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上司が嬉しそうに帰って行った日。

「その日はケーキを買って帰らなくちゃいけないから、早めに帰る。」

上司はいたって真面目なトーンで、すこしうれしそうな声でそう言った。一月の末、彼の息子の誕生日を週末に控えた日のことだった。

私は、私の上司がとても好きだ。
遠慮はないが、配慮がある言葉の選び方をいつもする人で、よく褒めてくれる。そして、叱るときはちゃんと筋が通った叱り方をする人で、感情的になることが少ない。楽しいときはとても楽しそうに笑う、そんな人である。異動してきた当初、「そんなに頑張らなくていいからね」と言われて少しショックだったが、これも今になれば私を気遣ってくれていた発言なのだと思える。人を観察する力に長けている人だからこそ、いつも先回りした言葉をくれる。そんな彼は現場の誰よりも働き、気にかけてくれて、ことあるごとに「いつもありがとう。本当に助かっています。」と言葉にしてくれる。私が人生で出会ってよかったなと心から思う人の一人だ。

そんな上司の、息子さんの誕生日。ケーキを買って帰るということを想像しただけで、なんだか自分のことのようにうれしく、同僚と一緒に「それは早く帰ってください」と言っていた。

誕生日当日には、朝からビックカメラの袋を提げて出社してきて、退社の時間には「朝買ってきたんだから…!」と言いながら、赤色のラッピング袋に入れていた。「Happy Birthday」とタグにその場で書き、留め具で止めている姿をみて、こんなにプレゼントする側が楽しそうなのを見たことがないなと思った。

台詞だけ聞くと仕方なく感がある発言たちも、声がやっぱり嬉しそうで見ているこちらまでなんだか温かい気持ちになるとともに、彼が日頃頑張っているのは家族の存在がきっと大きいのだろうと感じた。

仕事をしていると、たまに自分はなんのために頑張っているのだろう、みんなは何のために頑張っているのだろうと思う瞬間がある。趣味のため、生活のため、旅行のため、夢のため。きっと、仕事を頑張れる、頑張る理由は家族だけではない。それでも、少なくとも何個かある一つの「家族のため」は、多くの人の頑張る理由の割合を占めているのだと思う。そして、私の上司もまたその一人なのだと思う。

今の私は、守りたいものとかそういうものがあまりない。私が明日死んでも悲しんでくれる人はいるかもしれないが、生きていけなくて困る人はいない。だからこそ、どこか苦しそうにも足枷のようにも思える”親”という存在がたまにうらやましくも思える。

そんな守りたいものもなくて頑張る理由がぱっと思いつかない私には、上司があまりにも眩しく感じて、いつかあんな風になれたらいいなとたまに思う。

上司の三月のスケジュールには「卒園式」の文字がある。彼とその家族に、これから先も溢れんばかりの幸せが降り注ぎますように。

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