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今日のことも、いつかは忘れてしまうけど。

「その時絶対お酒飲みに行こうね!!会いたい!!」

InstagramのDMで送ってきてくれたのは、私が小学生の頃に仲良かった韓国人の友人だった。

彼女は、たしか小学三年生の時に転校してきた。可愛らしい子だった記憶がある。何事に対しても真剣に取り組める子で、まっすぐな目をしていて、私は彼女が生み出す彼女らしい絵も文字も声も好きだった。いろんな話をしていた気もするし、お互いの誕生日だって祝っていた。紛れもなく、小学校の時にそばにいてくれた友人の一人だった。

ただ、いつからか話さなくなっていた。彼女は一時期私と同じ塾に通っていた気がするし、一緒にもよく遊んでいた。けど、中学に上がってしばらくして部活も別々になって私たちは話さなくなった。

けど、肝心のきっかけがどうにもこうにも思い出せなかった。中学の頃からの日記は昨年ゴミ箱に投げ入れてしまったせいで読み返すことができなくて、まるでその行為とともに闇に葬られたのかと思うほど、様々なことが思い出せなかった。どうして話さなくなってしまったんだろう。私は、何かあの頃に決定的な何かをしてしまったのではないだろうか。そんなことが頭の中でぐるぐるとめぐった。

正直、私の記憶の中の彼女はとても断片的で、“思い出”と言うには欠片のように細かくて、それはなんだか“記憶”という言葉が似合ってしまうような気がした。思い出されるものは、どれもこれも彩度が落ちたものだった。

もちろん、全くまっさらになったわけではない。思い出そうとすれば思い出せるものは、ある。けれど、それは「そういえば、あの頃はさ、」と軽く話せる感じのものではなくて、やっと掘り出せたもののような感じのもので、私はそれがこの上なく寂しいことのように感じた。

彼女と最後に会ったのは、おそらく十年前。十年前のことでさえ、私はこんなにも忘れてしまう。ならば、いつかきっと、今日のことも思い出せなくなる。そんな気がした。一人暮らしで住んでいるこの街のことも、私と仲良くしてくれている人たちのことも、職場で感じたことたちも。いつかきっと思い出せなくなる。思い出せたとしても、彩度も明度も落ちた記憶のような感じになるのだろう。

新しい年になってからはじめた日記。毎日四行だけ綴る短い日記。中学から昨年までは書きたいときだけ書く日記があったが、「死にがいのある人生」にしたいと思ったら毎日書くほうがいいかもしれないなと思い、書き始めた。日記は、文章は、不思議だ。書いておくと、一ヶ月前のことでも、何年前のことでも、その時のことが鮮やかに蘇ってくれる。忘れかけていたことも、また私のもとへ来てくれる。

初夏、彼女はまた日本に来るらしい。会えるだろうか。会ったら、どんな話をしようか。会っていた時間よりも気がつけば、会わなくなっていた時間の方が長くなってしまったけれど、またあの頃のようにお互いの名前を呼び合えたらいいなと思う。そしてもし会えたなら、その日のことを言葉にして、十年先も二十年先も忘れないでいたい。私の中の大切な一部として、息をしていてほしいなと思う。

いつか、本当にすべてを忘れてしまうそんな日が来るかもしれない。もしかしたら、私のすっぽりと抜けてしまった小中学校時代の記憶にはそれなりの理由があったのかもしれない。それでも、少なくとも今の日々を私は忘れたくはないし、忘れる必要もないと思うから。私はまだまだこれからも、言葉と抗っていたいと思う。

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