくれます。それは単に個人の成功の話ではなく、どんな困難も乗り越えることができる精神的なレジリエンスと、人間関係の支えがあれば可能であるということです。

「人生は思わぬ展開をするものですね。自分の思い通りに動くものではない。けれど、神の御手にゆだねて一歩一歩進めば、いつの間にか絶望が希望に変わっている、ということがある」
 実際に絶望を希望に変えた人の言葉は力強かった。
 パーキンソン病が進行する中でも、三浦さんは希望を持ち、人生に対し微笑んでおられた。希望を失望に終わらせない生き方を、その姿勢は教えてくれている。
 私たちも希望を持って人生を貫きたい。

『致知』2024年6月号 p11より引用

 組織や個人が逆境を乗り越える際に重要な教訓も示すでしょう。第一に、個人は内面の力を見つけ出し、困難に対処するために必要な精神性を培うことが重要です。第二に、周囲の人々のサポートが個人の回復力を高めることを示しています。最後に、人生の意味を見出すことは、どんなに困難な状況でも前向きな影響を与えることができるという点です。

 これらは、私たちが直面するあらゆる種類の人生の挑戦、特に職場での人事管理や個人のキャリア開発において、逆境に直面した際の対処の仕方についての重要な洞察を提供するものです。人事の視点から見ると、組織内でのサポートシステムの整備、職場でのメンタルヘルスの重視、個々の従業員の生涯にわたる学習と成長の機会の提供が、逆境を乗り越える上で不可欠な要素であると思います。これは、職場での持続可能な成功と従業員の満足度を高めるために必要な要素でしょう。「希望は失望に終わらず」まさにその通りです。

希望は失望に終わらず:佐治晴夫さん(理学博士)、鈴木秀子さん(文学博士)p12

 佐治氏は80歳の時に余命わずか3年という宣告を受けましたが、その時の心境を振り返りながら、長生きできる可能性に賭けて歩み続ける決意をしたと語りました。絶望的な状況の中でも、月刊誌の連載といった小さな希望を胸に抱きながら、一歩一歩着実に前に進んでいったのです。佐治氏は「人生とは、いま、この瞬間を生きること以外の何物でもない」と語気を強めました。年齢を重ねるごとに、物事の本質が見えてくるようになり、自ずと思考はシンプルになっていくとのことです。人生は今ここ、ここは強く意識したいところです。

ということは、私たちの人生は、「いま、ここに」しかないんです。カトリックには「自分が死ぬことを忘れるな」、その対語として「今日の花を摘むように、今を生きなさい」という教えがありますが、人生は突き詰めると、「いま、この時を生きていくことだ」というのが、八十九年間生きてきた僕の人生観です。

『致知』2024年6月号 p15より引用

 一方、鈴木氏は終戦直後の混乱期に、それまで信じてきた価値観を根底から覆されるという経験をしました。戦時中は天皇を敬うことを強要されていたのに、敗戦後は一転してそれが否定されるようになったのです。鈴木氏はその時の衝撃を「自分の心に墨を塗られたようだった」と表現しています。そして戦後の虚無感の中で、時代が変わろうとも決して変わることのない真理を求め続け、最終的には神とキリストに出会うことになったのです。鈴木氏はまた、修道院での生活が単調で周囲の変化が乏しいことから、ついつい自分の年齢のことを忘れがちになると打ち明けました。そして何より大切なのは、自分が健康であると信じる心の持ちようであると力説しました。

 佐治氏の人生の転機は、幼少期に体験した東京大空襲にまで遡ります。あの戦争の悲惨な記憶は、生涯消えることはないでしょう。また少年時代に訪れたプラネタリウムで初めて星空の美しさに打ちのめされたことや、恩師から受けた手厚い指導も忘れがたいものです。鈴木氏も、人生で出会った一人一人との交流が、その後の人格形成に大きな影響を与えたことを述懐しました。佐治氏は更に、出会いの意味は後になって初めて分かるものであり、その時の独善的な判断は差し控えるべきだと諭しました。

ここで大事なことは、その出会いがよかったか悪かったかは、その時には分からないということです。だから、それぞれの出会いは大切にしていかなきゃいけない。ケースにもよりますが「この出会いはよさそうだから」とか「これはあまりよくない」とか自分の価値観で判断しないことです。

