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頁を繰るたびに、此処にいていい気がする。

ここ数年、本を読もうと思って意識的に本を読んでいる。学生の頃は好きだった本も、スマホを手に取りサブスクでアニメや映画を楽しめるようになってからはなんだか少し時間のかかる娯楽のように思えて離れていた。

それに、仕事やストレスで押し潰されそうになると活字が読めなくなることが多かった。本に限らず音楽などに対してもだが、どんなものも今の自分には受け付けられなくなる時期があり、一時期は読みたい気持ちはあるのに読みたいものがわからず本屋でぼーっとしていることもあった。身体が知覚するものすべてが灰色に見える時期だ。

そんな私がまた本にどっぷりとハマるきっかけになったのは、昨年8月に読んだ道尾秀介さんの「カラスの親指」だった。

5年以上の付き合いになる友人がお勧めしてくれて読んだ本だった。読んだ後、「なんか、とてつもなかった」と無意識にお勧めしてくれた友人に連絡をしていた。後半300頁を一気に駆け抜けた小説だった。後味がとてもよくて、気持ちよく爽やかに騙してくれて、現実のすべてが良い意味でどうでもよくなったのを覚えている。読み終わって顔を上げたときには、目に映るものが鮮やかに思えた。

そこからはまた学生の頃のように本をたくさん読めるようになった。本のなかにある言葉に体を漂わせているうちはなんだか気持ちが楽になる感覚があった。本がまた好きだと思えたきっかけだった。


私は、社会人になってからの初の一人暮らしのときも、すべての自分の本を一人暮らしの家に持って来た。本は私にとって、拠り所のような気がして、私を作るもののような気がして手放すことが出来なかった。昨年、元恋人と同棲の話が出たときは「収納がそんなにないし、本棚は場所を取る。本を処分しないか。」と持ちかけられた時は驚くほどショックを受け、私は泣いた。それだけ本は、言葉は、私にとって真ん中に位置しているのだと思う。

私が読む本は実用書だったり小説だったり、エッセイだったり歌集だったり様々だ。恋愛ものであることもあれば、誰も救われないような話だったりする。いつも爽快な気持ちよさに包まれるわけではなく、大号泣をするものもあれば、釈然としないまま本を閉じることもある。どんな本を読んでいても、私の心は落ち着くような気がする。きっとそれは、本を読むことで私は此処にいてもいいような気がしているからだと思う。

本にはいろんな人の考えや生活、いろんなバックグラウンドを持った人が出てくる。自分と重なるような人物や考えに出会うこともあれば、そうではないこともあるけれど、それでも頁を繰っていると「あ…」と思わず何度も何度も読んでしまう一文に出会うことがある。私はそれをメモに書き留めて、何度も何度も頭の中で繰り返す。きっと、そうやって何度も読んでしまう一文は今の私に必要なもので、どれもこれも「そっか、此処にいてもいいのか」と自分の存在を少し許せたりするなのだろう。

だから、もし、日々に疲れたら本を一冊手に取ってほしい。その本を読みながら、手を止めてしまう一文があったならそれを復唱してみてほしい。きっとどこかであなたを救う言葉になるような気がする。読むときは、Zmiさんの音楽をお勧めしたい。


今年の11冊目となる本を手に取って、頁を繰って言葉に漂いたいと思う。

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