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高島輝一朗選手「〈大変〉という言葉は大きく変わる、ということ。」

先日あさチャンで取材をさせていただいた高島輝一朗選手について取材後記として書かせていただきます。たくさんの力強い言葉は、テレビ放送尺のたった数分では収まりきらない!ということで、ご許可をいただき、綴ります。

昨年11月、トライアウトを経て四国アイランドリーグ・徳島インディゴソックスから指名された選手がいました。高島輝一朗選手。
数日前、高島選手のインスタグラムにアップされた入団会見の写真には、前列センターで名前の通り「輝く」笑顔でガッツポーズする姿が映されていました。キラキラした最高の笑顔です。

高島選手は、5歳の時に急性リンパ性白血病を発症。
抗がん剤治療で一度は克服したものの、中学3年の夏に再発。
苦しい厳しい治療を経て、二度も白血病との戦いに打ち勝ちました。

抗がん剤の影響で味覚がおかしくなることも。鼻血が何時間も止まらないことも。注射は大きな声が出るほどの激痛が伴ったと言います。

治療中の当時を、
「あの時はほんともう、どうしようもない絶望感というか。
眠れない夜もあって、そんな夜は自分の未来が信じられなくなったこともありました。」
と、夜の病室を振り返ります。

それでも、もし今、当時の自分に声をかけるなら、なんと言いたいですか?と伺うと。
「今辛いって思うけど、今やってることは絶対未来に繋がるから。」
「本当に、自分を信じてよかったよ。」「頑張れてよかったと思います。」
と弾ける笑顔で答えてくれました。

苦しい時期を乗り越えたからこそ、溢れ出るパワー。

どんな時も原動力となり、大切にし続けている言葉があるそうです。
それが、お母さんがくれた
『大変という言葉は、大きく変わることだよ』という言葉。
どんなに治療が辛くても、
どんなに夢を諦めそうになっても、
このお母さんの言葉に背中を押され、
「夢を追いかけてもいいんだよって。自分を許すことができたと思います。
夢を追いかけ続けることができたこと、これが、生きる力を与えてくれたんだと思います。」

地元・沖縄を離れ、初めての一人暮らし。
いつも一番近くで支えてくれたお母さんは、一緒に徳島まで引越しの手伝いをしてくれたそう。作り置きもたくさん作って全面サポート。リモート取材の小さな画面にちらりと登場してくださったお母様の笑顔は、輝一朗選手に負けないくらいパワフルで明るくて!ですがそんなお母さん、沖縄を離れること、輝一朗選手よりも寂しがっていたとか。「体調だけは気をつけて、頑張りなさい。」様々な思いで、輝一朗選手のスタートを見守っていらっしゃることでしょう。

主治医の先生も入団を一番喜んでくれたそうです。沖縄を出発する際の見送りには色紙や寄せ書き・「ガンバレ」と書かれた小さな旗も用意した友達がお見送り。メッセージもたくさん送ってきてくれたとのこと。あさチャンを見てくださった方もリアクションしてくださり、ありがとうございました!

夢へとひとつひとつ歩み続ける高島選手。
「最初は不安もあったんですが、徳島に来て、みんなめちゃくちゃ強いエネルギーを持った人たちばかり。
今はものすごくワクワクした気持ちでいっぱいです。」
「二回の病気の経験もある中で、野球ができる喜びを本当に最近はより強く感じていますし、
もっと言えば何気ない日常とかがものすごく幸せで。
それを感じながら野球ができて、
笑顔でボールを追いかけたり、
遠くに飛ばしたりっていうのが、
何にも変えられないくらい本当にありがたいことだなって日々感じています。」

最後に聞きました。高島選手、夢を諦めないためには、どうすればいいですか?
「夢を追うことが大事と言われても、
追いかけてもいいのかなって思ったり、何がしたいのかわからない人もたくさんいると思います。
その中でどうしても夢を追いかけなさいって言葉がプレッシャーになったり、
苦しんでいる人もいると思う。
だから、一番大事なことは自分を許してあげることだと思うんです。
ありのままの自分を受け入れて、自分を許すことができたら、
きっと夢を追いかけてもいいと思える。
生きる力を与えてくれると、
僕は思います。」

ご自身の経験を今まさに病気と戦う子供達に伝えるべく、医療センターなどに訪れる活動も続けている高島選手。
輝き放つ優しい眼差しの中には、強い強い炎が宿っているようで。
病気にも打ち勝ち、夢へ向かって突き進むエネルギーに満ち溢れていました。

これからも高島選手の挑戦を、応援させてください。
取材させていただき、ありがとうございました!