『致知』2024年6月号 p16より引用

 失望から希望へと心を転じるには、遠大な理想を掲げるのではなく、目先の小さな希望を一つずつ拾い集めていくことが肝要です。そして日々の何気ない出来事にも目を凝らし、その意味を深く味わうことが大切なのです。過去に辛い経験があったとしても、これからどう生きるかによって、その過去の価値は決まってきます。新しいことを始めるのに、特別なタイミングなどないのです。思い立ったが吉日なのです。年齢も関係ありません。誰もが抱く小さな思いとそこから生まれる行動の積み重ねこそが、世の中を少しずつ、しかし確実に変えていく原動力となるのです。

 佐治氏にとっての人生の師は、免疫学の権威ルイ・パスツールでした。パスツールはパリ大学の学長就任の記念講演で、「偶然という幸運の女神は、準備された心にのみ降り立つ」と語ったそうです。これは新約聖書のルカ伝にも通じる言葉であり、佐治氏の好きな聖句の一つとのこと。人は常に心の準備を怠らずにいれば、思いがけない幸運に恵まれることがあるとのことです。

 鈴木氏が信仰を持つきっかけともなったカトリックの教えには、「自分の死を忘れるな」という言葉があります。その一方で、「今日の花を摘むように、今を精一杯生きるべし」とも説かれています。つまり死を意識しながらも、目の前の瞬間を全力で生きることが大切なのです。

 年齢を重ねれば老いを感じ、病に伏せることもあるでしょう。しかし心まで年を取る必要はありません。何歳になっても、人は希望を抱き、前を向いて生きていくことができるのです。大切なのは今日一日をどう生きるかです。心の若さを保ちながら、今という一瞬に全霊を傾けること。それこそが人生の真髄なのかもしれません。

 時代は移り変わり、価値観も変化します。だが、神への信仰と人を愛する心は不変です。絶望の淵にあっても、希望の灯火を見失わないことが大切です。小さな希望の積み重ねこそが、人生の大きな意味を形作っていきます。佐治氏と鈴木氏の対談は、そんな人生の指針を示唆に富んだ言葉で照らし出してくれ、大変感銘を受けました。

 今号の佐治氏と鈴木氏の対談から、企業人事として応用するとすれば、以下のようなことでしょうか。

  1. 挫折や失敗を経験した社員へのサポート
    社員が仕事上の挫折や失望を経験した際、小さな目標や希望を与えることで、徐々に立ち直る力を与えられます。過去の経験を前向きに捉え直し、新たなチャレンジへと導くことが大切です。

  2. 年齢に関係なく、社員の可能性を信じる
    年齢を重ねても、社員一人一人が持つ可能性を信じ、支援することが重要です。経験や知恵を若手社員に伝えるなど、年齢に応じた役割を与えることで、社員のモチベーションを高められます。

  3. 出会いや経験の大切さを認識する
    社員一人一人の人生の中で、様々な出会いや経験が、その人の成長や価値観に影響を与えています。人事担当者は、社員のバックグラウンドを理解し、その多様性を尊重することが求められます。

  4. 変化への適応力を育成する
    時代の変化とともに、企業に求められる価値観も変化します。社員が柔軟に適応できるよう、研修や教育の機会を提供することが重要です。同時に、普遍的な価値観や企業理念を大切にする姿勢も欠かせません。

  5. 今この瞬間を大切にする意識を持つ
    目先の目標に集中し、一日一日を大切にする意識を社員に浸透させることが大切です。短期的な目標を着実に達成することで、長期的な成功へとつなげていけます。

  6. 小さな行動の積み重ねを評価する
    社員一人一人の小さな行動や意識の変化が、やがて大きな成果につながることを認識し、適切に評価・フィードバックすることが重要です。

 佐治氏と鈴木氏の対談内容は、企業人事の観点からも示唆に富んでいます。社員一人一人の可能性を信じ、その成長を支援しながら、組織全体の発展につなげていくことが、人事担当者に求められる役割であるということを、改めて強く認識したところです。

人生のハンドルを握り扉を開けられるのは自分だけ:中島伸子さん(井村屋グループ会長CEO)p22

 今号の表紙も飾った、井村屋グループCEOの中島伸子氏です。井村屋グループは、明治29年に創業された歴史ある企業です。彼女自身、アルバイトから営業所長、社長、そして会長と昇進し、女性として多くの困難を乗り越えてきました。彼女の生き方や経営における姿勢は、「人こそ宝」という創業精神に基づいており、困難を乗り越えるたびにその精神を体現しているといえます。

