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吾輩はチョロである

さて、吾輩にはひどく不快な言葉がある。
それは、「ペット」という、我々に対する蔑称である。

 吾輩にとって、この宿主とはあくまでも片務的な関係であると思っている。

 すなわち、宿主は吾輩を養育すること自体を、彼らの目的としているところにある。
したがって、その関係は吾輩には義務そのものはなく、むしろ吾輩たち猫族を擁護する義務が、彼らにあると言うことである。

 彼らが準拠する「法体系」とやらにおいても、吾輩たちは彼らから、むしろ片務的に擁護される権利を手にしているのである。
   なにやらこそばゆい観もあるが、吾輩にとっては、むしろ有り難い制度であるといえるので、全く文句はない。

 しかしながら、この権利を手にできる同胞は実に少ないのが実情であるのは、吾輩も理解できている。
 なんでも、自由気ままに街を闊歩する宿主のない自由猫も、「野良猫」という蔑称を与えられ、最近では疎まれている始末である。
 しかも地域住民が「餌付け」することを、お役所までが禁止していると聞く。

 であるから、希有なこの待遇に対し、吾輩ら猫族の本能は残しつつ、いわばパフォーマンスとして共存出来る途を選択しているのである。
 これは、いわば吾輩の安全保障政策なのである。

  だが、吾輩は心の奥では「ペット」という蔑称はやはり気にくわない。
 
 それなのに、この状況に安穏としている、自分がなんとなく悔しいのである。
 なぜなら、この片務的な状況が、吾輩たちにとっては心地よいからなのである。
 だが、勘違いしてもらいたくないのは、われらはあくまで同居人であり、ペットなどという隷属的な存在ではないと言うことだ。
 

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