見出し画像

『ウーム、大丈夫』を感じながら生きる

チャネラーである中村咲太さんの動画


日本の神さまに伝えてほしいと言われた内容が

大丈夫という意識を根っこに持って生きていくことを伝えてほしいって。

それを聞いてすぐに野口晴哉先生を思い出した。


ぼくの師匠・田総先生の師である野口晴哉先生が10代の頃。

1920年代。

当時の霊術界に現れた野口少年が説いていた内容は野口法と呼ばれていた。

まだ治療を行っていて整体という名称を使う以前のおはなし。

画家の横山大観さんも野口少年の指導を受けて通っていた道場。

その道場に掲げられていた詩が「全生の詩」だった。


『全生の詩』

我あり、我は宇宙の中心なり。

我にいのち宿る。

いのちは無始より来たりて無終に至る。

我を通じて無限に拡がり、我を貫いて無窮に繋がる。

いのちは絶対無限なれば、我もまた絶対無限なり。

我動けば宇宙動き、宇宙動けば我また動く。

宇宙と我は渾一不二。

一体にして一心なり。

円融無礙にしてすでに生死を離る。

いわんや老病をや。

我今いのちを得て悠久無限の心境に安住す。

行住坐臥、狂うことなく冒さるることなし。

この心、金剛不壊にして永遠に破るることなし。

ウーム、大丈夫。



この詩を読むと

野口晴哉が少年時代にすでに目覚めていた人であることが分かる。

今では前述の中村咲太さんやハッピーちゃんなどが目覚めて

人間意識ではなく宇宙意識で生き始めている。

サロンに入らせてもらっている武田双雲さんも同様な生き方をされている。

要はストレートに自分の内なる要求に従って生きているひとたち。


あまりにも遠い存在である野口先生に近づきたくて

坐禅で悟れば、近づけるかなと思ったんだけど

覚者の方の下で独参し悟りについて理解してみると

野口先生は悟っていたわけではなく

目覚めて生きていたのだと思い至った。


神さまが今の時代に生きているひとに伝えたいメッセージが

「大丈夫」という意識。

野口先生の「全生の詩」を要約すると

ウーム、大丈夫

の一言に集約される。


この「ウーム」というのは

息を呑み込むときの擬音なの。

自分の唾液をゴクリと呑み込む。

一口の水をゴクリと呑み込むのときの身体感覚を思い出して欲しい。

唾液が食道を通過して腹に落ちていくのを

少し鼻から息を漏らしながら

「ウー」と腹に落とし込む。

「ウー」というのは音声ではなく息を落とし込むときに発生する音。

腹に息が入ると下腹部がぶわ~っと最大まで膨らむ。

それを最後の一押し

決めるのが、

「ム」


なので、ウームというのは身体動作なの。

ウームという動作で腹に息が落とし込まれる。

お腹に息が入っている状態。


こころの状態というのは

息をどこでしているかで変わってくる。

肩で息をしているのか。

胸で息をしているのか。

腹で息をしているのか。


腹に息が入ると人間の構造上

こころが落ち着いてくる。

安心してくる。

だから「ウーム、大丈夫」なわけ。


こころとカラダは一緒なので

お腹に息が入っていれば

意識は自ずから「大丈夫」になっちゃう。


もし「大丈夫」にならない場合は

力み過ぎや、みぞおちの緊張などが考えられる。


「ウーム、大丈夫」のカラダって

確信リラックスの状態。

神さまからも伝えて欲しいというリクエストがくるだなんて

やっぱり大切なことなんやね。



※気の達人で「ふれる」ことで人間を見つめた人生。小説より面白い。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?