 中島氏は、「開き直り精神」と「打たれ強さ」を重視しており、これらが彼女の成功の秘訣であると語っています。彼女は、また、多くの素晴らしい人々に恵まれたことも彼女の成長に大きな影響を与えたと述べています。父や浅田剛夫取締役会議長(元社長、会長)など、社内外で出会った多くの方々が、厳しさと愛情を持って彼女を育て、重要なことを教えてくれたと振り返っています。

 中島氏は、人を大切にすること、チームワークの強化、自身の信条「夢はでっかく、根は深く、葉っぱ広し」など、経営においても人間性を重視する姿勢を持っています。「夢や目標を持ち、しっかり学び、様々な仕事に挑戦することで、太い幹を持つ人間になれば、風や雨にも動じず、葉が広がり、花や実が成長する」と語るその信念は、彼女のリーダーシップにおける基盤となっているのでしょう。

私の信条は二つありまして、一つは「夢はでっかく、根は深く、葉っぱ広し」です。これは今年の入社式でも話したのですが、目の前の技術習得だけに焦らず、まずは夢や目標を持つ。人として大切な学びをしっかり勉強して根を深く張り、様々な仕事に挑戦して吸収する。そうやって幹を太くしていけば、風が吹こうが雨が降ろうが動じない自分をつくることができる。そうしたら葉も広がるし、いずれ花や実がなっていく。

『致知』2024年6月号 p29より引用

 中島氏は、人の強みを見出し、それを伸ばすことに喜びを感じているとも語っており、彼女自身が「人が好き」という点が、彼女がチームや組織をうまくリードする理由の一つとなっています。彼女のリーダーシップの下で井村屋グループは、長い歴史を持ちながらも革新的な姿勢を持続しており、日本だけでなくグローバルにも影響を与えています。特に「あずきバー」などの製品は、その品質と独自性で長年愛され続けています。

 「先義後利そして備えよ常に」という経営方針に基づき、井村屋グループは社会に貢献しながら企業としての発展を図っています。また、「一人の百歩よりも百人の一歩」という考え方を採用し、チーム全体で協力し、プロフェッショナルな姿勢を共有することで、組織の力を強化しています。

 ところで、中島氏の人生には、運命を大きく変える出来事があったとのこと。それは1972年の北陸トンネル列車火災事故で、彼女は九死に一生を得たものの、多くの命が失われるという悲劇を経験しました。この経験が、彼女の人生に深い影響を与え、「人が生きていること自体が奇跡であり、尊厳に値する」という考え方を形成しました。この思いが、仕事への姿勢や困難を乗り越える力に繋がっているのでしょう。

 彼女はまた、父からの手紙によって励まされ、「プラス1」という考え方を持つようになりました。困難を「プラス1」に変えることで、それを人々のために活かし、前向きに生きていくことができると信じています。この考え方は、彼女がアルバイトから正社員、そして社長や会長に至るまでのキャリアにおいても支えとなってきました。

 井村屋グループは、創業以来「人こそ宝」という精神を大切にしてきました。その一環として、女性の働きやすい環境を整えるための施策が行われてきました。社内託児所や産休・育休からの職場復帰支援など、長い歴史の中で続けられてきた取り組みによって、現在では女性管理職比率も高まり、従業員の継続的な成長を支援する文化が根付いています。

 「特色経営」と「不易流行」の追求も、井村屋グループの成功の鍵となっています。「やわもちアイス」や「あずきバー」などのヒット商品は、独自性と革新性を持ちながらも、時代に合わせて改良を続けることで長く愛されています。

 中島氏は、過去の成功に満足することなく、常に改良と学びを重視する姿勢を持っています。彼女のリーダーシップの下で、井村屋グループは国内外での発展を続け、顧客と従業員の満足を両立し、企業としての成長を続けています。

 このように、中島氏は、困難を乗り越え、多くの人々に影響を与え、井村屋グループを国内外で成功させたキーパーソンです。彼女の人生とキャリアは、逆境を乗り越えて成功を収めるための多くの教訓を私たちに提供してくれます。

