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私らしくない日々だった。

年末最後となったクライアントアポの帰り道、一緒に働きはじめて二年目になった先輩に「今年を漢字一文字で表すとしたら何?」と尋ねられた。今年一年のことを色々と思い出す間もなく、私は「あー、“忙”です。忙しい、の忙。」と答えた。

今年は、プライベートも恋愛も仕事も、全部がぜんぶ、本当にいろんなことがあった。

「離れていても家族」

この一年、家族とのことは色々あったようで、いろいろなかった。父親にはおそらく年始以来会っていないし、母親には年始と三月ごろの二回、私を産んだ実の母親とは十二年ぶりに再会した。
会う回数をカウントすると、おそらく生まれてきてから一番家族に会わなかった一年だったと思う。とてもとても、親不孝な娘だなとこれに関しては反省をしている。

離れていても家族という言葉があるけれど、あれが本当なのか、私にはよくわからない。物理的になのか、心理的になのかもわからない曖昧な言葉だと思う。
離れていると、今までは「家族だから」と思って済ませていたことの様々な違和感に気がついたりする。それこそ同じ屋根の下で暮らしていた頃は許容できていたものが、自分の環境の変化と共に許容できないものにかわり(気がつき)、四半世紀経ってやっと実感として「一番近い他人」であることに気がついた。そんな一年だった。

年末年始は予定通り親の元へ帰るつもり。来年はもっと親に会おうと思う。私も親も兄や姉だって、いついなくなるのかわからない。

恋とか愛とか、全部流そうと思った。

今年のはじめ、とても好きだと思った人ができた。尊敬もしていて、はじめて友人に紹介をした恋人だった。そんな恋人と五月の末に別れた。別れた時のことについては、過去のnoteを読んでほしいけど、あの頃が遠い昔のように思えるくらいには、今は元気になった。
あの時は、周囲の友人や先輩に「もっと怒っていいと思う」と言われていたけど、私自身は全く怒れなくて悲しくもなれなくて、ただただ「何この状況」という感じだった。人はどんなに酷いことをされても、理解が追いつかないことについては怒ったり悲しんだりできないものなのだとあのとき学んだ。

あれから約七ヶ月。私の恋愛事情はほぼ何も進んでいない。新たに恋人もできていないし、それを忘年会で聞いた同期たちが口を揃えて驚いていたので、私としては珍しいことなのだと思う。
正直なところ、この約半年間は誰かと付き合おうとしていなかったし、その気になれなかったのだと思う。また同じようなことが起きたらどうしようだとかなんだとか考えていた。たぶん根深いトラウマが出来上がっていたのだと思う。恋とか、愛とか、もううんざりだ。全部ゴミ箱に捨ててやるし、流してやるし、燃やしてやると思っていた。

それでも、そのトラウマによって作られた約半年の一人の期間は私にはとても重要だったようで、仕事やらなにやらで忙しかった私には一人がちょうど良かった。誰かと生きていなくても、私は私で生きていられて、そんな私を「どんどん素敵になっていくね」と表現してくれる人もいた。だから、もう一人でも、誰かと一緒になる日が来たとしても、私は私でいられるような気がしている。

鼓動が速くなる音があった。

そんな恋人と別れたとき、今までやらなかったことをやってやろうと思って、お金も時間も惜しまずに好きなことをやりまくった。その一つが、ライブに行くことだった。

きっかけは、舞台好きの友人に別れた話をした時に「舞台とか、ライブとか、生のもの観るといいよ!絶対的にいいと思う!」と言われ、その場で好きなアーティストのライブを探して、約一週間後なのにチケットを取って泊まれるように近くにホテルもとった。

行ったライブは北海道のロックバンド、ズーカラデルのライブ。初のライブ参戦のくせに、一週間前にチケットを取ったので、もちろん一人で参戦。

それでも、彼らの音は温かくて、それは泣きたくなるほどで、実際に私は一曲目から泣いてしまった。台風でびしょ濡れになったあの日のライブは、これから先絶対に忘れないだろうし、あの日があるから越えていける夜がこの先幾つもあるのだと思う。

