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虚子記念文学館・神戸文学館(文アルタイアップ)へ

5月4日に虚子記念文学館、神戸文学館へ行ってきました。

☆虚子記念文学館では、R6年4月2日~R7年3月9日まで『子規・虚子・碧梧桐の青春と俳句革新』の企画展示がやっています。
☆神戸文学館では、文豪とアルケミストとのタイアップイベント『蘇る神戸ゆかりの文豪たち 其の参』がR6年9月8日までやっています。

http://www.kobebungakukan.jp/#museum-salon

これらの展示を見にいってきました!ので、覚えているうちに、レポというか感想を。


虚子記念文学館

企画展示について

今回の展示が、”虚子生誕150年にあたって”というもので、今回のテーマが3人の青春時代に焦点を当ててみる、というものでした。

もうこの3人は切っても切り離して考えられないんだもんね…。以下、書簡など展示をみての感想です。

展示見ての感想(完全なるオタ感想なので)

※展示についてのネタバレ?があります!

・展示もちろんだったんだけど、それより先にキャプションが面白すぎた(笑)誰が今回担当しているの??↓
・子規さん、虚子、碧梧桐の三者は、そろって幸田露伴の『風流仏』をお手本にしていた。そして、虚子は加えて、『対髑髏』も推していた。いや、推して!!!??好きとか、敬愛していたでもなく、「推していた」の表現に思わず二度見しちゃったwwなんか一気に親近感が湧いたよ?いやほら、推すなら私と一緒やんな??ね???て肩ポンポンしたくなる。いつの時代も一緒やなって。

・虚子先生が木曽路に来てたって話。東京で単独上京して、思うようにならなかったときに子規に新聞記事の資料調査を手伝う→それで京都への帰路に木曽路に立ち寄っていたらしい。しかもなんで??の理由が、子規の『かけはしの記』や露伴の『風流仏』の舞台だったかららしい。いやいや!!!これ!!俗にいう聖地巡礼ってやつ!!!おんなじ!!私と一緒!!!何ちゃっかり帰る途中に寄ってるの!!?
☆ちなみに家帰って調べたら、『風流仏』の舞台、木曽路の中山道の野尻宿らしいですね。そういえば、去年の夏、奈良井宿の徳利屋にいったときに、店前の看板に幸田露伴も泊ってたって書いてあったな…!?と。じゃあ、このあたり、虚子先生も来たことになるし、『木曽路の紀』という紀行文もあるということで。読んでみたい本が増えた!

徳利屋さんの看板に名前あったね!



・手紙について
虚子→子規
明治25年に出し手紙で、子規に家族に許してもらえるかな~とか小説家としてやっていけるかな~とか、住み込みでやっていこうかな~なんて相談している。(しかもちゃんと箇条書きにして)相談しながらも、それぞれの事項についてしっかり自分の意見も書いているのは、さすが虚子だなと。背中を押してもらいたいんだよね?ん??

・碧梧桐→虚子
めちゃくちゃ恋に落ちたよ報告をしている可愛い手紙。ただ、これ碧のほうが年上なのに、なんかこんな手紙きたら、そりゃ呆れて子規に報告されるわ。しかも試験中だったんでしょう。受け取って読んだ時の、虚子の「…は?」みたいな顔したんかな、って想像してた(笑)
しかも、most beautifulって!!?wifeってなんで所どころ英単語で書いてるの??!現物でどこにそんなとこあるんだろって、すごく目を凝らした(見つけにくかった)(そしてちゃんと書いてあった)
そして、このキャプションに「あきらかに碧梧桐のテンションはおかしく」って紹介されてて、冷静に状況文字にするとふふって笑っちゃった。恋する青年だったんだね~と。

・子規→虚子と碧梧桐
もう学生じゃないんだから!!!という喝を入れる手紙。
そんでそのあとのキャプションが「子規自身も『小日本』が廃刊しショック冷めやらぬ子規のもとに、二人の大きなお荷物がやってきたのである」ってあって。ねえwwwwめっちゃ「お荷物」ってwwww直球で言われてるじゃん!!!て突っ込みたくなった。


