共感性について-摂食障害を考える

「共感性がない」というと「人の気持ちがわからない」という意味を指していると思うかもしれない。最近これが大きな誤解だと気づいた。

世の中には「人に共感できないけど人に共感してほしいタイプ」もいれば「人に共感できるけど人に共感してほしくないタイプ」もいる。前者は「デリカシーがない」けど「人懐っこい」、自由奔放なら人間を想像してただけたらわかりやすい。所謂「依存症」になりやすく、グループカウンセリングによって快方に向かうことが期待できる人たちだ。

面倒くさいのが後者である。近年よく耳にする「HSP(ハイリーセンシティブパーソン)」もここに属する。人の気持ちがよくわかるけれど、自分の気持ちを「そう簡単にわかってもらっては困る」と深層心理で抱え込む人たちだ。しかしここでの難しさは「人の気持ち」を考えるあまり、それが暴走し、共感性を越えて攻撃性のある「集団の目」として私を脅かすようになることである。HSPの人に「あなたは優しいから」と肯定的な声をかけすぎてしまうと、集団の目の存在の正当性を認めてしまうことになる。

摂食障害も同様に「分かり合おう」とすると治療は失敗する。摂食障害は個人の、身体と精神の結びつきのずれによって生じる病である。これは重症患者を指しているだけではなく、「食べる」ことを簡略化したり「食べる」よりも「映える写真」を優先する社会、ルッキズムに関連して、多くの現代人に当てはまる問題である。摂食障害は非常にありふれた病になった。これを考えることによって、現代の「生きづらさ」を紐解くことができるかもしれない。

続きはまた次回記述する。

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