頑張った、と言える私でいたかった。

仕事は、正直しんどい一年だった。

部署には、昨年度同様、誰が見ても恵まれていた。信頼してなんでも相談できて、部下の業務量の把握をちゃんとしてくれていて、現場に目を向けてくれて、部下一人ひとりの成長につながることをしっかり考えてくれる上司。自分では頼りないと言いながらも、実際にはどんなときでも頼れてかっこよくて、それでいて私をいつも褒めてくれて、追いつきたいと思わせてくれる同僚の先輩。そして、いつも私にはない気づきや考えを持っていて、勢いがありつつも慎重で、私に足りないものをいつも気づかせてくれる同僚の同期。

それでも、しんどさがあったのは、自分に負荷をかける一年にすると昨年末に決めていたからだと思う。

昨年末十二月、お世話になっていた先輩と飲んでいる時に「三年目はさ、差がつくよね」と言われた。彼はきっと、私がその言葉にエンジンをかけられたなんて一ミリも思っていないと思う。けど、私は「常にみんながやってる一歩先を意識しなきゃ、負荷をかけなきゃ」と思っていた。

私はおそらく、それなりの力の出し方でそれなりのことができるタイプなのだと思う。はじめからそうだったわけではなく、「それなり」の出し方を高校大学の間に見つけた。そんな私は普通にやってても(それなりに)よくできる奴となっていたのだと思うし、それにどこか満足をしていた。けど、2022年度の評価をする時期、自己評価をしているときに気がついた。私は胸を張って「私は頑張った」と言えなかった。

だから今年は、頑張ったと自分で自分にお疲れ様と声をかけられるくらいには頑張りたかった。メインで入る仕事が多くなっても、締切までの期間が短い仕事であっても、自分が「それなり」以上に頑張る瞬間がほしかった。

もちろんうまくいかなくて、もう全てを放り出したいななどと考えながら自室の床に寝転がってぼーっと窓の外を眺めていた日もあったし、あまりのしんどさに帰ってきて突然号泣する夜もあった。

けど、「あった」と言えるくらいには過去として思い返せるし、一緒に頑張ってくれる同僚たちがいたからなんとかやってこられたのだと思う。感謝をしてもしても足りないなと心から思う。


私がなれないと思っていた私になる。

今年の年始に立てた目標。
「私がなれないと思っていた私になる。」。

振り返ってみると、今年の私は普段の私ならしないようなことばかりしていたなと思う。私らしくない。今までの私らしくない、そんな日々だった。

恋人と付き合って、別れて、別れたその日に新居を決めて引っ越しをして、人生初のライブに行った。ずっと何年もエントリーしなかった講座にエントリーして、仲間ができた。人生ではじめて髪に色を入れた。仕事では「それなり」から抜け出したくて、頑張ったと言い切れる自分に会いたくて走ってた。どれも、私がなりたいと思っていたけど、勝手になれないよなって諦めていた私だった。

歳をとると一年が短く感じるというけれど、あれははじめての出来事が少なくなるからで、だいたい十二歳くらいから短く感じるようになるらしい。私はと言うと、今年はとてもとても長く感じた。一日一日が長かった。前述した論理に基づくのであれば、きっと今年は私にとってのはじめてが多かったのだと思う。たくさん感情を揺らした一年だった。落ち着かないことが多い、忙しない一年だった。けど、なんだかその忙しなさも今思えば愛おしく、必要なものだったのだと思うし、私はそんな一年を過ごしてきた自分に心から「お疲れさま」と言いたい。

来年は、いったいどんな一年になるだろうか。来年はどんな私になろうか。残り数日の今年を過ごしながら、ゆったり自分と会話をしていけたらいいなと思う。

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