魔の2月

フリーランスになって今年で4年目。毎年2月になると仕事のアップダウンを激しく経験するようになりました。今年も大幅に業務量が減るクライアントが出てきたり、急な業務の依頼が舞い込んだりとで、やっぱり「魔の2月」であることを実感しています。うぅ、売上が読めない。

今月は出張と卒業式を控えた保護者の打ち合わせも続いており、ややパンク気味。子が寝静まったあと仮眠し、夜中の2~4時頃をコアタイムに充ててしまったので、生活が乱れています。しかし、真夜中にぽつねんとパソコンで文章を紡いでいると、脳のドライブ機能が好転する感じがあり、とても好きな時間でもあります。「文章を書くことだけに集中」していると、永遠に書き続けられるような楽しさを感じることも。時々創作の中でモチーフにしている「海辺のリノリウムの床、平屋」に暮らすなら、真夜中も潮の音とともに、キーボードを打っているでしょう。

陽が昇る前に再び布団にもぐり、時差ぼけをわざと起こすような生活をしています。こういう生活はそう遠くない未来にツケが回ってくるので、3月以降はリズムを取り戻そうと思います。

現在仕事の取引先のメインはほぼ関東に集中させており、東京・埼玉・神奈川(千葉も欲しいなこうなると)にクライアントを抱えているのですが、今年は「別の場所に行きたい」というのもあり、それはどういう形で実現できるのか考えているのですが、自分の「基礎体力」が落ちていることに悩んでいます。

ここで指す基礎体力、というのは露骨に筋力を指すのではなく、「2時間通して映画を見る」とか、「毎日15分の読書」など、ちょっと前まではできていたことが、明らかにできなくなっていることを指します。時間にも気持ちにも余裕がないんだ…と思い改善を少しずつ進めているのですが、コロナもあって遅らせた予防接種の通知(つまり忘れていた)に愕然としたり、進学先の学校に持っていく必要がある書類をまだたくさん抱えていたりし、ずっと何かに追われているのは本当に良くないなと悩んでしまうのです。新年度が近づいているからこその忙しさもあり、常に書類の山の中にいる、そんな魔の2月でもあります。

ここ数年、自分を「律すること」に努めてきました。断酒して、人間関係をかなり大きく遮断し、体重を2キロ落としてキープし、クライアントの獲得に集中していました。書く内容も独立初期よりも難易度が高くなり、取材という仕事も舞い込むようになりました。名前も変え、Twitterをやめて、断捨離活動のようなことを繰り返していました。自分が聡明に見える角度を探し、自分の見せ方がどうあるべきなのか悩み続けてきたのですが、緊張の糸を保つことに疲れたのか、あるいは律したことによって自分に自信を持ったのか、感情の変化があるからこそ「別の場所に行くこと」を真面目に検討するようになったのかもしれません。あと案外、律するだけでは基礎体力は持たないんですね。遊んでた方がいいこともある。

場所にも人間関係にも、必要以上に執着しているとカラオケの一室のように空気が滞留し、鏡に映る自分がどこにも行けない姿として映るようになります。どこにも行けなくなる、ルーティーンから抜け出せなくなる、同じような、似たような人とスワップするような交流だけを繰り返す。時間を潰すためだけに誰かと会い、何かを変えようにも「基礎体力」が落ちていく。閉塞感を自分のワードローブとして纏うことが本当に怖いので、ゆるゆるとでも常に動いていくしかないのでしょう。

ぶつかることはあっても、保護者の方との交流が生まれたり、取材をした士業から私的な食事会やメーリングリストの中に招かれたりするようになりました。何かを絶つようにして自分を律した段階から、「人の輪をやわらかくまとめること」や「自分で得る、他人に還元する」をやる段階に移行するのだろうと思うのです。部屋の空気を入れ替えながら、基礎体力を回復させつつゆるい集まりを作ろうと思います。

魔の2月の話に戻ると、月初に某寿司屋のカウンターで恩師と食事をしてきました。20年も交流がある人は本当に限られており、家族よりも長い付き合いです。笑いっぱなしで他愛のない会話をした後は、ゲストも来てくださり本当に楽しい時間でした、またすぐ行きます。

友達とも違うけど、縁のある人とのつながりの「ありがたさ」について、帰りの運転中に考えていました。自分が決断する時、家族を除き報告したくなる人は3人で、恩師はその1人。家族への報告は生活の共同運営者である以上「許可」を求めるものですが、それ以外に、現状を伝えたくなる人はほんのわずかです。

あの人ならきっと、私がやっていることを面白がってくれるだろう、楽しんでくれるだろう、そう思える人に人生の中で出会えることは大変貴重です。恩師に報告できるように頑張ろう、そう思うことも多い20年でした。恩師を起点に出会えた人は多く、都内にも交流があります。(前回来れなかった方、またお会いしましょう)
大人になってから出会える人は、仕事や子どもとのかかわりというフィルターを外したら限られるものです。親とも違い、友達とも違う。恋人や夫婦でもなく、だからこそゆるくずっとつながっているような縁は、常に私に好奇心の種をくれます。自分も誰かにとって、好奇心の種を持つ人でいられるように、前に進みたいものです。

魔の2月を終えると3月。面倒なので毎年祝いませんが私は誕生月を迎えます。その後は子の卒業・入学と続きます。例年よりも少し賑やかな3月のために、魔の2月を丁寧にくぐり抜けたいと思います。



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