ここからは、常設展示の話
私、ここに来た時に絶対見たい大好きな展示が、常設展示の晩年の虚子のことを紹介しているコーナー。
ここで、晩年の虚子の考え方が、「俳句は存分の文学である」といっていること。『俳句の道』にて花鳥諷詠に寄すること。「人には人生の苦しみから救われる舞のような何者かがあって、俳句はそんな文学でなければならない」と言っていること。
生涯を振り返って、退学もあったり、小説家を目指して上京して挫折を味わったり、碧梧桐との進む道の袂を分かつ経験をしたり。波乱万丈といえば大袈裟かもしれないけど、それこそ後世にこんなにも影響力をもって、俳句に対して尽力した虚子が人生の最後に導き出した、俳句に対する考えがこういったものなのが、すんごく私の心を打つというか、あ~本当に虚子先生好きだな~と思える1つの理由なんだよね。なので、必ず見る展示です。

企画展示はまだまだ来年まで続きますので、是非!!

さて、このあとは神戸文学館に行きますよ~。

海辺の方も歩いてきました

神戸文学館

文豪とアルケミストタイアップ展示

今回好きな文豪さんばかりコラボして、嬉しすぎて倒れるかと思った。文学館さんありがとうございます。

島崎藤村『山陰土産』は前日に読んできたのもあって、展示見て「あ~!よんだとこ!!」と新鮮で楽しかった。
放哉先生のは、やっぱり!!須磨寺だ~~~!!とにこにこ。
読んでいいよの、書籍コーナーには、欲しくて欲しくてたまらない、井泉水せんせの『大空』も置いてあって、嬉しくなって読んできました。

尾崎放哉コーナー
しゅうせ〜!!
へーさん

土曜サロン「碧梧桐の存念ー城崎を中心にー」の講演

どのテーマも興味をそそれらる話ばかりで、時間があっという間でした。もっと聞いていたかった…。

以下、特にほ~!!!と思った点をいくつか。
・なんで人々が離れていっちゃったのか。
→どんどん造語や心のうちをうたっているものが増えて、理解するのが難しくなってきた、という理由が一つ。特に新聞に載せられていて、(新聞というメディア・媒体はどちらかというと一人で見ることが多いため)これであってるのか?この解釈でいいのか?と一人で考えるしかない、という状況になる。特に玉島直後らへんから難しすぎて、読者が減っていった。

・碧梧桐の書の書き方について。
一般的に左→右への流れが主流(そのため今は少ないかもだけど、よく左利きのかたは右利きに直すよね)だけど、碧梧桐の場合、右から左のパターンもあったそう。そうだったんだ…!と。これにちなんで、碧梧桐派の方も、碧梧桐さんの書体を真似て書いていたとか。分かる…!!!真似したいよね…!!!私も臨書してって言われたら、碧梧桐先生の書を臨書します!!!てなるもの!!
六朝体とか隷書とかが好きなので、スライドで表札(「宮内歯科医院」見てみたいな)などいくつか出てきて、うひょ~~~~~~~~~!!!となっていました。

・百閒せんせたちも新傾向にはまってた話、と人間関係
個人的に一番つぼった話。ここら辺もはまってたんだ!!?というのが驚きと、そのあと手のひら返ししたかのごとく離れてったの話の中で、その離れた理由が、虚子せんせと夏目せんせが仲良かったから?という点。そういうこと??漱石門下だもんね…。とそりゃ師が仲いいなら…ね。と思わず、人間関係がらみなの納得しか出来なかった。人間いつの時代も変わらんなって。

あと、帰ってから北但馬地震のこと調べました。お話にあった豊岡市のホームページ見ました。心が痛む。

以上、いくつかあるうちの感想をまとめてみた。
改めて、新しい道を切り開くって模索の連続だから、楽しいし茨の道だな~。虚子せんせとやり方はちがっても、子規さんから受け継いだ俳句をもっと高めていきたいと歩いて、人生をかけてきたその一部を詳しく知ることができて、本当に講演聞いてよかったなと思いました。


サロンの終わりがけ、館長さんが「次は放哉で…」といった言葉を聞きのがさなったわ!!!!!ぜひ!!!!!尾崎放哉先生の話を聞いてみたいな!!!!!放哉大好きな人間より!!!!!

とっても充実した一日でした!

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