春にうまれる生き物

ある園芸家によると、春に咲く花々はとても気まぐれだそうだ。晴れの日差しにつぼみを膨らませたと思ったら、いたずらに雨の日に咲いて、散ってしまうことがある。かと思ったら、寒さの中で可憐にひらき、「どうかこの日まで咲いていて欲しい」というささやかな願いを、叶えてくれることもある。待てども待てども、今年はひらかないと思うと、未だかつてないほど、見事な色を魅せることもある。

チューリップは気ままに開いてしまうし、桜はあれだけ太い幹をもつのに、花びら1枚ずつは、とても脆弱である。続けて、同じ園芸家の言葉を借りると、春にうまれる生き物は、焦らずに見届けるしかないそうだ。園芸家が育てている春うまれの犬は、餌を置いても水を置いてもちっとも寄ってこないのに、飼い主が多忙を極めていたり、体調を崩していると、重荷にならない程度に寄り添うらしい。春うまれの小さな赤ちゃんは、激しい偽陣痛を何度も起こし、本当にうまれるのかと不安になっていたら、するりとうまれ、とにかくよく寝る子らしい。

命に春夏秋冬があるとしたら、春ははじまりの意味を持つ。

あなたがどのように生まれ、どのようにしてここにたどり着いているのか、すべてを私の瞳で見ることはできない。代わりに、同じ春うまれの私のことを少し書いておく。3月11日19時49分にうまれた私は、出産予定日より遅れ、帝王切開の可能性が高かった。陣痛は16時間、出血大量につき、小さな産婦人科から、大きな県立病院へ母子ともに転院している。まあまあ春うまれっぽい。退院後はとにかく寝るので、起こさないとろくに乳も飲まなかったらしい。冬を避け、やたら暑い夏も避け、徐々に寒くなる秋も避けて、あなたと同じように、ちゃっかりと春にうまれたのだ。

春の植物園にあゆみを進めると、空気に生き物の気配がする。鳥も虫も動き回るせいだが、コンクリートの遊歩道に脈のように走る地割れからも、隙間を埋めるようにして、ホトケノザにオオイヌノフグリ、タンポポが埋まっている。小さな傷跡を縫うようにして、春が満ちる様子を見ていると、とても深い幸福を感じる。気まぐれなくせに、春は小さな傷跡を見逃さないのだ。

寒い冬の夜、あなたが静かに眠っているところは、柔らかな春の匂いがして、自分でも探し当てられない程度の小さな傷跡が、満ちるようだった。

※このシリーズは3月9日・3月19日・3月29日・4月9日の4回にわたって投稿しました



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