 以下、NHK、読売新聞の記事も、理解を深めるのに大変参考になります。

開かれた対話から希望は生まれる:森川すいめいさん(精神科医)p44

 精神科医である森川すいめい氏は、フィンランドで発祥した「オープンダイアローグ」の手法を日本で実践しています。このアプローチは、精神的な問題を抱える人々を治療する際に、一対一のセッションだけでなく、家族や関係者も巻き込んだグループでの対話を重ねることを特徴としています。森川氏自身が過去に経験した家庭内暴力や母親の死、大震災時の苦労など、人生の困難を乗り越えてきた経験が、治療方法に大きく影響を与えています。

 オープンダイアローグは、参加者全員が対等な立場で話し合い、患者本人だけでなく、その周囲の人々も含めた問題の理解を深めることを目指します。森川氏はこの対話を通じて、精神的な問題の多くが人間関係やその環境に根ざしていることを明らかにし、改善へと導いています。彼のクリニックでは、オープンダイアローグを取り入れてから薬の処方量が大幅に減少し、患者さんの回復率が向上していると報告されています。

一方、オープンダイアローグでは「何があったのか?」という問いに始まって、患者や関係する人たちと対話を重ねながら一緒に要因や問題解消のアイデアを探すなどしていくわけです。すべてとはいいませんけれども、人の精神的な問題や苦悩の多くは置かれた環境や人と人の関係性の間にあります。 対話を重ねることでそれまで見えていなかったことやどうしたらいいか分からなかったことが見えたり、誤解や問題が解消されていくと、症状は自ずと軽減していくでしょう。実際私が勤めるクリニックでは、オープンダイアローグを取り入れた二〇一五年頃から、薬を処方する量は十分の一くらいに減っています。

『致知』2024年6月号 p45より引用

 森川氏は、フィンランドでオープンダイアローグのトレーナー資格を取得した後、日本でこの手法を広めるために努力しており、多くの患者さんやその家族から支持を受けています。彼は対話を重ねることで、見えなかった問題点が明らかになり、誤解が解消されると説明します。その結果、精神症状は自然と軽減し、患者さんが社会に復帰しやすくなるとも述べています。

 森川氏の治療法は、フィンランドの例に学びながら、日本の文化に合わせてアレンジされています。彼のクリニックでは、通常の診察のみならず、定期的に患者さんやその家族を集めた会議を開き、それぞれの思いや困っていることを共有する時間を設けています。これにより、患者さん自身が自らの状態を客観的に理解し、回復への意欲を高めることができるとされています。

 また、森川氏はホームレス支援活動にも積極的に関与しており、社会のさまざまな層の人々に対する深い理解と共感を持って接しています。ホームレスの人々一人ひとりの背景には、様々な事情があり、それを理解し支援することで、彼らの生活の質の向上を目指しています。この活動を通じて、森川氏はさらに多くの人々との対話の重要性を実感し、精神医療の現場でもそれを生かすよう努めています。

 森川氏は、自らの経験から、どのような困難な状況でも対話による解決が可能であると信じており、その信念を患者さんたちにも伝えています。彼の目指すのは、単に症状を抑えることではなく、患者さん一人ひとりが持つ内面的な問題や苦悩に寄り添い、それを共に乗り越えることです。そのために、彼は医師としてだけでなく、一人の人間として患者さんたちと向き合う時間を大切にしています。

そして最後に伝えたいのは、どうしても苦しくて仕方がない時には、自分一人で抱え込まずにその環境、指導者や権力者から離れ勇気を持ってほしいということ。すると、それがいつになるかは分からないけれども、きっと離れたことも大切な経験となっていく、そして苦しみが希望へと変わるような、新たな出逢いや対話の機会に繋がっていくような時が必ず来る。そのために私自身、これからも一人ひとりの心に寄り添う対話を続けていきたいです。

『致知』2024年6月号 p48より引用

 オープンダイアローグの実践を通じて、森川氏は多くの患者さんだけでなく、その家族にも変化をもたらしています。家族が患者さんの状態を理解し、支えることができる環境が整うことで、治療の効果はさらに高まり、社会全体の精神衛生が向上することにも寄与しています。森川氏のこれらの活動は、彼自身の過去の経験と深く結びついており、彼が今後も追求していく医療のあり方を形作っています。

<企業への取り込みも検討>
 企業の人事部門においても、オープンダイアローグの考え方を取り入れることで、従業員のエンゲージメントを高め、組織全体のパフォーマンス向上に寄与することが可能です。具体的には、従業員が直面している問題に対して、上司と部下が対等な立場でオープンに話し合い、相互の理解を深めることが求められます。このプロセスを通じて、従業員一人一人が自身の仕事に対する理解を深め、モチベーションの向上を図ることができます。

