ことばが生まれる前、人間はどうやってものを考えていたんですか?

時々チェックしているNHKの「子ども科学電話相談」の質問が、私のハートを撃ち抜いてくれたので、少し自分のために書いておきます。「ことばが生まれる前、人間はどうやってものを考えていたんですか?」という質問で、先生たちの回答も最高に面白いです。NHKはリンクフリー(のはず)なので貼っておきます。

毎日たくさん言葉を使って原稿を書いているのですが、最近難易度が高いものや、思考し続けないといけないものが多く、この1か月は脳が疲労骨折状態でした。ことばことば、またことば。言葉の海にいることはとても好きなのですが、自分の書いたものに誤記を見つけるとそれなりに落ち込みます。
あーこんな凡ミスをやったか…とウジウジすることもありますが、プロである以上落ち込んでいる時間などなく、きっちり修正して納期は守る必要があります。

さらに、他人の言葉に似せて書く記事もあるため自分の文章を因数分解し、再度構築し直す作業は結構苦労しています。癖も、匂いも、すべて一回捨ててみようとチャレンジしているのですが、古い家を解体したらもう2度と同じ家が建てられないのと同じで、「はて私はいつもどんな文章を書いてましたっけ…」という事態に。やっと感覚を掴めたと思ったら、並列でいつもの「私の文章」も書く必要もあるので、結果脳内疲労骨折に至りました。GWにあえて普段読まない分野の文章を読んだので、随分マシになりましたが、しばらく何も書きたくない、と思いつつこれを書いています。(荒治療)

さて子ども科学電話相談にあるとおり、言葉がない時代にはどんな風に私たちは思考していたのでしょうか。とは言っても、猫がヒト科ヒトの赤子をあやす動画もあれば、私自身カラスと仲よく遊んだこともあるので、動物には言語はありませんが(多分正しくはあるのでしょうけど)どう見ても「思考」はありますよね。あんな感じで物事を神経、感覚で感じていたのでしょうか。

心と身体は別々で、思っていることとやっていること、見ていることと考えていることはチグハグなものですが、言葉で思考しなくて良かった時は、もっと素直に率直に、目の前の出来事をそのまま神経で受けとめていたのかな、と思うと少し羨ましいですよね。しかしこれ以上書くと、椎名林檎は本能の歌詞に近付きそうなので止めておきます。

言葉で仕事をしているくせに、言葉では表現できないことを探している時があります。「この気持ちや景色はどう言えばいいのかわからない」瞬間がとても好きです。嬉しいのか悲しいのかわからない、感情のチューニングが制御できずぽろぽろと泣いているような時、傍から見たら単なるヤバい人なのですが、自分としては「良かった、まだこの状態に来れて」と思っていました。

私の書くものを好んでくれた人がいた時は「この状態」について際限なく出せる瞬間があり、かなり助けられていたのだ、と身につまされることが今もあります。言葉にできないことを言葉にするために必死にもがいている時期に、何を書いてもあなたの文章になる、と言ってくれる人がこの世に1人でも居ることに心底救われていたのでしょう。 

ライブに行って音に身体を包んでもらったり、一心不乱かつ大真面目に四つ葉のクローバーを探したりして、言葉では表し難い楽しさや感動、集中力などを養っていたこともありますが、今は多分どれをやっても納得できない自分が出てくるので静かに心を落ち着けるために、時々深夜のドライブをするようにしています。納得できない時は大概やりたいことに力量が及んでいないだけなので、力量を上げるしかないんですよね。

私も子ども科学電話相談に電話したいなぁ、先生書き続けていれば、心がまとまり納得できる文章が書けるようになるのでしょうか。








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