hibikuoni

徒然なるままに日暮し、PCに向かいて心に映り行くうんたらかんたら…… まぁその時の気分…

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徒然なるままに日暮し、PCに向かいて心に映り行くうんたらかんたら…… まぁその時の気分で書いたり書かなかったりします。たぶん本を題材にした文章が多くなるような、そうでもないような気がしています。俺には未来は見えないのですから、何も断言などできないものです

最近の記事

最近見た映画の感想

 前振りなんてない。映画の感想である。映画館で観たものだけ。 ・四月になれば彼女は  映画プロデューサーと小説家を兼任する川村元気原作の恋愛小説の映画化。原作が大層好きなので、公開初日に観た。  川村元気自身が脚本に参加していたし、そもそも映画プロデューサーだけあって、映像映えするようにかなり改造されていたが、肝心要の部分は一切の変更もブレがなかったので、原作と異なる点は多いが別物ではなく、ある意味ではとてつもなく忠実な作品だった。原作付きの映像化のお手本にしてもいいかもし

    • 政治について語りたくはないんだけどまぁたまには語るよつまんないけど

       東京で補選があって、まぁ、Xとかいう肥溜めというか地獄の底の底ではああだこうだと盛り上がっていて、その中で日本人、政治に興味がなさすぎる! という意見をこれでもかと見た。  ……いや、当たり前だろ!?  と、俺なんかは思うわけですよ。  冷静になって欲しいんだけど、今の選挙権を持っていて、投票に行くべきだと言われている世代を、まぁ仮に五十路までだとして、だ。  彼ら――俺も含まれる――が子供の頃、政治について何か学んだことはあったか。学校で学ぶ政治経済なんて初歩以前の

      • 映画の感想をつらつらと書き記す

         今年映画館で観たもの限定で。ブラッディ・エスケープは前回、書いたのでそれ以降。 ・ガンダムSEEDFREEDOM   一応、種世代の身なので、半ば義務感で観に行った。種運命はこの世界にあってはいけないレベルの駄作だったから、あまり期待はしていなかった。  結論だけ言えば、エンタメ映画としてはよく出来ていた。文句は多々あるが、言うても、種世代の大人に向けた同窓会みたいなものだから、そういうことを言うのもしっくりこないとでもいうか。  敵役であるアコードがびっくりするくらい魅

        • しかしね、現実にそんなものはないのだから……

           俺の世界にはなぜ、いい声をした女性がいないのか。  急に発生した仕事をしながら、俺は考えた。  いや、世の中には声優という素敵な声を持つ人たちがいて、確かにいい声がこの世界にはあるのだと、証明してくれている。  しかし、俺の生きている世界にはいないのだ。  自分が生きている世界と、自分が見ている世界は異なる。前者はどうしたって自分という起点を持たざるを得ないが、後者はそんなものに縛られることなく、どこまでも自由にのびやかに広がりを見せ、数多の可能性を内包している。  前

        最近見た映画の感想

          BLOODY ESCAPE 地獄の逃走劇を見た雑記

           今年初の映画として、これでよかった! と思える出来だった。という感想を最初に言っておきたい映画である。映画らしい映画で、そりゃダメな所もあるんだけど、そういうものを勢いと迫力で薙ぎ倒していくような感じで、俺のような映画にはエンタメ性と、細かいことが気にならなくなるくらいの勢いを求める人には、実にいい映画だったと思う。  とはいえ、このアニメの前日譚というか、世界観を深く掘り下げたテレビアニメのエスタブライフを見ていないと、逃がし屋たちのことや、世界観に入り込みづらい、とい

          BLOODY ESCAPE 地獄の逃走劇を見た雑記

          大人向け作品を作る大人が陥る罠

           大人向けに作りました! って作品で面白い作品が世の中には少ないのだが、どうしてだかクリエイターは大人向け作品を作りたい病にかかるものである。  と、いうのが今回の内容。それ以上のことはないので、これだけ読んでサヨナラしてもらっても構わない。noteの文章はその程度の価値であるべきだし、時間潰し以上の何かであるのはよろしくない、と俺は思う。  ともあれ。  大人向け作品という言葉は作品において、よく聞くものである。だがここで忘れていけないのは、作品に触れる人のすべてが大人

          大人向け作品を作る大人が陥る罠

          メモリーズをオフする第三夜

           シェフの気まぐれサラダくらいに気まぐれに書くアレ。  さてメモリーズオフシリーズである。前回は5までを振り返ったが、それ以降はKIDが倒産した後に、別のメーカーが版権を買って出したものなので、正確にはメモリーズオフシリーズではない、と言えるかもしれない。可能な限りオリジナルスタッフを集めていたし、6に関しては原点回帰をしようという意思を感じさせた作品だった。  ……まぁ、それが裏目に出た形に終わったのだが。  さて、その6である。  声優の青田買いをしがちだった過去作に

          メモリーズをオフする第三夜

          今更アマカノ2+の話をする迂闊さ

           発売日に買ったんだけど、初手に結灯ルートをクリアしたのがよくなかった。なぜか。  単純に、彼女が幸せになっていない世界を見るのが嫌になったからだ。この作品は「アマカノ2」のFDであり、基本的に内容はハッピーエンドのその先のドチャクソ甘い日々と、恋人から夫婦になっていく過程という形で構成されている。追加ヒロインである咲來に関しては、それらに加えて恋人になれそうでなっていない微妙な距離まで楽しめるが、まぁそれはこのシリーズの肝なので当然である。  話を戻すが。  結灯ルート

