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黒人差別問題とドリュー・ブリーズの発言について、僕の考え

連日報道されている通り、ジョージ・フロイドさんの死をきっかけに黒人差別についてデモ活動が展開されるなど、根深い問題がより顕在化する状況となっています。

①黒人差別問題について

人種、所属、環境、個人の行為などによって差別されることなんてあってはならないこと。だってそれは身勝手に他人を「否定する」行為だから。
でも、そんなことは皆分かっているはずなのに実際には差別が起きている。歴史や偏見、個別の事例が重なって起きていることなんだろうけど、根本的にみんなが当事者意識を持たないと解決しないことだと思う。
黒人差別問題は僕にも関係あるし、あなたにも関係があるし、全人類が直面すべき問題。
なぜなら、誰しも同じ人間である以上、差別をする側でもあるし、差別をされる側でもあるから。それによって人種差別じゃなくても他の差別だって身近に起きているから。
国籍や性別、学歴、社会人歴、経験、好み、等々様々な要素であいつはどうせ●●だから、と決めつけたり、勝手に嫌悪を抱いていたり、現実には起きていないのにイメージの中で思い込んでいたりするのが人間だと思う。
それは悪意があるかないかに関わらず、人間がそういうフィルターを通してみてしまう生き物なので、そこ自体をなくすのは難しい。
だから、自分たちはそういうフィルターを通じて物事を見てしまっているのだと自覚することが大事。
できる限り小さな違和感に気付いていかないといけないし、人が違和感のある行動をしていたらコミュニケーションしてみてその違和感を具体的に伝えてみるという、そういうやりとりを積み重ねて積み重ねた先にようやく差別がなくなっていくんだと思う。

差別はしてはいけないししたくないけど、自分がしていないなんて言えない。
知らず知らずのうちに、勝手にイメージが形成されてフィルターを作っているから。
だから、自分を観察して、振り返って、色んな人と話すことで違和感に気付いて、差別を少しでも少なくできるように動きたい。

自分自身が差別する側であり、される側でもある存在だと皆が自覚することが重要だと思う。

今、立場的に弱い状況に立たされている黒人の不安や畏れを解消するために求められるのは、協力して差別をなくそう、そのために一緒に考えて行動をしていこうという強いメッセージなんだと思う。
政治のリーダーたるトランプ大統領がそれを示すべきだと思うけど、今の感じだとそうはならない。だから、抗議活動をする。
もちろん暴徒化している一部の暴走は止めないといけないけど、それと正当な抗議活動は別物として考えるべきで、トランプ大統領が示す(もしくはメディアが発信する)内容はそこを分けていないし、差別がだめだという当たり前のメッセージが出されないから、強く反発が起きるのも当たり前だろう。
正当な抗議活動に対して、行動で、発言で、大丈夫なんだと、そういう答えがほしい。
もちろん大統領だけの問題じゃなく、一人ひとり、みんなが、全員がそういう答えを出してほしい。

非常につらくて、しんどくて、畏れている人たちに思いを寄せなければいけないと思うし、自分自身が傷つけるような言動をしていないかを省みないとなと思いました。


②ドリュー・ブリーズの発言について

この問題についてアメリカのプロアメフトNFLに所属する「ニューオーリンズ・セインツ」のスター選手、ドリュ―・ブリーズがコメントをしました。
内容は以下より。
https://www.afpbb.com/articles/-/3286509

これについて僕が思うこと。
そもそも、膝をつくという行動の意味付け
・ブリーズ…国旗の「侮辱」に当たる行為
・キャパニック…黒人差別への抗議を示す行為
という全く違う観点から捉えている時点で、議論にならないと思う。
ブリーズみたいに捉える人もいるんだなという気付きがあった。それ以上でもそれ以下でもない。これに対してとやかく言うのは過度に解釈しすぎだと思うし、その発言だけを捉えるのは危険だと思うし、選手たちはメディアで言い合いするんじゃなくてブリーズと対話したほうが良い。

一方で、黒人の人たちが今とても恐怖や畏れを感じる中で、抗議活動をしていて、その1つの手段として膝をつくという行為をしているという文脈があるので、ブリーズにはそこに寄り添ってほしかったとは思う。
膝つき行為が侮辱だと思うことは自由だけど、自分たちの置かれている状況を必死に伝えるためにその行為をしているという文脈も一方ではあるので、まずそこに寄り添った言葉を丁寧に、かつ強く発信した上で自分の意味付けを語るというほうが互いを尊重できたんじゃないかなと。特に皆今敏感になっているし、とても畏れているのだから、注意深くコミュニケーションしないと意見が伝わりにくい状況がうまれている。そういう意味では、配慮を欠いた発言だったとは思う。

ただ、ブリーズのその一言がすべてではないので、それだけで判断しないでほしい。
この件に限らず細かいコミュニケーションがないままに、言葉の一部だけを捉えて炎上してしまう世の中に非常に憂いている。。。
たとえ正論であろうと、人の一部分をとりあげてその人のすべてを否定するような行為は間違っていると思う。
行為と、その人自身については切り離して考えるべき。

僕がリアルタイムでアメフトを見始めてから一番最初に見たシーズンが2009年。
その時スーパーボウルを制覇(優勝)したのがセインツだった。
「聖者の行進」と呼ばれるハリケーンカトリーナからの復興の象徴になったセインツを率いていたのがドリュー・ブリーズ。
僕も彼のプレーに大変勇気づけられたし、それ以来好きな選手の1人です。
具体的に社会貢献活動にもたくさん取り組んでいるし、
黒人の子供たちと交流するほほえましい映像も見た。
そこに嘘はないと思う。

色んな考え方があって、自由に発信、発言することは良いと思う。
ただ、自由は何でもやっていいということではなくて、
特にその発言によってだれがどう感じるかという相手への尊重や配慮を忘れてはいけない。

そして、もし無自覚のまま尊重ができていないことがあったとしたら、その違和感を無視せず、あるいは様々な意見を否定せず、そういう考え方もあるんだなと気づいて、また次からの発信に活かしていく。
この繰り返しができる社会であれば良い。人間だれしも失敗する可能性はあるのだから、それについては互いに寛容で、間違いがゆるされる社会であってほしい。

この問題を通じて、そういう姿勢を忘れないようにしたいな、と思った次第でした。

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