桂子。

広告会社で働いている社会人4年目です。 あなたを言葉で肯定できたなら、こんなに嬉しいこ…

桂子。

広告会社で働いている社会人4年目です。 あなたを言葉で肯定できたなら、こんなに嬉しいことはないです。

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    企画メシに関するnoteをまとめています

  • 大切な家族に向けて

    家族について書いたnoteです

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私が知らない母親を、Facebookは知っていた。

この一月、私は実の母親と再会した。 その時の話は次のnoteを読んでもらえたら嬉しい。 それ以降、特別母親とは連絡を取っていない。もともと、新年と誕生日くらいしか連絡は取らないだろうとは思っていたからそんなものだとは思っていた。だから、特別思い出すことなんて何もなかった。 そんな中、六月から始まった企画メシに合わせて作成したFacebookのアカウントで「知り合いかも」に母親の名前があった。赤の他人かと思ったけれども、違うことはどこかでわかっていた。 Facebookで

    • 呼ばれ方が、すこし変わっただけ。

      桂子、桂子ちゃん、桂ちゃん、けいさん。 名字のあだ名も合わせれば、10個くらいはあるだろうか。私のあだ名はわりと多くて、それらそれぞれが私は好きだったりする。 私の仲のいいその人は、私を名字にさん付けして呼ぶ人だった。年齢は同い年だし、本当なら呼び捨てでも構わないのだろうが、私と彼が知り合ったのはお店で、私はあくまでお客さんだった。お互い名前こそ会話の中で知っていたが、どこまで行ってもお客さんと店員の関係。だからこそ、どれだけ仲がよくなろうとも私たちの間でさん付けが廃止され

      • 10年近く続いた夢が終わった日の話

        大号泣をしながら起きる朝が、年に数回あった。そんなふうにして起きた日は、必ずと言っていいほど夢を見ていた。小学生から高校生にかけて定期的に見る夢だった。 いつも何か人間っぽいものに追われていて、必死に逃げる夢だった。逃げても逃げても最終的に銃とかで殺される夢で、小学校高学年になった頃には殺されないと夢から覚められないことに気がついてわざと殺されるように夢の中で仕向けたりしていたし、中学に上がると死んだふりを夢の中でするようになった。 私が見るこの手の夢は夢の中での意識がわ

        • 0411_心の柔らかいところの話

          日々の中で、泣くことはあまりない。怒ることもなければ、嬉しくて仕方がなくて笑顔いっぱいになることもあまりない。 いつからか、落ち着いていて大人っぽいよねと言われるようになって、それをまたにこにこと受け入れるようになった。いつでもスンとしているように見られるようになったのは、いつからだろう。 昔は、よく泣いてよく笑う子だった。「笑う門には福来るって言うけれど、桂子ちゃんが笑う我が家には福来るね」と小学生になる前に父親に言われたことを覚えている。本当に嬉しければよく笑う子だっ

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        記事

          傷つける力を知らないほうが、よっぽど怖い。

          「ボクシングやってるの…?怖いね…」 大学4年間をボクシング部のマネージャーとして過ごし、社会人2年目の冬の初めからジムに通ってボクシングをやり始めた私は、たびたびこういった言葉をかけられることがある。 言われるのももう慣れたもので、一瞬は嫌な気持ちにもなるが「殴ったりなんてしないですよ」と笑顔で受け流すようになった。 たまに「なんのためにやっているの?」と聞かれることもある。別に、なんのためでもない、というのが正直なところだ。社会人になって意識的にじゃないと身体を動か

          傷つける力を知らないほうが、よっぽど怖い。

          関係性をつづける努力。

          「すごくよかった」「綺麗だった」「楽しかった」 簡単に綴られた言葉と写真たちに、なんと返すのが正しいのかわからず、わたしは「よかったね」と送った。 メッセージを送ってきたのは、知り合って8年目になろうとしている友人。同じコミュニティに数年属していたが、友人がコミュニティを抜けたことで頻繁に会うことは無くなったが、それでも月に一度くらいの頻度で会う仲だ。 学生の頃は、大学の話やそれぞれの友人の話、恋愛の話をしてそれなりに楽しく過ごしていた。元々タイプが違うし、彼女は一歳上で

          関係性をつづける努力。

          頁を繰るたびに、此処にいていい気がする。

          ここ数年、本を読もうと思って意識的に本を読んでいる。学生の頃は好きだった本も、スマホを手に取りサブスクでアニメや映画を楽しめるようになってからはなんだか少し時間のかかる娯楽のように思えて離れていた。 それに、仕事やストレスで押し潰されそうになると活字が読めなくなることが多かった。本に限らず音楽などに対してもだが、どんなものも今の自分には受け付けられなくなる時期があり、一時期は読みたい気持ちはあるのに読みたいものがわからず本屋でぼーっとしていることもあった。身体が知覚するもの

          頁を繰るたびに、此処にいていい気がする。

          上司が嬉しそうに帰って行った日。

          「その日はケーキを買って帰らなくちゃいけないから、早めに帰る。」 上司はいたって真面目なトーンで、すこしうれしそうな声でそう言った。一月の末、彼の息子の誕生日を週末に控えた日のことだった。 私は、私の上司がとても好きだ。 遠慮はないが、配慮がある言葉の選び方をいつもする人で、よく褒めてくれる。そして、叱るときはちゃんと筋が通った叱り方をする人で、感情的になることが少ない。楽しいときはとても楽しそうに笑う、そんな人である。異動してきた当初、「そんなに頑張らなくていいからね」