          今更アマカノ2+の話をする迂闊さ

          Remember11は誰を癒したのか

           そういうタイトルのゲームがある。  凄まじき名作ADVであることに異論を述べる人が少ないであろう、「Ever17」のinfinityシリーズの三作目であり、その終わりとなった作品だ。精神的続編と呼べる作品はあるのだが、本家はここで終わってしまった。  いくつか理由があるが、Remember11は未完成で発売されたからである。その辺りの事情は、PSP移植版の特典のスタッフインタビューを読めばわかるのだが、未完成ながらも全力を尽くして完成させた、という矛盾の塊みたいな作品とな

          Remember11は誰を癒したのか

          メモリーズオフを想い出す夜の時間

           第二弾。別に前の文章は読まなくても、つまりは、メモリーズオフシリーズという変な方向に尖った結果、受けたようなコケたようなそんな感じになったということだけを前提として把握しておけばいいのである。  さて、四作目の「それから」だ。個人的には一番好きな作品だが、世間的には凡作、くらいだと思う。同時に、メモリーズオフらしくない、とも言われる。というのも、前作「想い出に変わる君」でぶっ飛んだものにしたら受けなかったものだから、軌道修正して王道路線にしたからだ。  もちろん、メモリ

          メモリーズオフを想い出す夜の時間

          アリスとテレスのまぼろし工場に関するなんやかんや

           恋を知ったんだ! 死ぬもんか!  タイトルの映画の内容は、その一言で語れる。いやこのセリフはGのコレンギスタのものであり、それは、この映画の監督を務めた岡田磨里が降板させられたと噂のある作品のものなのだが、まぁ、大体はこれだったというしかないものだ。  どんな世界でも少年少女を恋をして、世界を変える。それは時に、命の危険さえも考えずに前に突き進む原動力になるものだろう。  それがずるいと嫉妬して、いい大人でもそんな風に生きてやるぜー! となった色ボケ中年が劇中には出てき

          アリスとテレスのまぼろし工場に関するなんやかんや

          メモリーズオフという作品を思い出す一夜目の夜

           俺はギャルゲーというものがとても好きだった。過去形にしたが、今でも好きである。だがしかし、現在それはもはやゲーム業界に存在しない、と言い切れるようなものになってしまった。考えようによっては、ソシャゲの大半はギャルゲーとも言えるのだが、建て前としてはヒロインと仲良くなることが第一の目的ではないので――本音の部分ではそこにしか魅力がなくても――ここでは語らない。  さて、そのギャルゲーの中でも長く続いたシリーズが「メモリーズオフ」シリーズだ。いや、一応まだ続いているような気が

          メモリーズオフという作品を思い出す一夜目の夜

          三連休の終わりに幼なじみについて考える

           タイトル以上の情報はないので、幼なじみ属性なんてどうでもいいぜー! という人はプラウザバックを推奨だ。と思ったが、スマホ全盛のこの現代だと、その呼び方は通じるのだろうか。戻って欲しい、の一言の方がわかりやすいのだろうか。インターネット老人会に片足を突っ込んでいる俺にはわからない。個人サイトとそれの掲示板全盛期の人間なので、完璧なインターネット老人というわけでもないが、それはさておき。  幼なじみである。  二次元の世界でそこそこ幅を利かせているヒロイン属性と言えよう。い

          三連休の終わりに幼なじみについて考える

          星の海を駆ける二つの物語だと思った

           スターオーシャンセカンドストーリーの話である。  PS1全盛期に発売されたRPGであり、開発したAAAのゲームの中でも有数の人気を誇る作品だ。ちなみにPS版ではおまけでアストロノーカというゲームの体験版が入っていて、それなりに評価されたし、実際にやってみれば面白いゲームだったのだが、こちらはシリーズ化しなかった。まぁ一発ネタの塊みたいなゲームだったので、それは正しいかもしれない。  ともあれ。  このゲームは、時代の流行りとも言える、主人公が自分のアイデンティティに思い悩み

          星の海を駆ける二つの物語だと思った

          NoPlan

           いや別に内村プロデュース発進のユニットではなく、単にタイトルが思いつかなかっただけである。    生まれてそれなりの時間が経ったが、未だにこのタイトルというものを考えるのが下手だし、何なら考えたくない。主題なんて表現もあるが、主な話題を簡潔にまとめようとすれば、どうしてもオミットしないといけない情報があって、伝えたい意思とは大抵がそこに集約されるものなわけで、つまりタイトルをつければ必ず失われる情報があるということだ。    それが嫌で、昨今の漫画やラノベのタイトルは長いの

          ポリポリコレコレというアレ

           お前たち少数派を俺たちが許可してやるから、俺たちの許す範囲で自由にやれよ! その外に出たらぶっ殺すぞ!  と、いうのが現代の流行りであるポリコレだのLGBTの本質ではないかと思う。つまり、少数派だったり普通でないものを見下して、自分たちの回存在出る限りは存在を許してあげようじゃないか、である。  はたしてそれのどこが多様性に富んだ社会なのか。と思うのが普通だろうが、この考えを唱えだしたアングロサクソン系の人々はそんな疑問はまったく持ちはしないだろう。  そもそも、彼ら

          ポリポリコレコレというアレ