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旅するBD-1、中山道六十九次旧道を行く_00:日本橋

DAY 1 07:10_日本橋 2019.4.25の記憶

●平成時代にやり残さないこと

平成が終わる。

それは昭和の時と違って、あらかじめスケジュールされていました。突然終焉を終えた昭和。高校2年冬、何かやり残したことがあるようなないような、そんな思いで平成を迎えたのでした。

平成のうちにやり遂げておきたかったこと。いつか、ではなくて、いま、やっておきたいこと。

平成のカウントダウンが始まって、慌てて旅の出立準備を始めました。それが、中山道旧道をBD-1で走破する旅だったのです。

4ヶ月前に、中山道をE30 M3で走破して、下見はできていました。

出立の日のイメージは、終電で東京駅に向かい、日本橋からスタートする。まさに東海道旧道での旅の時と同じ計画でした。

しかし、残念なことに前日から雨が降り始め、予報では翌朝に向かって回復に向かうとのこと。日本橋のスタート時から雨の中を走るというのは、気分的にも遠慮したいので、天気予報を信じて、始発で東京駅に向かうことにしました。

●旅は始まると同時に終わりが近づくもの、あたりまえだけど

通勤ラッシュ前の静かな中山駅ホームから中山道旧道の旅はスタート

最寄り駅から始発の列車で東京駅を目指します。平成の最後の1週間を切った2019年4月25日は、木曜日。ゴールデンウィーク前のふつうのウィークデイ。酔っぱらいと一緒に終電に乗るのもなんですが、これからお仕事へ向かう人たちの満員電車に乗るのも遠慮したいものです。

さいわい、最寄りの中山駅(なかやま、と呼ぶ。中山道の旅が中山駅からとは、なんだかご縁がありそうだと、このとき初めて気がつく)から東京駅へ向かう平日の始発列車は満員電車ではなくて、誰の邪魔になるでもなく輪行することができました。

歌舞伎と相撲の融合。英国だとシェイクスピアとラグビーやクリケットやテニス……

6時28分──東京駅を降りて、BD-1を自転車の姿に戻して、日本橋に向かいます……が、腹が減っては戦はできぬ、というわけで、いつもの「富士そば」で「肉富士(うどん)」を食べてから日本橋へ。

4月末にスタートしたので、すでに葉桜になってました

7時01分──日本橋到着。朝陽が差すでもなく、どんよりとした雨上がりの曇り空。劇的なスタートを演出してくれる要素がなにひとつ見当たらない日本橋……ですが、気持ちはジワジワと昂ぶってきて、ニヤニヤした顔になっていたはず。

平成のうちに中山道旧道制覇を達成することを、一度は諦めていたので、ついに、ようやく、やっと、この日が訪れたことに感無量……。

首都高とクロスしている日本橋。景観的に……という声はさておき、個人的には好きな眺め

しかし、すでに5日後か6日後に訪れる旅の終わりが、もうすぐそこにあると思うと、なんだか日本橋をスタートするのが惜しくて、いつにもまして色んな所でウダウダと撮影して、出立の時を伸ばしていました。日本橋を出立したら、あとは自らの脚で、旅の終わりへと近づいていくだけ。旅は計画しているときは楽しいけれど、実際に旅が始まると、終わりに近づくのが惜しい。だから、旅の途中は、全力で楽しまなければなりません。よく人生を旅に喩える人がいますが、つまりは人生も全力で楽しまなければならないということですね。

なんだか今回の旅の総括めいたことをつらつらと考えつつ、日本橋からスタートです。

●中山道旧道のBD−1での旅のきまりごと

今回の旅のきまりは、前回の東海道旧道での反省も踏まえて次の通りとしました。

1)なるべくペダルを漕いで走破するが、路面状況や急坂の場合はこの限りではない。
2)下り坂ではペダルは漕がない。
3)平地ではスピードをあまり出さない。
4)各宿場では、本陣跡と浮世絵ポイントで撮影する。

東京都選定歴史的建造物である三越本店は、やっぱりスルーできません

東海道の旅では、自転車で走ることができる道はすべてペダルを漕いで走破することをきまりとしていたので、時間的なロスをしてしまいました。BD-1のギアだと、上り坂がムチャクチャ大変だったのです。今回は、舗装路であっても、無理なときはBD−1を降りて押して歩いていくことにしました(実際には、舗装路はほぼすべてペダルを漕いで走破しました)。

英泉画「雪之曙」。浮世絵では朝陽、そして冬。朝陽はないけれど、雪もなくてよかった

※注:〈  〉は、交差点名です。

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