          上司が嬉しそうに帰って行った日。

          「好きってどういうことですか?」

          「好きってどういうことですか?」 高校時代の部活の友人がいる三人のLINEグループで、一人の恋愛相談を聞くべくグループ通話をしていたとき、相談を持ちかけた彼はそう言った。 去年の五月末、数日前まで好きだと言ってくれていて「けいちゃんだから一緒に暮らしたい」と言っていた当時の恋人が、突然「好きな人ができたから別れよう」と言ってきた頃から、私は人を好きになるということがわからなくなった。 人を好きになる。誰かを好きになる。 難しいことだと思いつつ、その定義は人それぞれだと思

          「好きってどういうことですか?」

          父の料理が、今日も私を救っている。

          私がまだ幼かった頃、父は毎日料理をしてくれていた。離婚後再婚するまでのあいだ、男手ひとつで姉と兄と私の三人を育てた。再婚してからは母が料理をすることもあったし、私はどちらの料理も好きだけれど、人生で食べた食事の回数で言えばやはり父の料理が多い。 離婚後間もない頃は、慣れない家事、料理、それでもある仕事。きっと、父は何もかもが大変だったのだと思う。それでも父は私を幼稚園へ車で迎えにくると、車の中で私の話や歌を聴いてくれて、家に帰ると自分のことはすべて後にしてご飯の支度をしてく

          父の料理が、今日も私を救っている。

          今日のことも、いつかは忘れてしまうけど。

          「その時絶対お酒飲みに行こうね!!会いたい!!」 InstagramのDMで送ってきてくれたのは、私が小学生の頃に仲良かった韓国人の友人だった。 彼女は、たしか小学三年生の時に転校してきた。可愛らしい子だった記憶がある。何事に対しても真剣に取り組める子で、まっすぐな目をしていて、私は彼女が生み出す彼女らしい絵も文字も声も好きだった。いろんな話をしていた気もするし、お互いの誕生日だって祝っていた。紛れもなく、小学校の時にそばにいてくれた友人の一人だった。 ただ、いつからか

          今日のことも、いつかは忘れてしまうけど。

          ルッキズムに縛られて、外に出られなくなった日。

          「仕事、楽しい?」「うん、楽しいよ。」 嘘ではなかったはずの会話が、実は自分を言い聞かせてなんとか外へ行く理由を作っていたのではないかと気がついたのは月曜日の朝だった。 週の始まり、月曜日。 いつものように前日に準備したお弁当を冷蔵庫から取り出して、準備をしようとしていた頃。メイクも終わって着替えも終わって「さぁ、行くか」というタイミングで私は、声を上げて泣きはじめた。文字通りというか、そのままというか「うわぁぁぁぁぁん」と声を上げて泣く姿は、おそらく三歳児のようだったと思

          ルッキズムに縛られて、外に出られなくなった日。

          2024年は、一緒に生きたいと思いたい。

          年が明けて特に変わった何かもないけれど、テレビやSNSの向こう側のニュースに心がずっとザワザワして、外出先でニュースを目にしては思わず泣いてしまう新年を過ごしている。 そんななか、今年をどんな1年にしようかと、元旦からの3日間少し考えていた。 2023年は、noteにも書いたけれど、本当に長くて、忙しくて、忙しなくて、初めてのことがたくさんあって、なんだか私らしくない1年だった。 けど、そこには私がなれないと勝手に思い込んでいた私がたくさん存在していて、新しい私に気がつ

          2024年は、一緒に生きたいと思いたい。

          私らしくない日々だった。

          年末最後となったクライアントアポの帰り道、一緒に働きはじめて二年目になった先輩に「今年を漢字一文字で表すとしたら何?」と尋ねられた。今年一年のことを色々と思い出す間もなく、私は「あー、“忙”です。忙しい、の忙。」と答えた。 今年は、プライベートも恋愛も仕事も、全部がぜんぶ、本当にいろんなことがあった。 「離れていても家族」この一年、家族とのことは色々あったようで、いろいろなかった。父親にはおそらく年始以来会っていないし、母親には年始と三月ごろの二回、私を産んだ実の母親とは

          私らしくない日々だった。

          「安心は要らないんだよね」と、君は言った。

          もう半年も前、五月末。当時付き合っていた恋人と別れた。聞かれるたびに話してはいるものの、半年も経つと顔やら声やら香りやら何から何まで記憶から消えていく。 そんななか、ふと、SAKANAMONの「猫の尻尾」の聴いた瞬間に思い出してしまった。初めて聴いた曲で歌詞をがっつり聴いていたわけではなく、メロディだけだったのだが、それでも思い出してしまった。 彼との別れは話すと長くなるけれど、簡単にいうと、同棲直前の審査も通ってあとは初期費用を振り込むだけというタイミングで「好きな人が

          「安心は要らないんだよね」と、君は言った。

          もっと、遠くへ。

          第7回の今回は、自分の企画。 今回の講師は阿部広太郎さん。場所は、みなとみらいBUKATSUDO。偶然にも、私が生まれ育った空が広くて大好きな地元だった。 今回の課題は「あなたはどんな企画をする人になりますか。」というシンプルな問い。希望制でのプレゼンを順番にしていく流れで講義は進んでいった。 怖いから声が震えた、わけじゃない。私は、27人中24人目のプレゼンだった。正直、プレゼンのシートに名前を書いた時の自分を恨みたい気持ちになりながら、順番を待っていた。生まれつきのあ

          もっと、遠くへ。