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2024年は、一緒に生きたいと思いたい。

年が明けて特に変わった何かもないけれど、テレビやSNSの向こう側のニュースに心がずっとザワザワして、外出先でニュースを目にしては思わず泣いてしまう新年を過ごしている。

そんななか、今年をどんな1年にしようかと、元旦からの3日間少し考えていた。

2023年は、noteにも書いたけれど、本当に長くて、忙しくて、忙しなくて、初めてのことがたくさんあって、なんだか私らしくない1年だった。

けど、そこには私がなれないと勝手に思い込んでいた私がたくさん存在していて、新しい私に気がついたりもした。幸せな人だなと、自分のことを思った。

その一方で、2023年は漠然とだが、時折、死にたいなと思うことが多くあった。別に何があったわけでもないけど、私という人間と生きるのがどこか嫌になってしまったり、仕事とか恋愛とかプライベートのこととか全部投げ出してしまいたいと思うことが多かった。

最終的には、「親は知ったら悲しむよなぁ」とか「夏だから今ここで私が倒れたら後が大変か」などと思ってやめた。つまるところ、そういう理由をつければやめる程度の感情だったわけだけれども、私にとっては珍しい感情だったし、仲の良い誰かに言えることもできなかった。ただ漠然と、だったからだ。

それでも、おそらく、「明日、地球が終わるらしいよ」と言われたら、数分悲しんでそのあとは「まぁ仕方ないよな、そういう運命か」と諦めてしまうんだろうなという感じだった。一緒に生きている私という人間にどこか期待しなくなったなと思っていたし、それはなれないと思っていた私に出会った後もあまり変わらなかった。

私は毎年、年が明けた1月の間に今年どんな自分になりたいかというのを考える。2022年は、「私が好きな私になる」。2023年は、「私がなれないと思っていた私になる」だった。

2024年のことを思いながら考えたのは、「私が一緒に生きていたいと思える私になる」。

これはもしかしたら、2022年の「私が好きな私になる」と似ているのかもしれない。けど、恋愛において好きなタイプと付き合いたいタイプが異なるように、きっと自分が好きと思える自分と自分が一緒に生きていたいと思える自分はどこか異なるのだと思う。だから、今年は、私が一緒に生きていたいと思える私を目指したい。そして、そんな私と一緒に生きてみたいなと思える人に出会えたらいいと思う。

それに、もし、私が一緒に生きたいと思える私になることができたら、私は今よりもう少し私といることが楽しくなって、幸せを感じるようになる気がする。今の私は生きがいというものがそんなになくて、だからこそ死にがいもない。だから、今年はいい意味で死にがいのある、そんな生きがいのある日々を目指したい。

もちろん、これはもう5年間くらいは日々心に刻んでいることだけれど、「言葉にすることを怠らない」は軸において、“今、此処にあるもの”を大切にしながら生きていこうと思う。


そんなわけで、私の明日はいつだって、今日の私の延長線上にしか存在していないから、着実に少しずつ、私は私が一緒に生きたいと思える私になろうと思います。

今年1年、1日でも1秒でも多く、皆さまに心穏やかな時間があることを心より祈っております。今年もよろしくお願いいたします。

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