 また、人事評価の面でもオープンダイアローグの原則を応用することが考えられます。評価面談時には、評価者と被評価者が一対一で行うだけでなく、関係する複数のステークホルダーを交えた対話を行うことで、より公平で多角的な評価を実現することが可能です。これにより、被評価者は自己の成果や改善点をより深く理解し、自己成長につながるフィードバックを受け取ることができます。

 さらに、組織開発においても、組織内の異なる部門やチーム間での対話を促進し、部門間の壁を取り払うことで、より一体感のある組織文化の構築を目指すことができます。このような取り組みは、組織全体のシナジーを生み出し、変化に強い柔軟な組織を作り上げるために不可欠です。

 オープンダイアローグは、個々の職場、そして社会全体での対話を促進することにより、より健康で生産的な環境を創出するための有効な手段であるといえるでしょう。人事として積極的に取り組むべき新たな方向性を示しており、従業員の幸福感と組織の効果性の両方を高めることが期待されるでしょう。昨今は1on1のようなあり方も多くなっていますが、私自身もまた、将来の取り組みの一つとしたいと思ったところです。今回のテーマでもある「希望は失望に終わらず」にも寄り添うツールともなるでしょう。

「オープンダイアローグ」を理解するのに大変役に立ちます。


挑戦する心が無限の可能性をひらくー臼井二美男さん(義肢装具士)、鈴木徹さん(SMBC日興証券株式会社所属 パラ陸上選手)p64

 義肢装具士の臼井二美男氏とパラリンピック選手の鈴木徹氏が、自分たちの歩んできた道とともに、キャリアや人生、スポーツへの挑戦について語っています。対談の背景には、切断障がい者へのサポートや自身の挑戦があり、困難に立ち向かいながら新しい未来を切り開いていく意志が見えます。

臼井氏のキャリア
 
臼井氏は28歳で義肢装具士の世界に入りました。大学を中退してフリーター生活を送っていた時期に、職業訓練校で「義肢科」という言葉を見た瞬間、小学6年生の時に担任だった女性教師の義足の記憶がフラッシュバックし、義肢装具士の道に進むことを決意しました。

 彼のキャリアは鉄道弘済会の見学から始まり、訓練校には通わずに実務経験を積む形で義肢装具士として成長していきました。当時は徒弟制度が色濃く残る職人気質の世界で、仕事を任されるようになるまで3年以上の修業を要しました。義足の製作を通して患者のニーズに応えるには試行錯誤が続き、十年をかけてようやく自分の技術に自信を持てるようになったといいます。

 臼井氏は、競技用義足の製作に情熱を傾け、障がい者が日常生活だけでなくスポーツに挑戦し、生きる力を取り戻せるように尽力しました。1991年には陸上クラブ「スタートラインTOKYO」を設立し、切断障がい者のスポーツ参加を促す取り組みも開始。こうした活動が評価され、臼井氏は「現代の名工」や黄綬褒章を含む多くの栄誉を受けていますが、それは単に個人の功績に留まりません。臼井氏は、自身の技術を伝えることにも重きを置いており、若い技術者の育成にも力を入れています。

鈴木氏の挑戦
 鈴木氏は高校時代に交通事故で右足を失いましたが、臼井氏のサポートを得て競技に復帰。走り高跳び選手として、日本代表としての活躍を続けました。最初のシドニー大会を皮切りに、6回連続でパラリンピックに出場し、日本を代表するアスリートとしての地位を確立しました。北京大会以降、鈴木氏はプロとして認められ、スポンサーを得ることで継続的にキャリアを歩み続けることができました。現役続行を決意したのは、これからもさらなる表現の幅を広げることで自分を高め、次のパラリンピックでさらに進化した姿を見せたいという思いからでした。

 鈴木氏は技術の進歩にも関心を寄せ、義足の進化を通して自身の技術を高めることを模索しています。また、日本パラ陸上競技連盟の強化コーチとしても活動し、若手アスリートへの指導にも力を注いでいます。彼が一貫して強調するのは、スポーツを通じて自身の限界に挑戦し、社会全体に希望と意欲を与えることです。

