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真の自由を手にいれるために④

~ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの努力の物語~ シリーズ➊~➍

➍真の自由を手にいれるということ

▲ヘレン・ケラーに贈られた盲導犬の秋田犬

 ヘレン・ケラーは、1903年大学在学中に執筆した『楽天主義』と『私の生涯』 をはじめとして、いくつもの著書を残しましたが、何れも発行と同時に障がい者はもとより、一般の人からもむさぼるように読まれたといいます。

 これらの著書に織り込まれたヘレン・ケラーの高邁な思想、人生に希望と輝きを与える数々の著述と社会的活動によって、最大の名誉が与えられる日が来ました。それはアメリカとイギリスの二つの大学から学位がおくられたのです。一つは1931年、フィラデルフィアのテンプル大学からの人文学博士号であり、 もう一つは1932年、 英国グラスゴー大学からの法学博士号でした。
 
 ヘレン・ケラーは、政治的な関心も強く、男女同権、婦人参政権の獲得、人種差別反対などを主張。また、持論である平和主義に立脚して、アメリカの大戦参加に反対したため、一部の人達から中傷され、一時窮境に立たされたこともありました。
 第一次世界大戦以後は、サリヴァン先生の影響もあって社会事業の推進を唱え、実際運動にも参加して、恵まれない人達のために大いに献身しました。またその生涯は幾多の苦難に満ちた道のりでしたが、常に明るい希望とたゆまない努力によってのり越えていきました。

 ヘレン・ケラーは「私たちにとってもっとも恐ろしい敵は不遇ではなく、私たち自身のためらいであります。自分でこんな人間だと思っていると、それだけの人間にしかなれません。」と言っています。

 彼女の『自伝』は、私たちが、人生において、一度は読んだ方がよいと思えるほどの名著です。まるで耳が聞こえ、まるで眼が見えているような描写に感銘を受けるでしょう。
 
 こんなエピソードがあります。ある時、ヘレンは、森の散歩からもどってきた友人に尋ねました。「森で何を観察してきたの?」と。すると友人は「特に何も」と答えたのです。これを聞いたヘレンは思いました。「1時間も森の中を散歩してきて、興味深いものを何も見なかったなんてあり得るでしょうか。目の見えない私だって、何百というもの、例えば、葉の優美なシンメトリー、アメリカ白樺の樹皮のなめらかさ、松の木の粗いゴツゴツした木肌を見つけるというのに・・・。目の見えない私が、目の見える人たちに、助言を致しましょう。明日、急に目が見えなくなってしまうかのように目をお使いなさい。明日、急に耳が聞こえなくなってしまうかのように、人の声が奏でる音楽を、鳥の歌を、オーケストラのとてつもなく素晴らしい旋律をお聴きなさい。明日はもう触覚がなくなってしまうかのように、一つ一つのものにお触りなさい。明日はもう嗅覚も味覚も失せてしまうかのように、花の匂いを嗅ぎ、おいしいものをひと口ひと口、賞味しなさい。あらゆる感覚を最大限に活用しなさい。世界が明かすあらゆる相貌には、喜び、美、栄光と恵みが宿っているのですから。」

 人間は、教育を受けるから、人間らしくなるのであり、教育を受けなければ野生児となってしまいます。教育を受けるとは、ただ学校に行くのではなく、他人の教えに耳を傾け、素直に受け入れようとすることです。友人の忠告を受け入れることも同じような意味を持ちます。他人の忠告や親や教師たちの教育を拒絶していくと、自己中心的な人間が増え、さながらエゴ(利己主義)のぶつかり合う不自由な地獄になっていくのです。
 
 彼女が、真の自由を手に入れたのは、教育によって、手で触るだけの世界を抜け出して、言葉や文字を獲得したことにより、自ら考えたことを、自在に他者に伝えることができたからにほかなりません。

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