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「最悪想定し、最善の行動を」 須藤扶美子さん

石巻帰省中に津波遭遇

須藤扶美子さん

 仙台市在住の須藤すどう扶美子ふみこさん(61)は、海から700㍍ほどの石巻市緑町の実家で津波に遭遇し、流されるかもしれない家の2階で一晩をやり過ごした。生かされた者の使命として、教訓を伝える活動をしている。

 須藤さんは震災当日、休みで帰省。運転免許はなく、仙石線で仙台に戻るため、午後2時40分ごろに石巻駅に到着した。発車待ちの車内の座席に座ってすぐに大きな揺れ。停電で電車は動かず、携帯電話も通じなくなった。津波は頭になく、実家にいれば夫が迎えに来ると考え、とりあえず引き返すことにした。

 小走りで5・5㌔の道のりを戻る。近所の公園まで来て、そこで初めて津波からの避難を指示する防災無線を聞いた。両親は避難しているかと思ったが、父親は家の外で倒れたブロック塀を片付けていた。

 須藤さんは「津波が来ると言ってたよ」と避難を促したが、長く海の仕事をしてきた父親は「ここまで来ない」と言う。押し問答しているうちに、迫る津波が見えた。2人で2階に上がり、母親を追いかけるように水が上がってくる。ベランダから外を見ると、津波は1階の屋根まで達し、隣の家も流された。

 「だめかもしれない」。そう覚悟して、身元が分かるように、名刺や診察券を袋に入れて首から下げた。たんすに上がったまま流されてきた人を家に上げたが、水が引いた時に家族を心配して出て行ってしまった。津波は一晩で何度か押し寄せ、その男性はどうなったか分からない。

 夜には南浜の方がオレンジ色に染まった。見上げれば宝石箱をひっくり返したような星空、眼下は地獄図。神様は何でこんな残酷な場面を見せるのかと涙があふれた。後に振り返って思う。星空は犠牲になった人たちが見せた「希望の明かりだったのかな」と。

仙台に向かうはずだった仙石線(平成23年3月12日午前5時ごろ)石巻日日新聞社撮影

 震災後も国内では自然災害が頻発。それらの映像や助かったはずの命の話を聞くたび、「防災・減災の意識を持ってほしい」という思いを強くした。体験談だけでは説得力に欠けると、防災士の資格も取得。そんな中、宮城県が東京五輪に合わせて募った語り部ボランティアに応募した。

 犠牲になった親類もおり、高台に避難したら戻らないことが津波防災の鉄則。反面、須藤さんが戻らなければ、両親は1階にとどまっていたかもしれない。「たくさんの偶然が重なり、生かされたのだと思う」と須藤さん。「これまでは大丈夫だったという思いは捨て、最悪の状況を想定して最善の行動をすること」が教訓という。

 何かをやりたいと思ったなら、やらずに後悔しないことも。通信会社のソフトバンクに当時から勤める須藤さんは、被災地でのスポーツや音楽のイベントなどにもボランティアで参加。社内では、グループの社長の次にメディアへの露出が多い社員と言われているそうだ。【熊谷利勝】


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