二人の共通点を探る
 
臼井氏と鈴木氏は、異なる立場から切断障がい者の世界で自らのキャリアを築いてきましたが、いくつかの共通する価値観が見られます。まず、「依頼を断らない」「仕事が趣味」「新しいアイデアを探す」という姿勢です。臼井氏は、全ての依頼を断らず努力を惜しまないことで信頼と新たなチャンスを得てきました。彼は、患者からの依頼に応じて義足を作り続けてきた結果、多くの人々にとって信頼される存在になったのです。鈴木氏もまた、選手として活動を続ける傍らで講演活動やコーチングにも積極的に取り組み、現役で活躍し続けることで、より多くの人々にスポーツの魅力を伝えてきました。

 また、臼井氏は技術的な革新を求め続け、パラリンピックの現場で世界中の競技用義足の技術を研究し、自らの製作に生かしてきました。鈴木氏も、海外の大会に積極的に参加し世界のトップアスリートとの交流を深めることで、自らの技術を高めてきたとのことです。

「希望は失望に終わらず」
 
臼井氏と鈴木氏は「希望は失望に終わらず」という今号のテーマに基づき、希望を持ち続けることの重要性を強調しています。鈴木氏は、交通事故で右足を失った後、スポーツに挑戦し続けることで臼井氏と出会い、パラリンピックで活躍する道を切り開きました。臼井氏も、義肢装具士として患者一人ひとりの人生に寄り添い、切断障がい者がスポーツで再び生きる力を取り戻せるよう尽力してきたのです。

 両氏は、希望を持ち続けて挑戦を続けることで、いつか必ず助けが得られ、自らが持つ潜在的な力を発揮できると信じています。鈴木氏は、新たな技術を追求し続けることで、自らの限界を突破し、他の選手にもその可能性を広げる手助けをしていきたいと述べています。臼井氏も、依頼を断らず、患者に寄り添い続けることで、多くの人々の生きる力を引き出していく意志を語っています。

鈴木 今回は「希望は失望に終わらず」というテーマですが、僕はいまの人生を心から楽しんでいます。いろんな辛い出来事がある中でも、常に少し先に目標や課題を設定することで、次はどんな成長ができるかな、これからどんな人生が待っているのかなって、わくわくして仕方がないんですね。そして希望を持ってステップを踏んでいくと、臼井さんとの出逢いもそうですが、必ず助けがやってくる、一番よいタイミングで必要な出逢いが用意されるんですよ。だから、何事も偶然ではなく "必然"だと思っていますし、これからも、陸上競技や講演活動を通して、希望は失望に終わらないことを伝え続けていきたいですね。
臼井 いまも仕事の依頼のほとんどは生活用義足ですし、私はパラリンピックに出場する選手を生み出そうと思って、これまで競技用義足や陸上クラブをやってきたわけじゃないんです。 先にも触れたように、義足で日常生活が送れるプラススポーツを楽しめるということは、切断障がいを持ったことで心がゼロ、マイナスのどん底まで落ちた方々にとって、再び自信生きる力、挑戦する心を取り戻すことに繋がるんですね。

『致知』2024年6月号 p73より引用

 異なる立場からパラリンピックと切断障がい者スポーツに情熱を注いできました。彼らは自身のキャリアを通じて、他の切断障がい者たちにスポーツで生きる力と希望を取り戻すことの重要性を示してきました。彼らの活動と姿勢は、多くの人々に勇気とインスピレーションを与え続けています。

 また、両氏のから、人事としても以下の観点は認識しておくべきことと思います。
継続的な育成とキャリア形成の重要性
 
臼井氏が義肢装具士として技術を磨いていく過程では、厳しい徒弟制度のもとで10年以上の修行期間を経て一人前と認められたというエピソードがあります。これは、専門知識や技術が必要な職種において、育成プログラムの重要性を示しています。人事担当者は、新人や中堅社員の長期的なキャリア形成を支援するために、継続的な研修制度やキャリアパスの構築が必要です。

自己表現と目標設定の促進
 
鈴木氏が自身の限界に挑み続け、競技で自己表現を追求する姿勢は、社員が自分の能力を最大限に発揮し、自己実現できる環境づくりの必要性を示唆しています。各自が持つ目標を組織の目標と調整しつつ、モチベーションを高める仕組みが求められます。

逆境への対応力とリーダーシップ
 
鈴木氏が事故により右足を失った後も、逆境を乗り越えてパラリンピックに出場する姿勢は、社員が困難な状況に直面した際のレジリエンス(回復力)とリーダーシップの育成がいかに大事かを示しています。人事としては、困難に立ち向かうためのメンタルヘルスサポートや、社員が自分の特性を生かして組織に貢献するための仕組みを用意することが重要です。

