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0411_心の柔らかいところの話

日々の中で、泣くことはあまりない。怒ることもなければ、嬉しくて仕方がなくて笑顔いっぱいになることもあまりない。

いつからか、落ち着いていて大人っぽいよねと言われるようになって、それをまたにこにこと受け入れるようになった。いつでもスンとしているように見られるようになったのは、いつからだろう。

昔は、よく泣いてよく笑う子だった。「笑う門には福来るって言うけれど、桂子ちゃんが笑う我が家には福来るね」と小学生になる前に父親に言われたことを覚えている。本当に嬉しければよく笑う子だった。人一倍喜怒哀楽があった。

中学生の頃、笑うのも泣くのも怒るのも、感情の表現を一切止めようと思ったことがある。当たり障りなく愛想よく振る舞っていれば、事が緩やかに進んでいくことをいつのまにか学んで、それとなくいこうと思った。それからは、気を許す人の前でしか心の底から笑えなくなったし泣けなくなった。大人になったというよりも、きっとどこかで大人っぽくならざるを得なかったのだと思う。感情を消す事が、大人っぽいだなんて一ミリだって思わないけれども。

今の私は、感情の起伏がないわけではないのだと思う。感情の喜怒哀楽の根源というか、それが心の柔らかいところにあるのだとしたら、今はそれを硬い殻のようなものが覆っている、そんな感じだと思う。

日々を過ごしているとたまに現れたり、知らず知らずのうちに関係性ができていって、この人の前でなら喜怒哀楽を出してもいいのではないかと思える人ができることがある。泣いても怒っても笑っても楽しそうにしていても、どんな表情の私を見ても私を私として受け入れてくれる空気感がある人。

最後に泣いたのは、部長に泣きながら「一緒に仕事ができて本当に嬉しい」と伝えたとき。最後に心から笑ったのはいつだろう。ふと考えると思い浮かばなくて、そう思うと今日はなんだか久しぶりに笑ったような気がした。

ご飯を食べて、歩きながらお酒を飲んで、笑って。とりとめもない話をして、それでもそれが楽しくて、もう少し続けばいいのになどと思った。仕事以外で時間を忘れたのがとても久しぶりで、そんなに笑ったり誰かと話せたことが嬉しかった。

私の心の柔らかいところに被さった殻はいつになったら破れるだろう。誰の前で破れるのだろう。

きっとこの心の柔らかいところには、相手に自分の好きなアーティストを知ってもらいたいとか、相手が観ているアニメを自分も観て話ができたらいいなとか、コーヒーをブラックでなんて飲めないけど相手が好きって言ってたから自分も飲めるようになったらいいなと思ってチャレンジしちゃうとか、別に意味はないけど髪を伸ばしてみようかなとか、きっとそういう些細なことも含まれているような気がしている。

そういう、誰かとの間にいることによって生まれる、心の柔らかさが 少し前の私みたいに今の私にももっと生まれたらいいなと思う。

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