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なぜ、大野に?(ひび、大野 移住前編)

「なんで大野に?」

4月から幾度となく聞かれた質問

一言で言えないので、いつも少し困る。

最近は、
「いいと思ったからです。」
とシンプルに言ってしまう時もある。(その方が案外よかったりする)

noteには、書き残そうと思う。

2021年夏、大野のまちに初めて出会う

2021年度、私は大学院を休学していた。

神奈川で暮らし東京の大学院に通う中で、
地方で、まちに関わりながら暮らすということの実感値を持ちたかったから。

休学期間の1年間、富山県高岡市で古い家でルームシェアをしていた。

ルームシェアメイトと、7月の4連休を利用して
福井4日間の旅をした。

1日目の宿泊地が大野だった。

大野、いい、、、!

ゲストハウスにチェックインし、まちなかを散策していた。

「わ〜なんだ、ここ、素敵」と、荒島旅舎の前を通ってみていると

左のグリーンのひさしが出ているのが荒島旅舎


「はいんな〜」と1Fを案内してくれて、

「久ちゃん食堂ってのがあってね、おばちゃんが一人でやってるんだけど」

「進撃の巨人のウォールマリアみたいな壁があるんだよ」

「今日夜ここで落語会あるよ!」

なんて、色々教えてくれた。


中でもすごくよいなと感じたのが、
商店街のお店の看板の一部が嵌め込まれた壁

大小いろいろな看板たち

看板をもらうって、相当な信頼関係がないとできないと思う。

新しく活動している人たちと、古くから商売を続けている人たちが
尊重し合いながら、まちの新しい風景を作っている

そう感じた。

だから、4日間の旅で、大野いいな〜ってしみじみ感じてた。

2022年春、卒業後の進路に迷う

休学期間を終え、復学し、大学院最終学年へ。

相変わらず、「卒業後どうするの?」の問いには答えられないままだった

1つ、「ここは!」と思える会社が、
新卒採用をするということで
スーツを着て説明会へ行き、応募をした。

書類が通ったので、面接をしにはるばる関西へ行った。

面接官五人くらいから色々質問される。
絶対に「なぜ休学したのか?」を聞かれると思っていた。
でもあまり聞かれず、質問の中心の内容は事前に提出した企画書の中身について。

面接をして、2つ思ったことがあった

1つは、当たり前のことなのかもしれないが
企画書を通して思考や経験などをみられていて、
あまり私自身については聞かれないのだということ。

少しそれが寂しかった。
(会社の面接をしたのは生涯でこれきりで、
これがスタンダードなのかもしれないけども、、、)

もう1つは、面接中に
「あれ、私、若干無理してない?
 誇張や、本心ではないことを言ってないか?」
という心の声に気づいた

だからこそ、面接で不採用だったときに
また同じような会社を受けるのか?
という問いが生まれた。

うーーーーーーーーーん。

2022年夏、一本の記事に出会う

うーーんってなっていた時にちょうど読んだのが

好きなまちの話をしよう

という一文から始まるこの記事。

すっごくよかった。

でも、荒島旅舎としてではなく、
あくまで「地域おこし協力隊」としての募集。

不安だった。

でも、記事の最後の方に、載っていた言葉

荒島旅舎に来てもらって、まずは僕たちと話をしよう

7月のある深夜、ドキドキしながら荒島旅舎の宿泊予約のメールを送った。

地域おこし協力隊について興味があります、話をしたいです」の一文を入れて。

ついに、大野のまちへ

暑い夏の日に、それはもうドキドキしながら六間通りを歩く。

リュックの中には、自分の大学院時代の活動をまとめたポートフォリオが入っていた。

旅者について、
にこやかに迎え入れてくれたのを覚えている。

まちなかの現状
これからやっていくこと
今回の募集の背景 
など、丁寧に話してくれた。

ポートフォリオを見てくれて、
「こういうの大事ですよね」と言っださった。

やっていることや考えていることに共感したり、
逆に自分のこれまでもわかってもらえた。
「ここなら」
そう思えたことをすごく覚えている。

大野からの帰路、
ドキドキしながら来年ここに住むことを想像した。


そんなこんなで、現在(2023年)


大野へ移住し、ちおことして働いている。

結局、2022年度中は学生だったので
地域おこし協力隊への応募はできなかった。

市役所の人と相談しながら、
2023年4月からの募集に一番のりで応募した。

はれて5月から着任。

今は、6月。
大野に越してきてよかった。と思う。

1年前の自分の勇気と嗅覚を讃える


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