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「今、このnoterが面白い」?開業ってそういうことか!(お金と仕事の話)

母と心の折り合いがつかない(一方的にですが)まま帰省した結果、甥っ子と遊ぶか連休明けの仕事の支度をするか、noteを見たり書いたりしているかという過ごし方になっています。晩御飯を食べたら子犬くんが待つ家に帰るので、あと少し。

さて、タイトルですが、昨日の記事に「今、このnoterが面白い!」選考委員会とやらにブックマークされたという通知が来て、何私なんか選ばれちゃったの?小学校の読書感想文と高校の創立100年記念文集以来の?とちょっといい気持ちになってブックマークに飛んでみたら、あと何層分か面白みのあるプロジェクト?のページでした。

一つ大きなところに、ご自身で業を起こすための仕掛けとして、というのがあるのですね。しかも始めてからの期間はそれほど経っていないのに、精力的に活動されて、客観的にもその成果が見えている。読者や勝手に選考された(失礼)書き手たちは、私のようにこの選考委員会の意味を知り、選考された喜びを感じるとともに、応援もしたくなる。応援してこの委員会の影響力が大きくなれば、書き手にも利益があるかもしれない感じがあるし、利益云々関係なく、鼻息荒く(失礼)形にしてやるぞと言うエネルギーに旗を振りたくなる。

今年、新NISAにまんまとのせられて、投資信託や株式投資を始めましたが、グロース株への投資に似ているなと思いましたし、少しずつ自営でやっていこうという比率が増えている?今の人の考え方だなとも思いました。
私の場合はこれまでたまたま作ってこられた経歴があるため、がっつり旧式の、「末は博士か大臣か」の博士枠を利用しつつ、具体的な業績や活動歴で細かくくっつけられる「タグ」を増やすことで、最初の「ここに依頼してみようかな」をつくり、そのあとは具体的な内容で、ネットコミュニティも含むご近所さんに頼ってもらえる(代わりに私もご近所さんを頼る)生き方ができたらなと思っています。しかし、博士号はとっかかりの一つにすぎず、学位がないから何もできないというものではない。とっかかりがあるに越したことはないのは事実だけど、なければ自分で作ればいいだけのこと。

全体的な知能の高さは学歴と相関はするものの、学歴に繋げるためには学校コミュニティのルールに従う必要があり、知能の高い人が全て学校コミュニティに適合できるわけではありません。ギフテッドと言われる人たちは全体的な知能の高い人のことですが、学校生活で苦労する人たちは多い。
また、人間の知能には色々な要素があって、全体的な知能は普通かそれ以下だけど、ある要素が抜きん出ているというタイプもいます。東大卒の学者が優位に立てているわけではないのと同様に、一芸に秀でていれば仕事上の成功を収めることができ、全体的な知能はあまり問題にする必要がありません(論者になろうとすると、いわるゆ教養の差がもたらす影響が否定できないので、自分のウィークポイントを理解して研鑽を積む必要がありますが)。

今の時代は、いろんな形をしている知能が、ちゃんと活かせるようになってきて、noteはそのようなキャリアを実現する一つのプラットフォームになっているのかなと思います。逆に、学歴が一つの保険にはなるものの、学歴を振りかざしても、道を開けてくれる人が少なくなって、自分のキャリア(生き方の色)をちゃんと考える場が必要になってきた結果が、noteのような仕組みだとも言えるのかもしれません。

選考委員会さん(山門さん)には、さっき投稿した記事もブックマークしていただき、2日連続目に留めていただいて嬉しいです。ゆるいにしても開業なんてできるのか?と心配もしていますが、こういうマインドをもつ人に拾ってもらえるのは、多少自分にも似たマインドがあるのか?と勝手に引き寄せてみたりとかしていました(選んでもらった理由は全然違うかもですが)。

私は3ヶ月では無理ですが、15年くらい、できたら13年後の55歳には、生業と言えることにランディングしていければと思います。それを考える場がnote、書くことで自分を知っていきたいと思います。


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