多様な人材への理解と包摂
 
臼井氏が患者一人ひとりの身体的・心理的な状況に配慮して義肢を製作するように、人事も社員の多様な背景を理解し、個々の特性やニーズに合わせたサポートが求められます。ダイバーシティ&インクルージョンの推進により、社員が自分の強みを活かせる職場環境を作り出すことが重要です。

コラボレーションの重要性
 
臼井氏と鈴木氏の二人三脚の関係性は、優れたコラボレーションが社員とマネージャーの間で強固な信頼関係を生み出す例です。人事は、チームの協力関係を強化し、共通の目的に向かって効率的に協働できる組織文化の構築に注力する必要があります。

おにぎりは心と心を繋ぐものー右近由美子さん(おにぎり専門店 「ぼんご」 店主) p100

 右近氏は、都会で働く夢を抱いて東京に上京した際、手頃な飲食店が少なく、喫茶店で働きながら困っていました。そんな中、彼女は「ぼんご」に出会い、初代店主の祐さんと出会って結婚し、自らもおにぎりを握るようになりました。しかし、経験不足から多くの批判を受け、プレッシャーで胃潰瘍を患うなど厳しい修業を経験しました。

 その後、辛い訓練を通じて、お客様のフィードバックに耳を傾け、試行錯誤を重ねた結果、次第におにぎりの作り方をマスターし、お客様の顔を見て握ることができるようになりました。お客様の意見を活かし、具材の工夫や素材へのこだわりを始め、商売の楽しさを見つけた右近氏は、経営に励みながら、「偶然の成功はあるが、偶然の失敗はない」との信念を持ち、失敗も成長の一環と捉えていました。この言葉は深く私も考えるところがありますので、以下、別記事でも取り上げました。

 2002年に夫の祐さんが脳梗塞で倒れた時、彼女は経営の重責を担いました。一人で長時間働き続け、借金や医療費の問題に立ち向かいながら、店を守り抜きました。その間、知人から紹介されたマザー・テレサの言葉に勇気を得て、仕事を通じてお客様を喜ばせることに専念するようになり、経営を立て直しました。

 2010年に夫を亡くした直後は、彼女自身も体調を崩し、自分の役割に迷いを抱えたものの、最終的には「おにぎりを通じてお客様を喜ばせる」という信念を再確認し、日々の営業や後進の育成に取り組みました。弟子たちを導き、多くの派生店が国内外で生まれました。47年にわたるおにぎり一筋の道で彼女が学んだのは、人生の困難を乗り越えた先にしか得られない喜びと、おにぎりが人々を繋ぐ力です。

 「ぼんご」のおにぎりは、素材のこだわりや具材の多様性に加え、人との繋がりを届けることが最大の魅力と右近さんは考えています。お客様同士が昔の思い出を語り合いながら、温もりある雰囲気の中で食事する場を提供し続けています。右近氏の経営哲学の核となるのは、おにぎりを通してお客様同士やスタッフとの「人と人とのつながり」を作り上げることにあります。見知らぬ人同士が互いに和気藹々と会話し、心から温かくなる空間が「ぼんご」の最大の魅力だと彼女は語っています。

右近 おにぎりって、信頼関係がないと口にできない食べ物だと思うんです。日本人がおにぎりを好むのも、幼い頃にお母さんに握ってもらった思い出がある。ですから、母の愛情に勝るとも劣らない思いを両手に込めることで、僅かでも喜びを感じてもらえたら、私にとってはこの上ない幸せです。たとえぼんごの真隣においしいおにぎり屋ができたとしても、うちのおにぎりを食べたいというお客様が一人でもいる限り、私は生涯おにぎり屋を続けてまいります。

『致知』2024年6月号 p102より引用

 右近氏のインタビューからわかるのは、成功の裏にある多くの失敗と苦労、そしてそれを乗り越えるための強い意志と情熱です。「ぼんご」のおにぎりは単なる食品ではなく、右近氏が一つ一つ心を込めて握ることで、人々の心に幸福を与え、温かいつながりを生み出しています。彼女の言葉と経験は、現代のビジネスや人生においても重要な示唆を与えてくれるものでしょう。

以前、「情熱大陸」にも出演されていたのを思い出しました。


『致知』2024年6月号は現在講読途中ですので、随時追加していきます。



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